初めての使者

 将軍メラリスの配下らしき男がひとり、ゆったりした仕草で城門から入ってきた。

 宣戦布告のつもりか降伏勧告のつもりか、それとも時間稼ぎをして軍を移動させる策略か。戦闘力がさほど高くないらしいレイチェルちゃんを虎の子の軽歩兵たちとともに裏門の防衛に回し、アタシと最強執事セバスちゃんは城の正面扉の前で相手の出方を見る。

 イグノちゃんには極楽鳥で周囲の警戒と脅威の排除を頼んである。完璧とはいえないが、現在の戦力でこれ以上の対策は取れない。


「誰あれ」

「魔王領軍の参謀を務める、エイダスです。魔族最大部族である吸精族ヴァンプおさ。上級魔族で、死霊術を使います。気を付けてください、丸腰で無手でも、武器はどこにでも・・・・・あるのですから」

「……ん? 死体は全部、裏山に埋めた筈だけど」

「帝国軍についてはそうですが、叛乱のときに発生したものは我々で埋葬しました。後で……ちゃんとお墓を作る、つもりだったのですが、それは、まだ城の前庭に残っていて、それで……」


 珍しく歯切れの悪いセバスちゃんを怪訝に思いつつも、警戒しながらではそれ以上の会話もままならない。

 男は城の前庭で、距離を取って止まった。白い肌に白銀の髪。実際の年齢は不明だが、見たところでは三十そこそこ。整った細面の顔に笑みを浮かべて、落ち着いた様子で立っている。身に纏っているのは、軍の礼装のような飾り付きの黒い上下。武器を持たないことを示しているつもりか白手袋をはめた手を前で軽く組んでいた。


「埋めた場所は」

「あの男の立った場所から、右手に10メートルほど離れた位置です。いくつかに分けて埋葬しましたが、全部で20体はあります」

「ふん、向こうはそれを知ってるってわけね」


 むしろ、それを目当てにあの位置に立ったわけだ。気に食わない。

 いきなりずんずんと歩み寄っていったアタシに、セバスちゃんは慌てて護衛に飛び出し、エイダスとやらはこちらを見て小馬鹿にした笑みを浮かべる。


「これはこれは、お初にお目に掛かります、新魔王様。即位の儀に祝いの使者も出せず申し訳ありませんでした。こちらも、多忙でしたもので」

「能書きは結構よ。用件は」

「そんなもの、あるわけがない」


 慇懃無礼な仮面すら、飾りだということを隠そうともしない。存在自体を否定する見下した目。語る価値もないと吐き捨てる口調。それは前世で慣れたものだが、ムカつくことに変わりはない。


「前王の遺したゴミどもが、どこぞで拾って来たという新王を見物に来ただけです。いやはや思った通り、いやそれ以上のみすぼらしい姿だ。“混じり者”の臣下に、朽ち果てた城。万軍の敵を討ち果たしたというのは、どうやら何かの冗談のようですな」

「……そうね。あれは確かに、笑えない冗談だったわ」


 わざわざ玉座を破壊したということは、こちらがどうやって勝ったのかは知っているのだ。その上での愚弄。同じ手がもう使えないことを知って勝ち誇り、挑発している。

 もうわかった。こいつは、アタシとは相容れない敵。事前に何の情報もなかったとしても、第一印象は裏切らない。まして、アタシの大嫌いな差別主義者なのだから。“混じり者”というのが何を指すのかは知らないけれども、要は自分たちとは違う思想や集合を全否定するための選民記号だ。たしか血を噴いて死んだ金ピカのデブも同じようなことをほざいていた気がする。

 下らない。百歩譲って敵対国や異種族相手のプロパガンダならともかく、同族で、しかも団結が必要なこの戦時下にそれを公言するとは。まったく理解できない。

 だが、そんなやつらは前世にもいた。弱者は虐げ踏みつけても良い。異分子はいたぶり殺してもいい。そういう考えのやつらだ。将軍とやらもその手の輩なのだとしたら。その思想はアタシが統治し束ねることになる魔族に、広く蔓延し少なからず支持を受けてもいるということになる。

