初めての善行

「ねえこれ、説明してもらえるのよね?」


 レイチェルちゃんに目をやると、彼女は苦りきった顔で首を振る。


「執事のセバスチャンです。陛下に何かお願いしたいことがあるとかで、自ら入った牢から出てこないのです」

「え、じゃあ鍵は」

「掛かっておりませんよ、我が君。閉ざされているのは、ぼくの心の鍵だけ」

「うっさいわねもう、遊んでる暇はないんじゃないの……?」


 決めポーズのままで鉄格子にもたれ掛かる執事が激しくウザいわ。何なのアレ。まつ毛とかバッシバシなんだけどヅカの男役みたいで……って、ちょっと待った。


「え、え……!?」


 牢内の通路を駆け抜けたアタシが鉄格子を蹴り開けると、セバスチャンは明らかに動揺して後ろの壁まで後ずさる。背は高いように見えて、ひょろっと線が細い。濃いのは顔とキャラだけみたいだけど、この胸板。というか胸。アタシが鷲掴みにすると、は悲鳴を上げ両手で胸元を押さえる。


「ちょ、陛下やめッ……」

「おとなしくしなさい、セバスちゃん・・・

「わわ、ダメダメだめ……」


 シャツをはだけてコルセット状の装具を毟り取ると、弾け出たそれは爆乳と呼ぶにふさわしい凶悪な質量を持っていた。


「ダメじゃないわよ。これは没収。こんなことしてたら胸のカタチ崩れるでしょ!?」


 どうなってんのよこの城、トランスジェンダーしか生き残れない呪いでも掛かってるの? この分だとレイチェルちゃんも、あれで案外すごかったりするのかしら。

 アタシが視線を向けると、彼女は何を感じ取ったのかビクッと怯えたように身構える。あらやだ、バレたわ。


「ねえセバスちゃん、あんたがどんな性癖だろうと構わないわ。けど、心や身体を傷付けるような真似はダメ。それは他人でも自分でもね。わかった?」

「わかりまひた」


 シュンとした顔でうつむくと、年相応に可愛らしい女の子になる。ふつうにしてたら、すっごい美人なのにね。勿体無いと思わないでもないけど、それは人それぞれだし。

 アタシは改めてセバスちゃんに向き直る。


「……まあいいわ。それで、あなた何してるの、こんなところで」

「罪をあがなっています」

「よくわからないわね。罪って何の? 誰に対して?」

「私利私欲のために国庫の財産を横領し浪費しました。いかような罰も受けます、どうか我が首をお納めください……」


 途中からは耳に入ってこない。何かを熱望してるのはわかるんだけど、この爆乳宝塚の目的と真意がイマイチ見えてこない。

 助けを求めてレイチェルちゃんに目を向けると、どこから持ってきたのか分厚い書類を差し出してくる。これは何かと目で問うアタシにペコリと頭を下げるレイチェルちゃん。だーから、それじゃわかんないっていうのよ……。


「もらってもいいけど、まだボディとくっつけといて。カツ丼とかでもアタマ別皿にされるの、あんまり好きじゃないのよ」

「……かつ、どん?」


 書類に目を通すと、たちまち疑問が解け始める。付箋のように挟まれたレイチェルちゃんのメモが的確に要点を示している。非常食料に燃料に毛布に医薬品に被服に武器。かなりな量と額だけど横領するにしてもバレないようにやる頭はなかったのかしら。

