ラッセルの意地

「……ね、ラッセル」

「いま忙しい、ちょっと待ってろ」


 手首が軋む。動かすたび痛くて熱くて、いまにも燃えちゃいそうだ。それでも俺は、音を立てないように動かし続け、必死で悲鳴を押し殺す。

 早く、早く、早く……奴らが部屋を出ているいまがチャンスだ。でも、こんなときに戻ってきちゃったら言い訳できない。そのときは……

 そのときは……どうすればいいんだろ?


「ぐすッ……あたしたち、殺されちゃうの?」

「バカ、そんなこと俺がさせるもんか」


 泣きそうな声で囁くコネルの声に、ビビり切っていた俺は少しだけ冷静さを取り戻す。

 そうだ。俺がしっかりしなきゃ。

 コネルは同じタッケレル村に住む人狼族の女の子。ふたつ下で、まだ4歳だ。成長の早い獣人族といってもガキでしかない。同年代の人間になら勝てるかもしれないけど、肉食獣や魔獣にとっては楽なエサでしかない。だから、年長者が守ってやらなければいけないと、いつも大人からいい聞かせられている。


 魔王陛下にお礼がしたいという彼女の頼みで、俺は魔王城まで同行することになった。それはいい。俺だって魔王陛下には母ちゃんを助けてもらった恩がある。


 でもまさか、こんなことになるとは思ってなかった。


 野生の獣や魔獣のうろつく途中の森では、匂いを頼りに逃げ隠れしてやり過ごした。魔族でも生まれつき鼻の良さで知られる人狼族ウォルフ人猪族オークだ。まだ戦う力はなくても俺たちなら危険を避けることくらい訳ない。


「くそッ……それなのに」


 ひと気のない城内に入った途端、俺たちは気配を消して潜んでいた魔族の兵隊にあっさりと捕まってしまったのだ。

 相手は卑怯で冷酷な叛乱軍。魔王領軍を裏切って先代魔王陛下を殺したとかいう連中だ。領民なら誰だってあいつらは憎いけど、相手はほとんどが中級以上の魔族だ。俺たち下級魔族、しかもガキなんて逆らったところで手も足も出ない。

 俺は抵抗も逃走も、何も出来なかった。


 俺が守るっていったのに。心配ないって保証してやったのに。


「待ってろ、いま何か手を……」


 本当は、知ってた。もうどうにもならない。俺たちは殺されるんだって。

 さっき反乱軍の連中が話してたのを聞いて、陛下たちはいまメレイアにいるのがわかった。日没までに来れなかったら殺すっていってたけど、そんなすぐに来れる筈がない。


 そもそも魔王陛下は、弱い。

 他人を癒し治す力は凄まじいけど、傷付ける力はないらしい。他人と仲良くするのが得意で、美味しいものや楽しいことをいっぱい考えて作り出すのが得意で。それは怖ろしいほどの金を生み出して暮らしを豊かにしてくれるけど、たぶん戦争の役には立たない。手持ちの兵隊も少ししかいない。

 暴力や兵力を持たないことが、魔王領にとって良いことか悪いことかわからない。でも、俺たちの希望は、完全に消えた。


「最期に、ありがとうって、いいたかったな」


 もう死ぬのを覚悟したような声で、コネルが呟く。


「そうだな。それくらいは叶えられるかもしれない」


 捕まってからずっと、木箱の角で擦り続けてきた手首の縄がもう少しで外れそうだ。

 さっき叛乱軍の奴らが、この城のなかは魔王陛下の持つ魔珠に映っているっていってるのを聞いた。この部屋は映らなくされたみたいだけど、外の連中は丸見えだって。

 城の外に出れば、魔王陛下に声は届く。


「うががが……ッ」


 身体を捻り、力を入れるとブチブチと音を立てて縄が外れた。痛くて涙が出そうになるのを必死で堪える。


「よし、ちょっと待ってろ。声を出すな。音も立てるなよ」


 俺は自由になった手で、コネルを縛っていた縄を解く。固く縛ってある結び目は歯と牙で齧りついて引きちぎる。


「ラッセル、血が」


 声を上げそうになったコネルの口を塞ぐ。皮が切れて血が垂れている俺の手首を見て、彼女の目に涙の粒が見るみる溢れて来て焦る。


「静かに。泣くなよ、俺は大丈夫だから」

「だって、あたし……あはひのへいで」

「お前は悪くない。なんにも悪くないんだからな。さ、立てるか?」


 廊下に顔を出して気配を伺う。遠くで駆け回る兵隊の足音が聞こえた。近くには誰もいない。魔王陛下を迎え撃つつもりか、それとも……


 下の階で、おかしな音が聞こえた。

 ぼふっていう、何かが弾けるような。すぐに悲鳴と転げ回るような音。叛乱軍の兵隊だ。何が起きてるのかはわからないけど、ヤバいってことだけはすぐにわかった。焦げ臭い匂いと煙が俺たちのいる階まで上がってきたからだ。


「火事……?」

「みたいだな。良いぞ、この隙に逃げられるかもしれない。こっちだ」


 俺はコネルの手を引いて城の裏側に回る。見つからないように隠れながら、下に降りられるところを探した。階段の下には駆け回る兵隊の姿がある。身を隠しながら窓から覗くと、階下のあちこちで火の手が上がっているのが見えた。いまいる場所は城の中くらい。まだ飛び降りるほど低くはないけど、あと1階くらい降りればどうにかなりそうだ。


