初めての王国侵攻5

 王国高等裁判所。無人の法廷内で、男がふたり対峙している。ひとりは王国軍の礼装に勲章を下げた若い男。ひとりは痩せた身体に法務服を身に纏った初老の男。


「……無罪、だと!?」


 コーウェルは、有り得ないと笑いながら首を振る。休廷中だった裁判が再開されると聞き、傍聴席の貴族たちに王国と軍務への貢献をアピールしようと軍の礼装で臨んだのだが。法廷内には人っ子一人おらず、待っていたのはどこか見覚えのある冷めた目の男だけ。


「しかも、法廷の場ではなく公告として発表するなど聞いたこともないわ!」

「この度の訴訟は王国を大きく騒がせましたから、その結果も広くハッキリと告知されるべきです。王妃陛下には既にお伝えしましたが、王国法務局長ノイン・コムラッドの名においてここに宣言いたします。王国刑法・王国民法・王室聖法、並びに王国が結んだ各国際条約、どれについても王女殿下には・・・・・・、何の瑕疵も見受けられません」

「……貴様、何がいいたい」

「高等裁判所で裁決される以外の問題は多々あるようですが、この場で申し上げられるものではございません。ただ……」


「裁判長イルチェアは一身上の都合・・・・・・で退任。王族専属弁護人ケーフェイは健康上の理由・・・・・・で引退。王国軍オークス参謀は指揮権剥奪の上、謹慎処分とされました。殿下と行動を共にした近衛師団の面々にも、近いうちにいくつか辞令・・が出るでしょうな」


 コムラッドは、第一王子の傍らに置かれた空の椅子を見る。そこにはいつもオークスがいて、コーウェルに的確な――少なくともその時点で取り得る最善の、策を耳打ちしていたのだ。


「おそらく、もう誰も戻られないでしょうな。彼らは自らの立場を・・・・・・、よく理解している・・・・・・でしょうから」

「ふッ、ざけるなあァッ!」


 コーウェルは怒りに任せて椅子を叩き壊すが、コムラッドは何の反応も見せない。


「これは誰の差し金だ。王族に対して公然と反意を表明するなどとは正気とは思えん」

「それはこちらの台詞ですわね、第一王子・・・・?」


 振り返ったコーウェルが憤怒の表情のまま硬直する。


「……母ぅ、いえ王妃様」

「まだ自分の置かれた状況を理解していなかったとは、そちらの方が驚きです。第一王子とはいえ継承権者でしかないコーウェルあなたが、まるで王意を代弁するかのような態度。王位継承権についても、領主としての治政権も、デルゴワールおとうとマーシャルいもうとたちと何ら違いはないのですよ?」

「民意も神意も王意も得られず、あなたが自分の立場を危ういものとして焦っていたことは知っています。それが努力の源泉になればと手出し口出しは控えていました。それぞれの思惑や憐みから多少の便宜を図る者がいたとしても目をつぶる気でしましたが、それももう終わりです。あなたの暴走が王国にもたらすものが国体の衰退と民の不幸でしかないことは誰の目にも明らか」


 完全武装の衛兵隊が、王妃の後ろに立つ。コーウェルであっても、抵抗が無益なことなど明白だった。斬り捨てられる覚悟で王妃へ捨て身の一撃を見舞うか、コムラッドを人質にとっての大立ち回りでも見せるか、いっそ潔く自害を選ぶか。どれも現実的ではない。自分にはもう破滅につながる道しかないことに、コーウェルはそこで初めて気付く。

 いや、最初からだ。コーウェルは笑う。

 本当は最初から、退位以外に現実的な選択などなかったのだ。


ここまで・・・・にしましょう、コーウェル。我が国にはもう、あなたは必要ないのです」


◇ ◇


「はぁい?」

「うわァ!!」


 王国軍、南部国境城砦。閉ざされた砦門の前で警備に付いていた兵士はいきなり真横から声を掛けられて思わず腰の剣に手を掛ける。いまのいままで周囲には人影どころか、何の気配もなかったというのに。

 規定武装の重い長槍は砦門脇に立て掛けられたまま、すぐ手に届くところにない。敵など来る筈もない辺境の過疎地で報われない軍務に就く兵士たちにとって、規律の緩みは致命的なまでになっていた。


「そんなに驚かなくても大丈夫よぉ。……でも、あら? ここって、もうひとりお仲間がいるんじゃなかったかしら」


 ふたりひと組での警備が既定だが、相棒の兵士もまた、あまりの退屈さに飽きてどこかでサボっているのか姿は見えない。いつものことだが、ダレた心のなかでも警報が鳴り始める。王国軍の抜き打ち検査でもなければ、これは異常事態だ。