 ……まあ、無理よね。


「ねえレイチェルちゃん……これ、そんなに悪いこと?」

「ええ。問答無用で死罪です。その件に関わった者全て・・・・・・・が、です」


 要領が良いんだか悪いんだか、よくわからないわ。それもそうよね、こんな魔王に従おうっていうような臣下たちなんだもの。


「じゃあセバスちゃん、悪いようにはしないから案内してちょうだい。どこなの」

「どこ、とは」

「あなたが匿ってる子たちの居場所よ。城内にいるんでしょう?」


「!」


「20の5で……ええと、40人ってとこかしら。違う?」

「……42、です。それと、乳幼児が3」

「馬鹿ッ! こんなとこで自分に酔ってる場合じゃないでしょ!? 早くそこに連れてきなさい!」

「は、はいッ!」


 アタシはセバスチャンの尻を蹴り飛ばすようにして追い立てる。牢から出た彼がさらに階下に降りていくのを見て、嫌な予感がした。

 期間から逆算すると食料や消耗品は底をつき始めてる。頭数の割りに医薬品の数が多いのが気になった。そして嫌な予感は、たいがい当たる。

 案の定というかなんというか、城の最下層にある地下倉庫で女子供と老人が避難中だった。最低限の資材は確保してあるように見えるけど、空気が淀んでいる。どんな事情があったのか知らないけど、陽も差さない換気も悪い、こんなところで隠れ住んでたら病気にもなるし心も弱る。


「全員を上階うえに運んで。あなたなら出来るでしょう、セバスチャン? レイチェル、お湯を沸かしてお風呂の用意をしてちょうだい」

「お言葉ですが陛下、彼らは下級魔族です。下賎のものは城内に入れません。地下倉庫ここはともかく上層階は無理です」

「黙りなさい。いまはもう、ここはアタシの城なの。どんな決まりごとだろとうと知ったこっちゃない、これは王命よ」

「いえ陛下、決まりごとではなく、城の防衛機能なのです。生きて玉座の間に立てるのは賓客を除けば、王族と裁可を受けた臣下のみ。その他の部屋も、入れるのは官吏と使用人だけです」


 まあ、その臣下に裏切られたら防衛機能も意味ないんだけど……あら、ちょっと待って。


「王の許可なく立ち入ったらどうなるわけ?」

「“覿面てきめんの死”を受けることになります。先の内乱でも、宰相派が引き込んだ帝国の密偵が、全身から血を噴いて転げ回った後に事切れるのを見ました」


 いいこと聞いたわ。どれだけの確率で起きるのかは知らないけど、きっと試すチャンスはすぐ来るし。


「じゃあ、使用人の部屋までなら大丈夫でしょう? 必要なら彼らを臨時の使用人に任命するわ」

「御意」


 みんなが立ち去った後でも、何でか奥の一団だけ動かない。声を掛けようと近付くアタシから何かを守ろうとしてる。どこか変な臭い。

 ああ、これはあれね。昔、お見舞いに行った終末病棟で嗅いだことあるわ。


 ――死臭。 


「近寄らないでください陛下。穢れが移ります。見送ったら、すぐ運び出しますから」


 彼らの中心に、黒ずんだ肉塊が転がっていた。元は男の子だったと思われるそれは、血と泥に塗れ、傷付き歪み汚れ膿み爛れて、原形を留めていない。


「何よこれ、どうしたの」

「幼い妹を逃がそうとして、叛乱軍の嬲りものにされました」

「妹は」

「無事です。……少なくとも、命は」


 説明する老人の視線を辿って、部屋の隅でうずくまる小さな少女を見付けた。

 ブルブルと震えながら恐怖に見開かれた目でこちらを注視している。精神が壊れかけているのか、ゾッとするような冷えた光がチラチラと瞬いている。

 この状況は、良くないわね。体が死に掛けのあの子にとっても心が死に掛けのこの子にとっても無力感に苛まれている周りのひとたちにとっても、どこの馬の骨かもわからないと思われている新任魔王の立場にとっても。


 どうしたらいいのかわからないまま、アタシは男の子の腕を取る。肌を軽く押さえると、ドロリとした膿が溢れ出た。小さな身体がビクンと震えて、半ば塞がった目が見返してくる。濁った瞳を覗き込んでも、こちらを認識したような反応はない。