「あれ、まおーさまが?」

「わかんない。けど、違うんじゃないかな。魔力、使ってる感じじゃない」


 俺たち獣人族はほとんどが魔術を使えない。せいぜい半分くらいの大人が体力を上げるのに使うくらいだけど、それも生まれ付きそうしてるってだけだ。

 ただ、魔力を感知することは出来る。それで危険を察知したり気配を読んだりする。

 いまの攻撃には、それがなかった。たぶん、人間の使う武器か兵器だろう。魔力を使わない攻撃は、魔族にとっては逆に厄介だ。まともに食らうまで、察知出来ないからだ。


 もういちど窓から外を見ると、石造りの城の壁を火が昇ってくるのが見えた。燃える物なんてない筈なのに、何で消えないのかわからない。それどころか、火はますます大きくなっているように見える。


「何かの、油脂あぶら……?」

「ラッセル、逃げないと!」


 火を消そうと外に出た叛乱軍の獣人兵士が、飛んできた矢に射られて崩れ落ちる。城の外をどこかの兵隊が囲んでいるみたいだ。

 叛乱軍を殺すくらいだから奴らの敵なんだろうけど、森の木陰に見えたのは緑色の服を着た兵隊。それは魔王陛下の兵隊じゃなかった。帝国の兵隊は黒い服を着ているって聞いたから、帝国軍でもない。前まで戦争していた王国の兵隊も、白っぽい服だったからたぶん違う。


「――ッ!」


 小難しい叫び声とともに城壁にある櫓から白い光が飛んで行って、森の端が吹き飛んだ。あっという間に反撃の矢が何本も飛んできて、魔術師っぽい誰かが城壁から転げ落ちる。


「いまのは?」

「叛乱軍の上級魔族が魔術で攻撃したんだ。すぐ殺されちゃったみたいだけど」

「どっちが敵でどっちが味方?」

「……さあ」


 どっちも敵だって、いおうとして止めた。

 これ以上コネルを不安にさせたところで、何にも良いことはない。この城から逃げ出したとしても外も敵に囲まれてて、そこを抜けたって魔王陛下たちがいるとこまでは子供の足じゃ絶対に辿り着けないってことも。

 いちばん近い味方は元いたタッケレルだけど、城内の叛乱軍と外にいる緑色の兵隊を振り切って、魔物や獣がウヨウヨいる森を暗くなる前に抜けて、無事に戻れたら奇跡だ。それに、村に戻ったところで兵隊がいるわけじゃない。大勢の敵を引き連れて行けば、村のみんなに迷惑が掛かる。


 やっぱり、ここで死ぬしかないのかな。


 城の前庭の方から、大きな音と叫び声が響いてきた。戦闘が始まったみたいだ。この隙に裏口に回って、下に降りよう。逃げられるかは試してみるしかない。


 城の裏門がある方向からも叫び声が上がる。緑の敵が攻め込んで来たのか、鉄が打ち合う音がして、またぼふって音が聞こえた。今度は近い。廊下の隅で、床板の隙間から細く煙が漏れてくるのが見えた。


「裏手に火が回ったぞ、脱出……!」

「「「おおおおおお」」」


 どっちの兵隊か知らないけど、叫び声と悲鳴と争う音がした。肉と毛の焦げるひどい匂いが、下からの濃い煙に混じって噴き上げてくる。咳き込むコネルの口に脱いだ自分の服を押し当てて、俺は逃げ場を探した。いま下の階には緑の敵と反乱軍がいる。戻ろうとした正面側からは、大勢が掛けてくる足音が聞こえた。

 上に向かうしかない。煙に巻かれて逃げ場を失うかもしれないけど、いま降りれば間違いなく殺される。


「コネル、こっち」

「……え!?」


 振り返って一瞬彼女を見失う。差し出した自分の手が吹き上げる煙で見えない。息が詰まり、目が眩んでよろめく。


 遠くで巨大な何かが地面に叩き付けられるような物凄い音がした。城の内外で悲鳴とどよめきと叫び声が重なる。

 轟音は地響きのようになって高まり、どんどん間隔が短く、近くなってくる。

 怖いというよりも、何が何だかわからない。外が見えないから、何が起きてるのか見当もつかない。


「コネ……」


 下の階で壁か床が崩れるような音がした。ずっと立ち上っていた煙の向きが、いきなり変わる。床の隙間に向かって、すごい勢いで吸い込まれてゆく。コネルの姿は見えるようになった。息も楽になったけど、ひどく嫌な予感しかしない。コネルの手を取って逃げようとしても、いまでは城を丸ごと振り回すほどになった激しい揺れが彼女を怯えさせ足を竦ませる。


「ひゃッ!?」

「コネル!」


 目の前で床が爆発した。床いっぱいに炎が吹き上げ、逃げようとした俺たちの足元が崩れる。掴まろうとした手は空を切り、ふたりで宙に投げ出される。見降ろした先には炎に満たされた空間が広がっているのが見えた。


 俺は引き寄せたコネルを胸に抱えて、燃え盛る炎に呑まれるのを覚悟した。

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