鋼と焔

 ふしゅるしゅるる……


「長閑ね」


 眠くなりそうな音で回り続ける圧力鍋を横目に。アタシは収支決算書と業務連絡書の確認をしていた。

 鍋からはバーンズちゃんたちが仕留めてきた巨大な野豚の肉が、湯気とともに美味しそうな匂いを立ち昇らせている。巨大ということは高齢ということでもあり、肉は(不味くはないにしても)硬い。若者や兵士なら歯応えも食べ応えのうちかもしれないが、元避難民のなかには女性や高齢者もいる。せっかくだから部位ごとに柔らかくて美味しい調理法を披露しようと思ったのだ。

 脂の多いアバラ肉の辺り、そして子豚ほどもある巨大な豚足はそれぞれ大鍋で高圧を掛け、既に火を止めてある。カタ肉は縛ってチャーシュー。脂身の少ない部位は煮込み過ぎると硬くなる。こちらは低圧で余熱調理を試してみる。

 ロースとヒレは分けてあるから、そっちはトンカツにでもしようかしら。いまある量だと、人数分には少し足りないかも。ひと口カツにするか、チキンカツも混ぜてみるか……


 故郷に戻るひとがいたり移住して行ったりこっちに来たりで行き来があり魔王城の住人は現在200人ちょっと。これだけの数が狩猟と農耕でやっていけるのは城の周りの自然が豊かなこともあるが、熟練の農夫や猟師がいてくれるせいだろう。

 虚心兵ゴーレムちゃんの助けもあって、収穫期前だというのに、まだ畑はどんどん増えている。

 こんな冷涼な山岳地帯で二毛作の方法を考えたって、まさかビニールハウスとは思ってもみなかった。ずいぶん前に話したような話してないような曖昧な情報から見様見真似で作ったらしい。石油由来ではあるけど組成が違うらしく透明度はそれなりで手触りも硬め。なので“ビニール風魔導素材”ということになるが、イグノちゃん次から次へと、どこぞのネコ型ロボットみたいになってる。


 魔王城を動かすもうひとつの原動力といえば、メレイア常駐になったベテラン組に変わり厨房長に任命されたカナンちゃんとその仲間たちだけど、何をするつもりなのか切り分けた野豚の余った部位を持ってどっかに行ってしまった。こちらはこちらで毎日のように新製品やら新メニューやら新グッズやら生産物を増やして、某T○KI○みたいになってる。


 良いことだけど、優秀すぎる民を持つと王はサボり癖がついてダメね。角度の緩い秋の陽光が窓から差し込んで、思わず眠くなってくる。

 もう少ししたら魔王領のあちこちで収穫祭が開かれると聞いたので、新魔王派になってくれた村には、何か盛大に送り物と差し入れを考えたいところだわ。


「魔王陛下ッ」

「はいはーい、厨房にいるわよ」


 珍しくひとりでいたアタシの居所がわからなかったのだろう。レイチェルちゃんが追加書類を持ってやってきた。少し、表情が硬い。


「こちらをご覧ください。工廠長から鉄鉱石の使用許可が出ています」

「ああ、いいんじゃない? すごいわね、あの鉱脈っていうの? 業務連絡書には推定1万トンとか書いてあったけど、どんだけの量だか想像できないわ」

「よろしいのですか、使用量がいささか過剰過ぎるのですが」

「彼女が見つけて彼女が運んだんだもの、好きにしたらいいじゃない。環境破壊とかの心配はないのよね? つまり、湧水が汚れるとか、山崩れが起きるとか、森が消えちゃうとか」


 そもそも鉱脈の位置を確認していなかったことに気付いた。それを見越したレイチェルちゃんが魔王領の簡単な地図を見せてくれる。魔王領の南東、ほとんど海岸線沿いだ。魔王城からは、かなり遠い。


「海沿いで水脈は通っていませんし、剥き出しの岩山です。近くに民家も道路もなく、崩れて困ることもありませんが、工事は虚心兵ゴーレムを使用して整然と行われています。切り出した岩や製鋼後に出た不要素材は、海岸に運んで埋め立てに使うそうです」

「ヒルセンの西側に港を整備するってやつ? 計画案は読んだけど、えらく大きいみたいね」


 書類のタイトルから漠然とイメージしていた“船着き場”ではなく、積み下ろしや備蓄倉庫や経済特区も備えた、完全な“貿易港”だった。

 いくらイグノちゃんの技術力をもってしても、完成までは10年単位の計画になる。まあ、ヒルセン漁民の手漕ぎ船しかない現在の魔王領でそんなものが完成されても困るが。


「話は戻りますが、問題は鉄鉱石の使用量なのです」

「何トン?」

「1万2千トン、だそうです」


「は?」


 改めて申請書類を見ると、確かに数字はそうなっている。いや、別にいいんだけど、また大きく出たわね。用途欄には“夢の実現!”って、あの子は公式文書を夏休みの自由研究かなんかと勘違いしてないかしら。


「よろしいのですか」

「い、いわよ。楽しそうだし。夢の実現だなんて、何をするのか知らないけど、誰かを不幸にするのでもなければ、叶えてあげたくなるじゃないの」

「……陛下」

「さて、後は余熱で圧力掛けて、角煮が出来たらソーキそばにでもしようかしらね。強力粉と中力粉と、あと前に何かに使った灰汁あくがあったと思うんだけど……」

「陛下」

「どうしたのレイチェルちゃん、そんな怖い顔して」

「イグノ工廠長は危険です。有能過ぎ、先走り過ぎ、気を回し過ぎます」

「いいことじゃないの」

「嫌な予感がするのです。夢の実現というのは彼女の・・・夢ではなく、おそらく陛下の望みを叶えようとしているのではないかと」


 アタシの望み?


「……といわれても、特に思い当たるものはないのだけれども」

「ですから、申し上げているのです。彼女は、陛下ご自身より先に、陛下のお考えに辿り着き、実現を始めているのです」

「……?」


 アタシは思わずレイチェルちゃんと見つめ合う。特に冗談をいっている様子はない。そういう性格でもないし。


「ええと……ごめんねレイチェルちゃん、いってる意味がよくわからない……っていうか、わかるけど、その結果が見えないの」

「もちろん私にも、彼女の全てがわかるわけではありませんが」


 この子は何かを隠してる。でもそれは、自分のためじゃない。

 対処に困るのよね、新魔王領ウチの子たちって、みんなヘンに真面目で真っ直ぐで、傷付きやすいのにいつでも全力疾走だから、危なっかしくて見てられない。


「彼女は、叛乱軍にくだらなかった、ほぼ唯一の中級魔族です。そのために彼女は友や部下や肉親の多くを、いえ、工廠長の座を除いて、全てを失いました。彼女が何を考え、何を求め、何を成そうとしているのかはわかりませんが……彼女の戦争は、まだ終わっていません」

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