初めての海戦

「艦橋から整備班、状況報告」

「整備班、乾ドック注水確認、喫水値正常」


 イグノちゃんが伝声管に声を掛けると、即座に反応が返ってくる。


「固定索解放」

「固定索解放確認」

「防御門開け、偽装岩盤爆破用意」

「防御門開放します」


 艦首の前にあった両開きの巨大な扉が開いてゆくと、暗闇が晴れて遥か彼方に明るい海面が姿を現す。その間を繋ぐのは、幅50mほどの石造りの水路。

 海に繋がる水路の最先端に、壁状の遮蔽物がある。それがたぶん偽装岩盤と呼んでいたものなのだろう。


 いつの間にここまで整備と訓練を重ねたのか、イグノちゃんの得意げな顔と整備員たちのキビキビした動きから錬度の高さが窺い知れる。ヒルセンの元漁民たちをスカウトしたとは聞いていたが、既に動きも反応も漁民ではなく水兵のそれだ。


「安全装置解除確認、岩盤爆破準備よし。整備班、総員乗船完了しました」

「ご苦労さま。甲板で砲員に手を貸してあげて」

「アイ、マム!」


「艦橋から機関室、速力10(時速18.5キロ)、海に出たら回す・・わよ」

「アイ、マム!」


 即座に蒸気機関の高まる音がして、艦はゆっくりと水面を滑り始める。


「爆破」


 操舵輪の横に魔珠がいくつも並んでいる。そのひとつにイグノちゃんが信号を送ると、目の前の岩盤が木端微塵に吹き飛んだ。

 開かれた水路の先端部を艦は危なげなく通過し、海へと船体を進めて行く。船体には殆ど揺れもなく、音も調理中の厨房に毛が生えた程度でしかない。


「左5度回頭、速力20(時速37キロ)。魔王様、一度このまま帝国領海に入って、リニアス河口からメレイアまで遡上します」

「お願い」


 視界の端で、沖合にいた帝国海軍の戦艦がこちらに反応して動き出すのが見える。

 向こうもかなり操艦に慣れてはいるようだが、基本的には木造の帆船だ。舐めて掛かって良い相手ではないにしても、逃げるだけならそう不安はなさそうだ。


「どうです、ご自分の作り上げた超高速強襲型給糧艦・・・、ルコックの出来栄えは」

「……正直、呆れたわね」

「えぇ~ッ!?」


 アタシは正直な感想を漏らす。褒められるのを待っていたらしいイグノちゃんには悪いけど、それ以外のコメントなどしようもない。


「いや、本当に想像以上の、素晴らしい出来よ。凄まじい・・・・といった方が正しいかしら。でも、アタシにとってイグノちゃんの技術と製造能力は規格外過ぎて、もう理解の範疇を超えてるのよね」

「……え? 魔王様がそれを仰いますか。私は、ご提案通りのものを作っただけなのですが」

「アタシが考えてたのは、アタシとあなたが並んで乗るような小舟だったんだけど」

「へ?」


 イメージしていたのは、湖に浮かべて足で漕ぐやつ。

 アヒルとか白鳥とかを象ったあれを、電動自転車みたいに動力サポートしたら、ヒルセンから河を遡上してメレイアまで補給物資のコンテナを引っ張れないかしらってことで、圧力釜の回転力をスクリューの推進力に切り替える仕組みを提案したのだ。

 塩や海産物の生産が軌道に乗れば、かなりの重量物を定期的にマーケット・メレイアまで運ばなければならない。それをヒルセンからわざわざ遠回りで面倒な陸路を使うのは非効率的だったから。


 確かにそのとき見せたきったない手描きのメモはスケールも構造も滅茶苦茶だったし、話しながら悪戯描きをしていたせいでアホな小学生の考えるような“ぼくの夢の船”よろしく寝床やら砲塔やらが描かれてはいたんだけど、そんなものホントに全部実装した挙句に全長100mで4層構造の全鋼製巨大軍艦に仕立て上げるなんて誰が思うのよ。


