初めてのお迎え

 ずっと、ひどい夢を見ていた。

 味方が味方に殺される戦場。かつて剣を競い力を高め合った仲間同士が、血を血で洗う泥沼の戦いを繰り広げるのだ。片方はその先に理想があると信じ、片方はいまある場所が守るべき理想と信じた。どちらが間違っていたのかは知らない。いまはもう、知りたいとも思わない。

 かつて戦友と呼び、同胞と呼んだ者たちが、全身から殺気を放ち、刀槍を構えてこちらへと突っ込んでくる。死に際に呟く恋人の名は、既に多くが敵味方に分かれた戦場で散っている。私が心臓を抉り取った男もそのひとり。末期の血反吐とともに吐き出した女の名は、彼らの軍が蹂躙した、我らの軍の兵士のものだった。


 ああ、なんてくだらない。私は甲冑の革帯を緩め、胸甲を外して息を吐く。そんなものが理由になるのなら。私は理想なんて要らない。未来など二度と夢見ない。


「バアァーンズ!」


 気を抜いた隙を突くように、かつて腹心の部下だった男が剣を振りかぶって迫る。まだ剣の握り方も知らなかった新兵当時、私が最初に教えた、渾身の一撃。守りを捨て命を投げ出して全身でぶつかる、愚直なまでに真っ直ぐな剛剣。実力では敵わない相手にもせめて一太刀を浴びせられるようにと、お守り代わりに教え込んだものだ。

 どんな汚い手を使ってでも敵の虚を突けとあれだけ繰り返したのに、斬りかかる前に声を掛けてどうする。いや、私もそんなものを、最初に教えてどうする。自分でもわかっていたのだ。自分は、人を育てるのには向いていない。だったら、せめて死なないようにしてやろうと。


 踏み込み際を躱して首を刎ねたところで、私の中の何かが音を立てて壊れた。血飛沫を浴びながら私は笑う。この狂った世界を全て焼き尽くしてしまえたら。

 気付くと、肩から先が動かなかった。腕は千切れかけ、胸から血が吹き上げていた。私が鍛えた弟子は、最期の敵に必殺の一太刀を浴びせることが出来たようだ。笑いながら天を仰ぐ。閉じていた目を開いても、真っ暗なままだ。


 淀んだ終わりない記憶のなかで流されうなされていた私を、どこかで柔らかな手が揺り動かす。優しくも断固たるその動きに、私は目を開く。息が出来ず咳き込む。喉の奥に詰まっていた何かが吐き出され、空気が肺に流れ込んでくる。周囲で身を起こそうとしているのは、見慣れた顔の戦友たち。記憶の混乱から立ち直れず、私は周囲を見渡す。振り向いた私が見たのは、淡い光。それを背負って立つ長身の男。その顔に瞬きするほどの間だけ、ふと哀愁の影が差す。それはすぐに掻き消され、穏やかな笑みを浮かべた男は私たちに手を差し伸べる。


「お帰りなさい、魔王領の英雄たち。アタシは新魔王ハーン。この世であなた方と再び会えたことを、心から嬉しく思うわ」


◇ ◇


封鎖された魔王城裏門に、青爪大隊先鋒三個中隊300名が取り付く。籠城側からの攻撃はなく、まだ敵影も確認出来ない。破城槌を抱えた人猪族オークの突撃工兵が城門の破壊を開始する。衝撃力は堅牢な城門を歪ませるの十分だった。二撃目で破壊されることを確信して後続は突入に備える。だが、そのときは来なかった。くたりと膝を突いてうずくまったオークたちに近くの歩兵が嘲弄の声をぶつける。


「何やってんだブタども、さっさと立ってブチかませ!」

「おい待て!」


 常に最前線に投入される切り込み部隊だけあって、早くも異常事態を察した兵たちは遮蔽物を求めて散開し始める。未だ状況判断に乏しいためその場に留まっていた新兵はオークの額から後頭部に突き抜けている奇妙な棒を見て思わず手を伸ばす。それは全長30センチ程の真っ直ぐな棒だが、先端部から10センチほどの所がわずかに膨らみ、そこから淡い青緑光を発して誘うように瞬いていた。


「伏せろ、馬鹿野郎!」


 古兵の警告が届くことはなく、新兵が棒に触れた途端それはオークの死体ごと爆炎を上げて破裂する。鋭く割れた砕片が周囲に撒き散らされ、死人こそ出さなかったものの悶え苦しむ数十の負傷兵を出した。

 同じ矢は、ごく少数ではあるが他の戦線でも使用され、悪意に満ちた甚大な被害を発生させた。

 死者は放置するのが魔族軍の伝統でも、負傷兵となれば後送するしかない。それには多くの人手と時間が費やされ、泣き叫ぶその姿に士気の低下も起きる。彼らはまだ知らないが、砕片は予め汚染・・されていた。魔族軍には呪いとしか受け止められない謎の疫病、“破傷風”により多くの兵が戦線復帰出来ないまま長く苦しむことになる。全身の筋肉が痙攣し激痛と呼吸困難に見舞われ人間で半数が死に至る破傷風だが、魔族は基礎体力が高いことと魔術による対症療法が功を奏し死亡率は10%ほどに抑えられた。その代わり、わずか十数本しか使用されなかったこの“悪魔の矢”が叛乱軍の全将兵に絶大な恐怖を摺り込むことになる。

 赤牙大隊の正門側突入部隊を殲滅した狙撃と同じく、この矢を放った者の正体は不明のままに終わる。



◇ ◇


 見えない敵からの攻撃に各戦線が迷走状態にあった頃、各大隊以上に混乱を極めていたのは、魔王城から1キロほど離れた場所に置かれた本隊指揮所だった。魔珠による連絡が途絶えてから、ボロボロの伝令兵がひっきりなしに駆け込んでくる。


「敵攻撃部隊出現、獣人系下級魔族を中心とした重装歩兵20、軽歩兵40、鋼鉄製ゴーレム5!」

「ふざけるな! 新魔王の配下に、そんなものは存在しない・・・・・!」

「現に我々は、その存在しない敵に蹂躙されてるんです! すぐに撤退命令を、さもなければ壊滅します!」

「黄風大隊の支援放火はどうした!?」

「わかりません! ですが、青爪大隊の先鋒が突入開始した直後、丘の上で爆炎が確認されています」

「まさか……渓谷を塞いだ、あれか!?」

「それ以外有り得ん。新魔王軍に兵を割く余裕はない」


 そもそも定員を満たせない兵力に、敵外縁部隊を叩く余剰など存在しないのだ。


「上空白翼大隊からの伝令、降下部隊全滅!」

「何だと!? 上空待機組を攻撃に回せ! いつも通り自分たちだけが安全圏で高みの見物を決め込むつもりだったんだろうが、今回ばかりは働いてもらう、総員降下だ!」

「それが……対地警戒機動中、何者かに撃墜されました。白翼大隊の生存者は、自分だけです」


 ふと静まり返った指揮所に、絞り出すような有翼族伝令兵の声がハッキリと響き渡った。

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