「大丈夫、大丈夫よ……」


 なぜか自分のなかで、閃めくものがあった。やれること、やらなきゃいけないことが、道筋のように眼前に光って見えた。聞こえているのかわからない男の子に語りかけながら、できるだけ優しく腕を撫で擦る。ケロイド状になった皮膚がポロポロと剥落する。その下に見えてきた皮膚を確認して、アタシはホッと息を吐く。やれる。アタシは無力じゃない。アタシたちは、無力なんかじゃない。


「よくがんばったわね。えらいわ」


 アタシは少しずつ、男の子の身体に触れる。焦げたような臭いが強くなった。意識が戻ったのか、男の子の目が動く。まぶたの端から涙が零れ、乾いた泥が肌に縞模様を作る。


「いも、と……は」

「大丈夫よ、あなたが守ってくれたから、妹は無事」

「よか……っ」


 男の子の身体から力が抜けそうになる。アタシは彼の腕をギュッと握り締めて引き止めた・・・・・


「良くないわよ! あなたが死んだら、あの子の人生もここでお終いじゃない!」


 突き放すような声に、周囲の空気が凍る。怒りに満ちた目が一斉に向けられる。安い涙で見送って終わりになんてさせない。


「あなたには、まだやらなきゃいけないことがあるの。わかるわよね? アタシは魔王だから、そんなに簡単に楽になんてしてあげないわ。あなたは、もっと苦しむの。この辛い世の中で、もがいて、足掻いて、必死にのた打ち回るの。妹を助けたかったら、そうするしかないのよ。覚悟しなさい!」

「……ぁ、あ」

「な、んてことを……!」


 悲鳴と怒号が交錯する。非難の声を無視して、気絶しかけた男の子を抱え起こす。乱暴に全身を揺さぶる。憎しみに満ちた目がアタシを見る。その光が強くなる。


「いつまでも甘ったれてんじゃないわよ! あんたがいなくちゃ妹は生きていけないのよ、さっさと起きなさい!」

「やめてぇーッ!」


 妹が泣き喚きながら突進してきた。アタシを引き剝がそうとつかみかかり、伸ばされた腕に拘束されて動けなくなる。もがこうとした少女の動きが止まる。


「お」


 彼女を守るように抱きかかえながら、男の子が憤怒の表情でアタシを睨み付けていた。


「……お兄、ちゃん?」


 妹の声に反応して、男の子は身構えた姿勢のまま自分の手を、そして全身を見下ろす。表情が動くたびにパラパラと剥がれ落ちる皮膚。その下には、綺麗な肌が再生されている。


「……え? 何で、俺……だって」


 ポカンと口を開けて見上げてくる男の子の頭を、アタシは手荒にグシャグシャと掻き混ぜる。すがりついて泣きじゃくる妹を、泣き笑いのような表情で慰めている。


「これからも楽じゃないわ。それはホント。それでも、ついてきてくれる?」

「……は、はひぃッ!」

「良い顔ね。でも臭いわ。いらっしゃい、お風呂に入りましょう」


◇ ◇


 使用人たちが使っていた浴場は城の下層階にあり、一度に入れるのが10人程度の比較的小さなものだった。年の若い順から風呂に入れ、タオルで拭いてから健康状態を診察する。手伝いが必要な者はレイチェルが助けているが、緊張が解けたせいかときおり子供たちの笑い声が聞こえてくる。


 見たところ、幸い栄養失調気味な高齢者が数人いた程度で、病気や重傷者はいない。唯一の重傷者だった男の子も順調に回復している。頭にシラミが湧いていて、傷を見るのにちょうどいいので髪を短く刈るように命じた。嫌がっていたけど、知ったこっちゃないわ。


 たまたま通りかかったセバスちゃんが、頭を抱えてジタバタ暴れているのが、さっきまで死に掛けていた子だと知って、唖然とした顔になる。

 ヅカ紳士の仮面が剥がれて素のお姉さんに戻っているが、どちらが良いのかはなんともいえない。

 アタシの視線を察知した彼女は、あっさりと「執事のセバスチャン」に戻った。


「ああ、さすがです、我が君。ぼくの鑑定の魔眼によると、陛下は“魅了”と“幻惑”の他に“安癒”の力をお持ちのようですね。しかも、それが凄まじいばかりに突出して高い」