 キョトンとした顔で首を傾げる美幼女工廠長は、もしかしたら中身がネコ型ロボットか何かなのかもしれないわ。


「これ、最高速度は」

「巡行で30ノット(時速56キロ)です。ごく短時間なら40(時速74キロ)でも」

「……ちなみに、あれ・・は?」


 アタシはこちらに船首を向け始めていた帝国海軍の帆船を指す。

 全長・全高こそルコックと同じかそれ以上あるが、速度は明らかに遅く、動きも鈍い。というか、あれがこの世界、少なくともこの大陸では最高水準の船なんだろうけど。


「造船と操艦の能力、あと風にもよりますが、巡行で7から9(時速15キロ前後)、追い風で15ちょっと(時速約30キロ)くらいでしょうか」

「……こっちは楽に3倍以上は出るのね。この巨体で」

「外海用の水中安定翼フィンスタビライザーを畳めば平底で喫水も浅いですから、リニアス河にも入れますよ。このまま交戦は避けて振り切りましょう。河に入れば向こうはがつかえて追ってこれません」

「まったく、至れり尽くせりね。あなたが敵じゃなくって本当に良かったわ」


 アタシの何気ない言葉に、イグノちゃんはビクリと、身を震わす。

 失敗したわ。いまの彼女にさっきの言葉使いは無神経すぎた。


「ごめんなさい、いまのは失言だったわ。そんなつもりじゃないの。ホントに感謝してるし、有難いと思ってるのよ」

「……いえ、とんでもない。私は……その……」


 彼女は言葉を選ぶように迷ったまま俯く。

 まだ何か、アタシにいえないでいることがあるのかもしれない。でも別に、女の子が隠しごとのひとつやふたつ、あっても構わないと思っているんだけど。


 正直いうと、イグノちゃんが何故そこまで自分だけで何もかも抱え込もうとしているのかが不可解だった。

 レイチェルちゃんが承認印だとかいう存在なのを、なぜ隠したのかがわからない。さらにいえば隠していたとして、なぜ謝る必要があったのかピンとこない。

 この世界の実情など詳しく知らないのだから、役割を果たして支えてくれさえすれば、それぞれの素性や過去など詮索する気もないんだけど。

 それは数少ない臣下の、しかも最大の功労者でもあるイグノちゃんと、意思疎通が足りなかったアタシの責任だ。


「レイチェルのことは……魔王様はもちろん、あの子自身にも伝えなかったのは、完全な越権行為でした。不死者とはいえ、身柄を奪われれば魔王領を危機に陥れる可能性もあったのに。思い上がっていたと、反省しています」

「そんなに気にしなくて良かったのよ。レイチェルちゃんに狙われるだけの意味と価値と危険があるとわかってたって、見捨てたりなんかしないわ」

「いえ、逆です。彼女を守ろうとして魔王様が自ら危険に身を晒そうとされるのではないかと思って。それで……」

「う~ん……」

「す、すみま……」

「悔しいけど、たぶん正解ね」

「へ」

「もし最初にそれを聞いてたら、帝国軍の軍勢も、元宰相も、あんな冷静に撃退するだけじゃ済まさなかったわね。そして彼女の意思を尊重せず過剰に守ろうとしてた。その結果として魔王領や自分が危険な目に遭ってたかもしれないことも否定できない」