 ギリッと、胸の奥で火を噴きそうなほどの怒りが弾ける。


 そんなもの、アタシは絶対に許さない。


「どこをどう取り入ったかは知りませんが、人間のなかでもわざわざ“混じり者”どもを引き入れたとも聞く。そいつらを使い潰して勝ち取った戦ということでしょう。それで死にぞこないの兵を拾ったようですが、状況は何も変わりません。後顧の憂いを絶つため、我らは全てを滅ぼす所存です。ですからこれが、最初で最後の顔合わせとなる」

「是非そうしていただきたいわ。口先だけの男は嫌いなの。それに、知ってる? あなた……」


 アタシは大袈裟に眉をひそめ、エイダスから顔を背ける。


「口が臭いの」


「……ッ!」


 憤怒に染まったエイダスの顔が悪鬼のように歪む。本性を現してもらった方が楽だ。こちらはこいつを、無事に帰す気などないのだから。

 振り上げた手が黒い靄を引き、目が真紅に光る。城の前庭があちこちボコボコと隆起し、手足の千切れかけた腐乱死体が起き上がり始める。


「貴様に似合いの死をくれてやる。出来損ないどもの死体に食われて惨めな躯を晒すが良い!」


 身構えようとしたアタシはセバスちゃんの様子がおかしいのに気付く。光のない目を泳がせながら青褪めて震え、悲鳴を堪えようと唇を噛み締めている。

 アタシが反応する前から、何かを予想していたらしい。エイダスは、満面の笑みを浮かべて彼女を嗤っていた。


「お前も混じり者が好きなのだろう? だったら、お誂え向きの相手じゃないか。なあ、セヴィ……」

「その名を口にするなァッ!!」


 見たこともない狂乱状態で、セバスちゃんはエイダスに突っ込んで行く。目にも止まらぬ速さで繰り出された拳は呆気なくかわされ、追撃の蹴りを掬い上げられて宙に浮いた彼女をエイダスが魔力で弾き飛ばす。城の前まで数百メートルを転がって行ったセバスちゃんが一瞬で起き上がり、悲鳴のような雄叫びを上げながら真っ直ぐに突っ込んで行く。


「考えもない。工夫もない。技も力も、ろくな魔力さえない」


 凄まじい突進も、指を慣らすような動きひとつで、エイダスはセバスちゃんを拘束する。黒い靄で包まれた彼女は、呼吸が出来ないのか鉤爪のように開いた手で必死に足掻く。


「無力な者は全てを喪い、無能な者は惨めに死ぬ。それが魔族のことわり。誰もがその頸木くびきからは逃れられん。こいつら・・・・が、そうなったようにな」

「うぐあああぁーッ! 殺してやる! 貴様だけは、絶対に……!」


 説明されるまでもなくわかった。前庭に埋められていたのは、セバスちゃんの親族か仲間か、彼女の大事な人たちだったのだろう。それを玩具のように弄び差し向けてくる男に対して、怒りに我を忘れたというわけだ。


「悪趣味ね。見た目通り」


 アタシが無力だとしたら、たくさんの大事な者を失くす。アタシが無能だとしたら、きっとこの地で惨めに朽ち果てる。それ自体は事実なんだろうと思う。


「余裕を見せているつもりか? 周りを見るが良い、すぐに貴様を切り裂き噛み砕いて……」


 襲いかかってきた死者たちを、アタシは両手を広げて迎え入れる。それを見てエイダスの勝ち誇った笑みが、小馬鹿にした表情が、硬直したように固まる。

死者たちはアタシを齧らない。爪を立てたりもしない。抱きすくめられた姿勢のまま、戸惑った様子で周囲を見渡す。


「レイチェルちゃんから聞いたのよ。魔族には古い言い伝えがあるんだって。知ってる……?」


「……ッま、まさか……まさかお前・・・・・……ッ!?」


 抱き締めた腕のなかで、死者の群れが蠢き、身悶えて弾けるように姿を変えた。苦しみ始めた彼らはアタシから逃れ、地面に転がりビクンビクンと痙攣しながら全身から焦げ臭い肉片・・・・・・を飛び散らせる。その日セバスちゃんが見た死の光景も、こんなものだったのかもしれない。陰惨で血生臭い・・・・地獄絵図。そして。


