初めての王国侵攻1

 スティルモン王国、王都ティルモニア。

 王都が冠する名は、かつて大陸全土を掌握した伝説の王国のものだ。大陸有数の穀倉地帯であるカイダル平原の南側にあり、大河リニアスを水源と水運に利用することで数千年前から文化文明を担ってきたいにしえの都。王家の源流といわれる古代文明も遺跡として発掘され、研究が進められている。


 王都を囲む高さ10メートル、直径20キロ近い円形の古代城壁もそのひとつだが、有効な攻城兵器のなかった時代の遺物で、いまの時代に防衛能力はさほど望めない。

 古代城壁の中央部には100年ほど前に建て替えられた王城があり、城を中心として半径5キロほどの貴族街が広がっている。古代城壁内に暮らす平民の居住区(平民街)とは内壁で隔てられていて、行き来には南北2か所の通用門を使うしかない。北のは貨物・兵員を通すための大きなもので“大門”、南のは人が通るための小さなもので“小門”と呼ばれている。

 平民街の側から貴族街に通じる“小門”を抜けると、まず目に入るのが王国高等裁判所である。その前庭には古い断頭台が展示され、死刑が絞首刑に変わったいまでは使われることこそないものの、建国以来ずっと王家に仇なす者たちの血を吸って来た国家権力の象徴として、貴族街に入ろうとする者たちに睨みを利かせている。

 とはいえ、庶民が裁判を受ける場合は各領地の地方裁判所、もしくは王都でも平民街に置かれた下級裁判所であり、一般には高等裁判所など縁がない。そこに召喚される者は上級官吏か軍の高級将校、つまり、殆どが位の差こそあれ貴族ということもあり、死刑判決を受けた例はごく少なかった。


「……しかし、なあ。今度ばかりはそうもいかんかもしれん」


 小門通過のため順番を待つ平民商人や使用人たちがボソボソと囁き合う。彼らにとって、王家や貴族街での出来事は他人事であって他人事でない。誰に付き、誰に利益供与し、誰の庇護を受けるか。その選択は文字通りの死活問題。もし自分の主人や利益共有者パトロンが権力の座から落とされた場合には、莫大な――ときとして命に関わるほどの、損害を受けることにもなりかねないのだ。


「馬鹿いうな、何でだ!? 相手はあの“姫騎士殿下”だぞ!?」

「しッ! 声がデカい」

「……だ、だってよ、あの方を裁きに掛けようなんて、まともな頭で出来るもんじゃねえ。文武に優れ、人格も高潔で、美しく聡明で、人望も厚い。あれで男だったら継承権争い自体が・・・・・・・・なかった・・・・ってほどの姫君だ。姫騎士殿下がいなけりゃ、残るはお飾りの王子様だけじゃねえか」

だから・・・、だよ。王女様を訴えたのは、その第一王子おかざりだって話だ。もう、ハナからまとも・・・じゃねえんだよ」

「……そうなったら、この国はお終いだぞ」


 この日裁かれるのが軍事法廷でも最高刑である国家反逆罪、しかも被告が王位継承権第三位の王女ということで貴族街の住人、そして出入りの商人たちが建物を取り巻き、傍聴希望者が列をなしていた。平民街でも“姫騎士殿下”のお姿をひと目見ようと、裁判所が覗ける小門の前で平民たちが遠巻きに見守っていた。


 ティルモニアの血を引く(とされている)スティルモン家を王族として発展してきた国だが、いまだ安定を果たしたとはいえない。

 北西部を帝国、北東部を共和国、北部を人跡未踏の峻険な“龍の山脈”、そして南部一体を魔王領に閉ざされている王国は、領海を持たない。それは、大陸外との交易を他国に依存すると同時に、岩塩の産出もないため生命線を握られているのと同然の状況にある。幸いにも豊かな穀倉地帯と水流を持っていたため、治水権や輸出穀物との引換交渉バーターにより塩の輸入は確保していたが、東西どちらかと本格的な戦争状態に入ればそれも危うい。安い岩塩と良質の鉄鉱石を産出し、強大な軍事力を持った帝国。大陸有数の人口を誇り、豊富な石炭と木材資源を持ち、畜産と繊維産業に優れた共和国。どちらが相手でも早期に破滅することは間違いない。まして二正面戦、三正面戦などとなれば、戦線を維持出来ない。軍需品の輸入を絶たれることも問題だが、そもそも広大な国土と複雑な水脈が裏目に出て兵の移動が困難なのだ。


