過去からの使者

 王妃陛下が取り出した書類を執事のクリミナスさんが受け取り、アタシの前に置く。

王国の国璽こくじが入った正式な契約文書。王妃の署名は済ませてある。


「王国軍事刑務所に収監されている獣人族ウェアの死刑囚は、349名。結論からいうと、引き渡しは可能です」

「良かった」

「侵略への賠償金名目で、3万クラウンの支払い……ちなみに減額に大した意味はありません。それと、軍事協定の締結。基本的には、先日あなたがマーシャルと交わした“約束”と変わらない。戦争は事前に宣戦布告を行い、そうでないときは互いに干渉しない。戦争以前に解決可能な問題は公正に話し合う。王国ウチの法務局がちりばめたお飾り・・・を外すと、そういった意味のことしか書いていません」

「ええ。ありがとうございます。問題ありません」


 アタシも署名して、レイチェルちゃんから預かった魔王領の国璽(国じゃないけど)をして、クリミナスさんに渡す。

 これでひと安心だ。


「移送と引き渡しの期日と条件はクリミナスから連絡させます。問題や変更などがあれば、その都度、魔珠通信でお伝えしますね」

「はい、お願いします」


 アタシの言葉に、クリミナスさんが黙って頭を下げる。

 それにしても、この執事さん、初老で長身の割に動きに無駄がなく、移動中にも音を立てない、立っていても気配が薄い。もしかしたら名のある兵士か騎士だったのかもしれない。


「これで、よろしかったのですか? あなたがいわれた通り、“罰則も拘束力も担保も付随条件もなしの、ちょっとした口約束でしかない”ものなのだけれど」


 マーシャル王女がこちらを見て、困り顔で小さく首を振る。王妃陛下も魔珠放送を御覧になったのだ。しかも王国政府の傍受それを、意図的にこちらに教えた。胸襟を開いてくれたということだけど、王女殿下はそれが不満なのかしら?


「十分です。それ以上のことを望めば、過剰な権限を持った上位組織が必要になります。少なくとも、監視機関が。この世界・・・・で、それは現実的ではないでしょう?」


 王女の困り顔が深くなり、首振りが激しくなる。おまけに王妃陛下までそれにならう。なに、どうしたのこのひとたち。


「あなたは私たちが知らないこと、存在しない物を、当然の事実のように話す。まるで違う世界を見てきた・・・・・・・・・みたいに。やはりあなたは、別の世界・・・・のひとなのですね」

「それは、魔族という意味ではなく?」

「王妃陛下は、貴殿が転生者なのではないかと、考えておられた」


 ああ、そういうことね。王妃陛下の誘導尋問だったのだ。そして王女殿下はそれに乗らないように止めようとしていた。わかんないわよ、そんなの。


「……そうです。会ったことはないですが、たぶん先代魔王も」

「では、ハーンというのは」

「単なる思い付きです。名無しでは不便ですから」

「本名はあるのでしょう?」

「元の世界と一緒に捨てたので、もう忘れました。あまり、良い思い出のない名前でしたし」


 何をペラペラと余計なことをいっているのかしら。

 このひとは苦手だ。悪いひとじゃないんだろうけど、出さなくても良い感情が表に出そうになるし、話さなくても良いことまで、つい話してしまう。

 どこかで聞いたことがあるなと考えて、思い出した。

 アタシの能力だ。おそらく魅了か幻惑の補助効果。元宮廷魔導師なら使えても不思議はない。自分の上位互換みたいな存在だから、上手く接することが出来ないのだろう。


「すいぶんと、数奇な運命に翻弄されていらしたのね」

「同情するには及びませんよ、王妃陛下。彼は自分だけではなく周囲をもその余波で掻き回しているわけですから。特にこのわたしが、翻弄され過ぎて沈みかけているところです」

「マーシャル、このところ性格が明るくなりましたものね」

「いッ、いまの話のどこをどう読み解けば、そういう結論になるのですか!?」


 義理の親子というけれども、ふたりは仲良いのね。笑顔でふたりを見るアタシに、王妃陛下が少しだけ迷いを見せた後、向き直った。


「さて、魔王陛下。前交渉は無事終了、懸念事項の契約も締結されました。そこで、お食事の前にひとつだけ最後のお話……いえ、お願いがあるのです。聞いていただけますか」


 嫌な予感はひしひしと感じる。でも拒否など、出来るわけもない。

 黙って頷くアタシに、後ろから・・・・声が掛かる。


「新魔王陛下」


 振り返ると、執事のクリミナスさんが、深々と頭を下げていた。


「自分は、魔王軍第1特殊作戦連隊、第2戦闘中隊長、クリミナス少佐であります」


 魔族、だったのね。気配がないわけだわ。上級将校ってことは、魔人族イヴィル吸精族ヴァンプか、その混血ってところかしら。


「先代魔王陛下の命により、単身王国政府に降り、獣人族兵士による王国との戦闘回避を図りましたが、西部領軍の説得に失敗。彼我に多くの戦死傷者を出し、自分の説得に応じて投降した同胞も、帝国の走狗として刑死を待つのみとなっておりました」

「……ああ、うん。それは、ご苦労さま。もう大丈夫よ、ちゃんと助けるから」

「それにつきましては感謝の念に堪えません。ですが、新魔王陛下に、お伝えしたいことが、あります」


 なんとなく、聞きたくないわ。でも無理よね、たぶん。

 王妃と王女に視線で助けを求めるけど、ふたりともさり気なく目を逸らしてるし。ここまで来てハシゴ外すのやめてくれないかしら。


「王国軍への侵略は、我らが望んだものではありませんでした」

「まあ、それはそうでしょうね。王国軍の死傷者を考えると、攻撃も手加減をしたとしか思えないし、最初の会戦で降伏したってことは、王国への侵攻が獣人族兵士かれらの意に沿わないことだったのかとは思った。でも、だったら何故、帝国の命令に従ったの?」

「帝国軍の、督戦とくせん部隊がいたのです。命令に従わなければ、魔王様を殺すと」

「……ッ!?」


 いま、なんて?


「自分が王室直属の精鋭部隊をお借りし、督戦部隊と伝令兵を殺した頃には遅く、西部領の王国軍に死者を出してしまいました」

「待って、魔王様を殺す?」

「魔王陛下は、帝国に囚われていたのです。我々が捕えられていたのと同じ、帝国軍の海上要塞に……」

生きてるの・・・・・!?」

「ええ。少なくとも、自分がそこを出たときには、まだ」


 と、いうことは……


「この身に出来ることならば、どんなことでもいたします。どうか、先代魔王陛下を、救っていただけないでしょうか!」


 そう、なるわよね。気持ちはわかるわ。でもこのひと(たち)、どうも誤解してると思うの。わかってくれてないか、頭ではわかっていても、その危機的状況までは理解してもらえてない。この場でいうのも何だけど、軍事力的には新魔王軍アタシんとこ……


 ほぼ丸腰なんだってこと。

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