「……“あまりに高度に発展した回復術は、死霊術と見分けがつかない”」


 絞り出した断末魔を鬨の声に変え、彼らの時間が巻き戻る。死霊術で操られていたはずの死者たちの群れは、いまや生きた肉を付けた生者の姿に変わっていた。気道に詰まったのか咳き込みながら肉片を吐き出し、必死で呼吸を貪っている。黒い靄から解放されたセバスちゃんが泣き喚きながら駆け寄って行くのが見えた。


「あまりに奇妙な言い回しだから、誰もそれが本当のことだなんて思ってもいない。悪い冗談としか考えられていない。なぜなら、それは奇跡と呼ばれる代物だから。でもそれは存在するの。人の間では“神から授かりし業ギフト”と呼ばれるもの。だけど魔族はこう呼ぶみたいね」


「……“神から奪いし業セフト”」


 アタシにはわかった。あの少年を引き戻したときから、道筋は見えていたのだ。アタシがやるべきことも、やらなければいけないことも。後はそこに向かって進むだけ。時間は掛かった。苦労もさせられた。でも結果が見えていれば、それで何が出来るかがわかってさえいれば、何も怖くない。ちっとも苦しくなんてない。アタシにはできる。条件を満たしさえすれば、死者でさえ取り戻せるのだ。死霊術なんて、それの不細工で不完全な下位互換に過ぎない。


「化け物……!」


 エイダスが漏らした呟きに、アタシは思わず笑ってしまう。死者を弄ぶ魔族の長が、いうに事欠いてアタシを化け物呼ばわりするなんて。


「そうね。アタシは化け物。魔族も魔物もアタシのしもべでしかない。死すらも乗り越えられる、ちょっとした試練に過ぎない。知らなかったの、あなた? ……少し、魔王をナメすぎよ」


「くッ……!」


黒い靄がエイダスの全身を包み込む。怒りを通り越して無表情になった男の眼が真紅から黒ずんだ藍に変わる。何をする気かわからないけど、もう興味はなかった。


「ねえ、天国って、知ってる?」


 答えなどないのは承知の上で、アタシは明るい声で問う。周囲の人たちからはポカンとした表情と無言の疑問符が投げかけられる。こいつは何をいっているのだとでも思っているのだろう。無理もない。彼らはいままさにそこから帰って来たところなのだから。


「あなたが行くのはそこじゃないだろうけど、その幻を見せてあげることは出来る」


「うがああああぁーッ!!」


 真っ直ぐに突っ込んできた男の姿は、つい先刻のセバスちゃんの鏡映し。

 考えもない。工夫もない。技も力も、ろくな魔力・・・・・さえない・・・・。あるのはセバスちゃんの怒りにも満たない、ちっぽけな己惚れだけ。

 アタシに触れる寸前で黒い靄は掻き消え、剥き身になった男の拳が鼻先に突き出される。喧嘩なんかしたことないけど、アタシは片手でその拳をキャッチする。エイダスは振り解こうと力を込めるが、そんな程度じゃピクリともしない。怒りと憎しみが溢れ出して、つかんでいた拳がミシミシと軋み始める。

目の前で見開かれた目が泳いだ。求めているのが救いか答えか逃げ道かはわからない。知りたいとも思わない。

クシャリと軽い音を立てて、拳が砕けた。アタシの手のなかで、男の指が思い思いの方向へと折れ曲がる。信じられないものを見せらたように、エイダスは目と口をいっぱいに開く。


「さあ、あなたを癒して・・・あげるわ。これがアタシの力よ」


“爆裂安癒”


 見えない爆発が男の身体を突き抜ける。短く息を呑む音。天を仰ぎ助けを求めるような仕草。それを最期に、エイダスは天国に行った。

 呆けた表情の身体だけを、生きたまま・・・・・地上に残して。

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