「そこは否定してください」

「誰にだって自分より大事なものはあるのよ。ものの価値はみんな一緒じゃない」


 ふと操舵輪の横に置かれた索敵・哨戒用の魔珠を見たイグノちゃんが静かに息を呑む。急に落ち着きをなくして、こちらと前方をアワアワと交互に見る。


「……あ、あの! 魔王様!?」

「どうしたの、船に何か問題?」

「いえ、じ、実は、もうひとつ、隠していたことがあるのです」

「ああ、いいわよ忙しそうだし別にいまでなくても」

「いまでなければ間に合いません!」

「へ?」

「セヴィーリャが」

「居場所がわかるの?」

「あそこに」

「えええぇッ!?」


 イグノちゃんが指さす方向に見えるのは、たぶん帝国軍の海上要塞。

 特大の炊飯器みたいな形をした建造物の上に、ピコッとアンテナのようなものが立っている。まあ電波受信の必要などないだろうから見張り台か何かだと思うけど、そこで動きがあるようだ。距離があり過ぎて、どうもアリンコがたかっているくらいにしか見えない。

 イグノちゃんに急かされ魔珠を見たアタシは、思わず手で顔を覆う。


「……何してんのよ、あの子」


 そこにはやぐらに登ったセヴィーリャが下を数十人の帝国軍兵士たちに包囲され、いままさに紐なしバンジー待ったなしの衝撃映像が写っていた。


「急いで救助……」


 いきなり船の横で海面が大きく爆ぜた。

 揺れが艦橋にも伝わり、階下から悲鳴と貨物が崩れる音が伝わってくる。

 いくつか魔珠を操作していたイグノちゃんが、小さく呻き声を上げる。


「なに、いまの!? もう追い付かれた!?」

「いえ、追尾してきた2隻はまだ射程外ですが、海上要塞むこう側に2隻。すみません、島影に隠れていたようで発見が遅れました。奥のは離れていきますが、手前側はこちらに回頭中。どうやら要塞へ向かう僚艦のために、こちらを足止めするつもりのようです」