 おかしな包みと小瓶を下げてふらりと現れた男か女かよくわからん人物に警戒しない方がおかしい。まして彼が来た方向は魔王領なのだ。


「……なッ! 何だお前は!?」

「何だお前はって、見ての通りよ」

「魔族!?」

「そうよ、ちょっと訊きたいんだけど、この辺りに女性や子供はいないのかしら」

「こッ、この悪魔め! 女子供を食う気だな!?」

「いやねえ、食べないわよ。ちょっとモニターに借りたいだけ」

「も、もにたー? 訳のわからんことをほざくな! 王国民に手を出したらタダでは置かんぞ!」

「……ああ、もう! ちょっとは話のわかる人いないの? できれば兵士じゃない民間の人……」

「何か御用ですか」


 相棒の姿を求めて背後を振り返った兵士は、そこに立つ男を見て小さくため息を吐く。小ざっぱりとした服を身に纏ってはいるが、民間人であることには変わりがない。


「もう結構ですよ、ヘンケルさん。この方のお相手は私がいたします」

「だが、得体のしれない者を」

「砦に近付けなければいいんでしょう? 大丈夫です、離れた場所で、お話しするだけですから。何の問題も起きません。それなら面倒な報告の義務もないでしょう」

「……あ、ああ」


 他に選択肢はない。いや、あるにはあるが、男の提案の何倍何十倍も面倒なことになるだけだ。兵士は不承不承、ふたりを放置して再びぞんざいな警備に戻る。

 相棒はまだ、戻ってくる気配すらなかった。


◇ ◇


「それで、何かお困りなのでしょうか?」


 砦門から少し離れて、アタシは出てきた男と向き合う。

 歳の頃は三十代前半、整えられた茶色い短髪に、垂れ気味の細目。地味だが穏やかそうな好感の持てる風貌だ。服は清潔な木綿の上下。飾り気はないが生地と仕立てはしっかりしていて、平民が着るより上質なものだとわかる。


「困ってはいないけど、少し用があったの。あなたは、文官?」

「御用商人です。この砦に物資の納入に来ています」

「王家御用達ってわけね。……ちなみに、派閥は?」


 砦門前の兵士から聞こえないように声を潜めて訊くと、御用商人氏は苦笑して肩を竦めた。


「ご想像にお任せします。国境城砦ここは中央直轄ですが、周囲は王女殿下の統治領ですから、領内そちらでの商売もさせていただいてます。真っ当に・・・・行っている限り、王家の事情は我々商人の利害には絡みませんし」

いままでは・・・・・、そうかもね」


 怪訝そうな顔をしているが、わずかに目が光ったのを見逃さない。温和であろうと商人は堅気ではないのだ。


「悪いけど南部領は、これから爆発的に発展するわよ。想像もしなかったほどの人と金が動くし、そのなかで上手く食い込めた・・・・・者は望んでもいなかったほどの富を得るわ。王家の事情に大きく巻き込まれるし、政治的にも軍事的にも難しい選択を迫られる。そしてあなたたち商人はその中心で翻弄されることになるわ。そこで浮かぶも沈むも能力次第。……どう?」

「どうもこうも、浅学非才な身ですから想像すらつきませんが、戦争でも起こす気ですか」

「そうよ、王女殿下に宣戦布告は済ませたわ。あなたにも御挨拶しとこうかしら」


 御用商人氏はその言葉を笑顔のまま聞き流したが、包みを解いたアタシが差し出した菓子箱には、思っていた以上の反応を見せる。


「こ、れは……」


 なるほど、つまりこれ・・を見たことがあるわけね。

 お渡ししたのは王女殿下だけだから、王族かよほどの上流階級しか知らないはずなんだけど。見た目は若いのに、思ったより有能みたい。魔族と対峙中(と王国民は思ってる)の最前線まで納品に来るってことは肝も据わってる。

 唾つけとくのも悪くないかも。後でおまけ・・・も付けちゃいましょう。


あなたが見たの・・・・・・・は色付きの箱でしょう? これは、ひと味違う“白箱”」

「……!」


 あら、一瞥しただけで顔色が変わったわね。そこは減点だけど、こちらの意図を読んだのだ。勘と先を見る目はある。


「開けても、よろしいでしょうか」

「もちろん。味もみてもらって結構よ。まあ、アタシを信用してくれるなら……」


 いい終わるより早く箱を開き、包みに触れて、ひとつを剥くと素早く検分する。飢えた子供みたいだけど、似てるようで違う。この敏い商人が飢えているのは、菓子に含まれる情報・・だ。

