閑話:舞い降りた天啓

「何だ、こりゃ」


 ある朝、王国の農民リッコは、家畜用飼料小屋の藁ぶき屋根を潰して地面に転がっている物を見て首を傾げる。

 昨日、帝国軍による王国への侵攻があったという噂を聞いてはいたものの、王都近郊で暮らすリッコたちには何の変化もない。帝国軍どころか人影ひとつ見ていないし、侵攻どころか馬のいななきひとつ聞いていない。そういえば遠雷のような音を聞いた、などという者もいたが、それだけだ。

 帝国か王国の魔導師が雷の魔術でも使ったのか?

 大陸全土を見まわしたってそれほどの代魔導師様が何人もいる訳じゃなし。第一そんなものをぶっ放したところで、すぐに戦争は終わるものではない。遥かに兵力の大きい帝国軍が本気で攻めてくるとなったら、比較的国境に近くリニアス河の他にろくな防衛施設もない王都は大騒ぎでいまごろ徴発やら動員が掛かっていることだろう。


 ともあれ。

 リッコにとっていま気にするべきは目の前にあるおかしな代物だ。犬くらいの大きさの、円錐状の鉄塊。その尻のあたりに紐が付いていて、紐は大きな布に繋がっている。

 飼料小屋を半ば覆うように広がった巨大な布切れは、薄くて軽くて艶があって滑らかだ。


「……あ、あんた。これ、絹じゃないかい」


 女房のニコラが怪訝そうにいう。リッコも、知識としてな、知っていた。東群島でしか生産されない効果で貴重な布地。貴族でも買えないほど高価だと聞いたことはある。そんなものは見たことも触れたこともないので、リッコには判断出来ないが、彼女が絹だというなら絹なんだろう。王都でお針子をやっていたこともある彼女は布地の目利きにはうるさい。

 それが、ひと抱えほど。早速ニコラが小屋の周りを駆け回って巻き取り、汚れないようにと綺麗に畳み始めた。まだ紐は着いたままだが、布地をよけたせいで鉄塊の様子が見えるようになった。


「こんだけの絹を売れば、ひと財産だ。ウチなら2年は暮らせるよ」

「誰が落としたんだか知らねえが、勝手にもらって良いもんじゃねえだろ。届けないと後でいちゃもんつけられたら首が飛ぶぜ」


 とりあえず危ないこともなかろうと、根拠もなく判断してリッコは鉄塊に近付く。

 軽く叩くと、コインと響く。中は空洞になっているようだが、何か詰まっているのだろう、音が鈍い。胴体の中ごろに2つのつまみがあって、「まわす」と刻んである。学の無いリッコにもこれくらいは読めるのだが、字が読めない者でもわかるようにか、ご丁寧に絵まで描いてある。つまみを回すと蓋が開いて中身がこぼれ落ちた。


 大きめの箱がいくつかと、金属容器と、筒状の手紙。手紙は「まず、これを、よむ」と大書された帯で留められていた。開いてみると、ニコラが顔を寄せてくる。

 なにか面白そうなものがあると気付いたのか、子供らと犬まで駆け寄ってきた。


「お父、なんだいこれ?」

「お父、これ開けて良い?」

「待て、まだ触るんじゃない」

「それで、なんて書いてあるんだい?」


「きんきゅう、じたいにより、この“たま”をうちだしました。らっか、そくどを、ちょうせいし、ひがいを、さいしょうげんに、するよう、どりょく、しましたが、なかの、おくりもので、たりないほどの、ひがいが、でたばあいは、ついか、ほしょうを、おこないますので、まーけっと・めれいあの、さーびす・かうんたーまで、おこしください」


「マーケット・メレイア。知ってるよ。近頃大評判の、魔都だろ。足りなきゃ来いって、“さーびす・かうんたー”って、なんだい?」

「サッパリだ。半分もわからんが、小屋を壊してごめん、ていうようなことを言いたいんじゃねえかな」

「お父、これなに?」


「“けが、あれば、のむ”“けが、なければ、うる”……飲むか、売るかって、そいつ」


 開いた金属容器の中身を見て、リッコは、小さく息を呑む。冒険者の真似事をしていたときに、見たことはあった。あまりに高価で貴重なため、最上級パーティでもなければ所有することも出来ないような代物だ。