「反撃できる?」

「射線、島影で塞がれています。曲射(山なりの攻撃)でも遮蔽に阻まれます」

「すぐに回り込んで、全速力!」

「アイ、キャプテン! 機関室、速力最大! 20秒でいいから!」

「アイ、マム!」


 アタシは加速に備えて伝声管に叫ぶ。


「しばらく揺れるわよ、何かにつかまって! 艦内の兵は避難民を支えてちょうだい!」


 船が加速すると、すぐ島影に隠れていた船が見えてくる。聞いていた通り、奥に1隻と手前に1隻。

 攻撃を命じようとしたとき、奥の船から何かが打ち上げられるのが見えた。イグノちゃんが息を吞む。


「あいつら、まさか自軍の要塞に攻撃を……」


 慌てて魔珠を見ると、屋上にいた兵士たちが蜘蛛の子を散らすようにワラワラと階下に逃げ出し、間に合いそうにない者たちは物陰に隠れるところだった。

 何が来るかわかっているのだろう。一瞬、魔珠に映し出されていたセヴィーリャの姿が爆炎で見えなくなる。


「セヴィーリャ!」


 遅れて届いたのは帝国海軍の軍艦が発砲したらしい攻撃の音。

 映像の視界が晴れないうちに、第二第三の攻撃で煙と爆炎が上がる。


「あいつらを止められる!?」

「アイ! 砲員、砲撃用意!」

「船首1番から4番、用意よし! 目標、敵海軍艦艇!」

「てぇ!」


 1隻は海上要塞への攻撃を続け、もう1隻がこちらに舷側を向け攻撃を加えようとしていた。2隻が射線上で重なっていたところで、ルコックの発砲が開始される。


 最大限まで圧縮した蒸気圧が解放される、バンという轟音。火薬のものではない筈のそれだが、アタシの耳には大砲の音にしか思えない。

 3つの砲塔から発射されたにもかかわらず、音はひとつにしか聞こえなかった。


 異様なほど静かな一瞬の間の後、全長100mを越える敵艦の横っ腹に大穴が開く。

 そのまま何事もなかったように前に進みながらも、船体は歪んで折れ曲がり崩れながら前後に分かれて沈み始める。

 奥にいた僚艦は原形を留めてはいるものの、船尾に被弾したらしく静かに傾き始めていた。船が動いた背後には、海上要塞の壁にまで突き抜けた穴が開いているのが見える。


「どんだけの威力よ、これ……」

「実戦での使用は初めてですが、想像以上の……いえ、それを遥かに超えた威力です。さすが魔王様の発案!」

「いや、アタシの頼んだ機材は艦載砲じゃなくてポン菓子製造機・・・・・・・だったんだけど、覚えてる?」

「そ、それはそれで完成しましたよね? 魔珠とティアラ、大成功だったじゃないですか」

「ま、まあね。そこは否定しないし感謝もしてるけど……」


「後部砲塔から艦橋! 後方から敵艦2! こちらに攻撃しようとしています!」

「!!」


 引き離すには距離が足りな過ぎたのか、思ったより追い付かれるのが早かった。

 魔珠には、またセヴィーリャを捕えようと帝国軍兵士たちが櫓に近付いてゆくのが見える。殺気立った動きを見る限り、捕えるだけで済むとは思えない。もう時間がない。


「魔王様」

「無理よ、回頭したら助けられない。このまま進んで……」


 それで、どうする。屋上まで助けに行く手段も時間もない。イグノちゃんが何かを思いついたようだが、口を開くより早くどこかで聞いた声が伝声管から聞こえてくる。


「後部砲塔から艦橋、後部第5、第6砲塔、捕鯨銛ハープーン発射できます」


 幼いが凛とした声。ああ、そうだ。瀕死の重傷を負ってまで妹を守ろうとした避難民の少年。


「そうです、あれなら紐付き・・・ですから!」

「船まで伝って来れるってわけね。要塞の屋上まで届く?」

「射程は問題ない、とは思うのですが、精度と視界が」

「煙が晴れるのを待ってる時間は……」

「問題ありません。セヴィーリャなら、避けられます」


 イグノちゃんは力強く断言するが、わずかに目が泳いでいる。


「でも」

「大丈夫です!」


 根拠がないことくらい、アタシだってわかってる。それでもやらなきゃ手遅れになるのだけは確実だ。


「ルコック回頭180度! 艦内総員、揺れに備えて! 砲員、攻撃用意! 前部砲塔は目標、後方の敵艦2隻! 後部砲塔は要塞屋上!」

「「アイ、キャプテン!!」」


 どういう仕組みなのか、驚いたことに巨艦はその場で・・・・回頭し始める。さすがに階下からの悲鳴や物が崩れる音はしてきたが、対処は後回しにするしかない。


 艦は、ほんの数秒で回転を止める。向き合った前方の2隻は慌てて舵を取ろうとしているようだが、帆船にそこまでの即応性はない。そもそも帆船には舷側にしか攻撃手段がない。いまなら、いける。

 前後の砲員から、返ってきた反応はほぼ同時だった。


「「砲撃用意よし!」」

「てぇ!」


 至近距離からの発砲に艦首から艦尾までを貫かれ、帝国海軍の2艦は一瞬膨れ上がったように見えたが、すぐにバラバラになって吹き飛ぶ。

 その最期を終わりまで見届けることなく、アタシは艦橋から飛び出して後部甲板に駆け出して行った。


 通り過ぎた艦内には混乱が見られるものの、兵たちがサポートしてくれたらしく特に怪我人や大きな損傷はない。アタシは走りながら周囲に声を掛ける。


「負傷者は申し出て、後で安癒を掛けるから!」

「確認できたのは軽傷者のみです! 治療も問題ありません!」

「ありがと、頼むわね!」

「「はッ!」」


 水密扉を開けて後部甲板に出たアタシの目に、人だかりが見えた。


「魔王陛下、セヴィーリャが!」

「!!」


 意外にも、衝撃はなかった。そこにいたのは、蒼褪めた顔で倒れている元執事・・・と、意識を失ってもなお彼女が必死で抱え込む奇妙なカプセルのようなもの。


 そして、破損した容器からはみ出した、小さな・・・血塗れの・・・・腕だった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る