 指先で割って、欠片を口に入れる。視線が左上に向いているのは記憶のなかの情報と照らし合わせているのだろう。


「なんて怖ろしいこと・・・・・・を」

「あなたホントに優秀ね。たぶん正解よ。売値はお披露目・・・・までに考えておくけど、庶民でも頑張れば手が届くくらい、かしら」

「王都の菓子職人や商人が聞いたら震え上がりますよ」

「そのなかにあなたは・・・・いるのかしら?」


 スッと無表情になった商人氏の頭のなかで様々な人名地名商品名と数字が踊っているのがわかる。

 それはそうだ。既存の販路を持つ職人や商人が恐れるのは超高品質な稀少品ではなく、むしろ安価な普及品だ。いくら質が高かろうと、数が少なければ、さほどの脅威ではない。


「原価は王家に贈られたもの半分より少し上、でも売値は半分以下、ほとんど捨て値になるはずだ。というよりも、あなたにとって原価は問題じゃない・・・・・・・・・んですね?」


 ああ、このひと、ちょっと想像以上かも。

 “白箱”は普及品、有り体にいって廉価版だ。使われる素材の質は落とさず種類を絞って、包装紙と箱の作りを簡素にしたことでコストはおよそ半分強。でも作った目的は彼が察した通り、コストダウンではない・・・・。それは、高級品との差異を示すための指標。裾野を広げて体験者を増やし、この先にはより高くより素晴らしいものがあると理解してもらうための呼び水・・・だ。

 ちなみに、姫騎士殿下にお持ち帰りいただいたのは、女性用に拘った“色箱”。他にも選ばれた人だけに配る贈答用の最上級品、“黒箱”もあるのだが、商人相手に手の内を晒すのはまだ先にしておく。

 庶民用に簡易包装のみにしたお徳用袋や、かたちが崩れたもの(味は同じ)を詰めたB級品アウトレットも出したいが、それはブランドを確立してからの話になる。


「王宮での茶会で、これの出所は絶対に教えられないといわれましたが、あなたは」

「ハーンよ。以後お見知りおきを」

「まッ! …………魔王!?」

「ええ、お飾りのね。特技は安癒、趣味はお菓子作り」

 

 歴戦の兵と同じく肝が据わっているのか、若き商人はすぐに硬直から立ち直る。

 

「……失礼、しました。ご挨拶が遅れました。南部領で食材と補給物資を商っております、ルーイン商会の会頭、マーカス・ルーインです」

「やっぱり、お若いのに偉い方だったのね」

「いえ、王都に店があったのは先々代までで、いまは名の通りの廃墟ルーインです。それで、魔王自ら護衛も連れず、この砦にいらした御用件というのは?」

「宣伝と、人材募集・・・・ね。マーカスさん、あなた家族は」

「妻と娘がひとり」

「あら残念、だけどちょうどいいわ。あなたたち・・を御招待したいの。知り合いもいたら、是非お声を掛けてくださらないかしら」

「招待? どこにです」


 そりゃ当然そこでしょうよと、アタシは親指で背後を指す。

 王国民からは何と呼ばれているかは知らないけど、辺境に聳え立つメレイアの威容。恐ろしく短時間に出来上がった、魔王領の最前線基地。ことにそれが商人なら、興味がないとはいわせない。思った通り、彼の眼は釘付けになる。


「まさか、あなたは……そこで」

「ええ、お店と娯楽施設を開くの。あれは我が商会の、いえ魔王領の砦。あなたとは……とりあえずは・・・・・・商売敵ってことになるわね。そこから先の関係がどうなるかは……アタシたち次第・・・・・・・


 商人マーカスが捧げ持つようにしていた菓子箱の上に、もうひとつ試作品の包みを置き、おまけの酒瓶を手渡す。喜びと驚きと期待と不安と緊張とたぶん自分でも何かわからない感情とで、彼がどんどん青褪めていくのがわかった。

 最後に、封筒に入れたチケットを載せる。

 なかには限定された最上級顧客に対するプレミアムチケット数枚と、一段落ちるサービスチケットの束。大陸公用語で、オープンの日時と詳細が書いてある。どう生かすかで彼の器量がわかるというものだ。


 アタシは踵を返し、満面の笑みで彼を振り返る。


「お待ちしてますよ、マーカスさん。我が魔族の持つ能力の全てを注ぎ込んだ、商いの底なし沼・・・・・・・でね」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る