「安癒?」

「心身の疲労と損傷の回復を行う力です」

「……でしょうね、字ヅラからすると。そうじゃなくて……ええと、自覚はないけどアタシ一応、魔王なのよね?」

「ええ、もちろん?」

「威嚇も戦闘も謀略も呪詛もからっきしで、幻惑はともかく魅了と安癒って……それ、おかしくない?」

「おかしくなどありません、我が君。その力がなければ、あの者たちは生き延びられませんでした。そして恐らく、ぼくも」


 どうなんだろ。まあ、能力そのものに関しては別に不満も不足もないのだけれども。腑に落ちない表情のアタシに、セバスちゃんとレイチェルちゃんが交互に声を掛ける。


「大丈夫です魔王様、必要ならば私たちが代わりに戦いますし」

「脅しますし」

「悪だくみしますし」

「呪います」

「ぱっとも、ていさつー、するー」

「ありがと、みんな。でもまあ、とりあえずはそういうのが必要ないように頑張りましょ?」


 どんなにやらなきゃいけないことでも、そのためにウチの子たちが傷付くのはイヤ。集団を取りまとめるためには、ときには冷酷な判断と冷徹な処断が必要なのはわかってる。 

 でも、多少のリスクやコストが掛かっても、可能な限りそれを避けたい。アタシはたぶん、人の上に立つ器じゃないのよね。わかってるけど、他に代わりはいない。いたとしても、そのひとがアタシの身代わりに汚すっていうなら、それもイヤなの。

 ホラ、アタシって欲張りだから。


「それで、あのひとたちは何なの。セバスちゃんの知り合い、とかじゃないわよね?」

「棄民です。魔王領の内乱と戦争で身寄りや住む場所を喪った未亡人や老人、障害を負って動けない者や病人と、孤児。将軍派にも宰相派にも不要と判断され、役立たずとして捨てられた者たちです」


 セバスちゃんから、探るような縋るような祈るような視線を向けられる。なんだかムズ痒い気持ちになって、アタシはレイチェルを手伝うため浴場に向かう。


「どこか、あの子たちが逃げられる場所は?」

「ありません。ここも安全とはいえませんが、ここより安全な場所もないのです。それより……魔王様、彼らは戦力にできますが?」

「しないわよバカね、冗談じゃないわ。アタシたちは彼らを生かしたいから戦争するんじゃないの」

「ですが、その結果として国が滅びれば……」

「そのときは“ゴメンなさい”よ。国が滅びたって彼らには生き延びられる可能性がある。そりゃ苦労はするだろうけど、生きてさえいれば浮かぶ瀬もあるってものよ」

「魔族の末裔に生き恥を晒せと」


 理解できないんでしょうね。セバスちゃんは不思議な生き物でも見るような顔をしながらも、半ば義務感だけでアタシにうなずく。


「ゴメンね。きっと、この世界じゃあなたの方が正しいんだと思うわ。それでも、やりたいようにやらせてちょうだい。それでこの状況を変えられなかったらなんだってあげるけど……」


 あらやだ、アタシに差し出すものなんて何にもないわ。

 自分の間抜けさ加減に落ち込みながらセバスちゃんと向き合う。ちょっと頬が真っ赤で挙動不審なんだけど、どうかしたのかしら。


「陛下、私は……」


 そもそもこの子、目指してるキャラと本人がブレブレなのが見ていて落ち着かないのよね。“私”なのか“ぼく”なのか、“陛下”なのか“我が君”なのか、せめてそれくらいはハッキリ統一してほしいわ。


「叛乱軍にも売国奴にも組しなかったひとたちってことだけは理解したわ。小さい子はベッドに運んで。済んだら食事の用意を頼むわ」

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