「……回復ポーションだ」


 小さな透明の瓶には薄緑色、薄黄色、薄桃色の液体が入っていて、側面にはそれぞれ“負傷治療薬”“体力回復役”“滋養強壮薬”と刻んである。

 治療薬が3本に、回復役と強壮薬が1本ずつ。


「それが本当なら、とんでもない金額で売れるぞ」

「こっちの箱は?」

「……菓子だそうだ」


 木箱のなかには色とりどりの紙に包まれた焼き菓子と、透明の不思議な袋に入った宝石のような飴菓子のようなもの。そっちはニコラが見るなりアワアワとうろたえだした。


「わーい、いっぱいあるー! すっごく綺麗! これ、食べて良いの!?」

「よしな! まだ触るんじゃないよ!」

「どうしたニコラ。これが何だか知ってんのか」

「マーケット・メレイアで大評判の、悪魔のなんだかいう菓子だよ、これ。王都じゃ手に入らないってんで貴族連中が金貨を持って奪い合う騒ぎになってた」

「ああ……じゃ、それは、しまっとけ」


「「「ええええええーっ!!」」」


 子供たち(となぜかニコラまで)が一斉に抗議の声を上げる。ついでに犬までもが不満そうに吠えだした。非常にうるさいが、いまのリッコにはそれどころではない。

 困惑していたからだ。これを落っことしてきた連中の意図に。正確にいえば、どこの馬の骨ともわからん辺境農民の被害に対して、ここまで気遣ってくれる相手の考え方に、だ。手紙の最後にはこう書かれていた。


「その筒の奥に、茶色い木箱があるだろ。それを開けてみろ」

「こっちにも、お菓子がいっぱい! 食べて良い? ねえ、良い?」

「いいぞ」

「「「わああぁーっ♪」」」


 だからニコラ、なぜお前まで一緒になって……と思いつつ、リッコはついに笑い出していた。魔王領から飛んできたってことか。馬で2日は掛かるって聞いてたんだが、驚くべきはそこじゃない。王都の商人たちが蛇蝎のように嫌い、憎み、それでも無視できないほど強大で洗練された悪魔のような商売人。それは魔王なのだから悪魔どころの話ではないんだろうけど、彼らの恐ろしさはリッコにも実感できた。

 こんな恐ろしい連中に、客を客とも思わず小金を抱えてふんぞり返っていた王都の商人ごときが、勝てるわけなどないのだ。


「なにこれ、すうっごく美味しいぃーっ!!」

「あああ、じゅわーって、じゅわーってする!!」


「ねえ、あんた。見たところ、さっきのと中身は同じようなものだけど、こっちは何が違うんだい」

「“ご自宅用”……うちで食えってことだろ」

「最初の、立派な方の木箱は?」

「“うるのに、おすすめ”だそうだ。それだけ気が利くんだかな。決めたぞ、ニコラ」

「……なにをだい?」


「俺は魔王領と商売する。前にルーインさんとこから聞いてはいたんだけど、どうにも話が美味過ぎて迷ってたんだがな。ウチの牛と豚、鶏もだ。マーシャル殿下の南部領を通じて、魔王領に届ける。技術も伝手も人手もなんでも、みんな好きなだけ持ってってもらう。こんなもんもらって、ありがとうで済ませられるかよ。こんだけのことを考えつくような人らのとこで、俺たちがどこまでできるか、試してみようじゃねえか!」


 その後、なんだかんだと騒ぎはあったものの、潰れた飼料小屋に落ちてきた砲弾はリッコと魔王領を結び、やがて王国南部領に移った彼は王国でも有数の酪農家として名を馳せることになった。

 水路で囲まれた広大な牧場の入り口には大きな看板が立てられ、屋根に刺さった砲弾が、そこに記されているそうな。

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