 そんななかで、マーシャル王女がこともあろうに登極して間もない新魔王と結託したという噂は野火のごとく瞬く間に王国中に広まった。


「終わりだな。姫騎士の首が断頭台に晒されることになるぞ」


 貴族街で裁判所を取り巻く人波のなかにも、王国の中枢を支える上位貴族たちのなかにも、そんな不穏な空気が漂っていた。平民街の者たちと違っていたのは、そこに至る原因と首謀者、そしてその目的を見極めようとしていたところだ。


「戦争ですか?」


 王国内務省の廊下でも、押し殺した声による会話が急いた口調で交わされていた。


裏で糸引くお方・・・・・・の望みはそうだろうが、問題はどこと・・・ってことだ」

「それは、もちろん……」

「魔王領とか? 無理だな。帝国軍や共和国軍が相手の集団戦なら、王国軍ウチもそれなりに戦えるが、魔族は軍というより野武士の集団。一騎打ちなら分が悪い。いや、個人の武技で魔族と互角に戦える者など、数えるほどしかいない」

「“無敵の王剣”ソーマンがいるではないですか、彼なら……」

「死んだよ。魔王領で五千の兵とともに・・・・・・・・戦死したと発表されてはいるが、ソーマンの死体はレクリー大佐の屋敷から見つかった。喉をひと突き。よほど信用した相手・・・・・・・・・にやられたんだろうな」


 レクリー大佐は、王国軍近衛師団の第一騎兵隊長。第一王子であるコーウェル閥の軍人だ。派閥内で内紛が起きたと読むのが正しい。そして恐らくそれが、今回の王女弾劾に繋がっている。


◇ ◇


「……どうされるおつもりですか、殿下」

「私にそれを訊くかね?」


 王城内に設けられた研究室。そういって苦笑したのは、スティルモン王国第二王子デルゴワール。筋骨隆々の巨躯を丸めるようにして書類に目を通していた彼は、女性宰相ラファリクと目を合わせる。小柄で痩身の彼女は、デルゴワールの半分ほどの体重しかなさそうに見える。若い頃から父王の懐刀として重用されてきた彼女に、幼少期の彼はずいぶんと遊んでもらったものだ。


「いまの君は、仮にも宰相だろう。この国を動かしているのは……少なくともそうすべきなのは、私ではなく君たちだ」

「わかっておりますが、病床の国王陛下が本件に決断を下されることはありません。我々の力も人員も削がれるばかり。ですが、このまま王権を簒奪さんだつし王国をほしいままにせんとする者たちに、流されるわけにはいかないのです。どうか、お力を……」

「王族に生まれたからには、義務はこなすさ。軍務も政務も領地運営も人心掌握もね。だが、知っての通り私は白衣に身を包んで実験を行うのが何より好きな研究馬鹿だ。あまり武人の真似事を求められても困る。まして政争なんてのは手に余るよ」


 ラファリクは無表情になり、顔を伏せる。フッと息を吐くと肩の力を抜き、別人のように穏やかな笑みを浮かべた。


「わかりました。でしたら取引を、デル?」

「いいね。それでこそぼくの・・・ラファリクだ。あの風変わりな魔王についてだね?」


 ふたりは笑みを浮かべ、初めて真っ直ぐに向かい合う。目だけが静かに、相手の奥底を探ろうと光を宿す。


「やはり、ご存知でしたか。兵を持たず腕力もなく攻撃魔法も使えないことは?」

「マーシャルから聞いたよ。彼がつくったという菓子ももらった。美味かったが、それだけだ。最近の魔族は商人が王になるのかね?」

「なるほど。安心しました。あなたは……いえ、殿方は大概がそうですが、新魔王と彼の側近が作り上げた物について、ずいぶんと大きな誤解をされていらっしゃるようです」

「ほう……」


 掛かった。ラファリクは表情を変えず、少し黙って相手の出方を待つ。ここが正念場だ。自分と、現政権と……王国の未来の。


「いいね。聞きたい。あの菓子が何だっていうんだい?」

「あれは、恐るべき侵略兵器・・・・なのですよ。一度でも使われたら、もう誰にも止められません。それを我が王国は察知出来ず対策も取れず安々と侵攻を許した上に、王城内部でそれを使用されたのです」


 デルゴワールの顔が驚愕に歪むのを、ラファリクは15年ぶりに見た。

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