第5回『プラチナデータ』

● 『プラチナデータ』(邦画)



 東野圭吾原作・嵐のニノが主演。

 DNAデータを基に犯罪捜査が行われる近未来を舞台に、自らが携わるDNA解析捜査で連続殺人事件の容疑者となってしまった科学者の逃亡劇を描く。

 ちなみに私は、原作未読。うわさによれば原作と違う部分も多いようだが、私にとっては最高だった。

 特にエンディングは、感動的だった。

 今日は、この映画を通しての気づきを、シェアしていきたい。

 ただし、ここから先はネタバレになってしまうので——

 まっさらな頭で、この映画を見たいという方は、読まないでください。



 この作品の中で大きな前提となっているのは、DNA捜査というものである。

 全国民のDNAデータを国が保有しており、事件の際には、DNAデータさえ現場から得ることができたら、冤罪の恐れなく間違いなく犯人を特定できる、という優れもののシステム。

 このシステムに絶対の自信を持つ開発者のひとり、神楽(かぐら。二宮和也演じる主役)は言う。

 全国民のDNAデータのことを、『プラチナデータ』と呼ぶのだ、と。プラチナ、つまりそれだけ『貴重な』『極上の』データである、ということだろう。



 しかし——

 皮肉にも、ある事件においてこのシステムが割り出した犯人は、システム側の人間である神楽であった。

 理解不能な事態に驚く暇もなく、警察に犯人と断定された神楽は逃亡。

 その逃亡劇の果てに、真犯人が明らかになる。

 ある程度のネタバレは仕方がないが、さすがにここは言わないでおく。

 筆者は、最初にああこの人怪しいな、と思ったらやっぱりその人が黒幕だった。

 この映画は、謎解きとしてはB級である。

 序盤に、原作未読で前情報ゼロの私に当てられてしまうくらいだから。

 しかし、この映画の最大の魅力は、もっと別のところにある。



 最後の最後。

 ニノくん演じる、システム側の人間・神楽は——

 自分が生み出したシステムが、人を救わないと悟った。

 そして、自分が命がけで信じてきたことが、崩壊するのを感じた。



 彼は、常々人に言ってきた。

 DNAこそが、人のすべてを決める、と。

 実際、操作時にDNAのサンプルがあるだけで、身長体重その他、細かい身体的特徴まで分かり、モンタージュ写真どころか体全体まで3Dで再現できてしまう。

 さらには、短気だとか小心者だとか、性格の傾向まで分かってしまう。

 そういうものを開発する男だから、当然DNAで人のことはすべて分かる、くらいに自信を持ってしまっても仕方のない部分がある。しかし、彼はある事実を知った時に、自分の信じてきた信念が絶対のものではないことに気付く。

 実は、彼は多重人格者だった。

 普段は、神楽という科学者。そして、交代人格として『リュウ』という青年が現れる。この二人は、性格も雰囲気も考え方も、まったく違う。

 でも、同じひとつの体の中に、それが共存している。

 DNAで、そのDNAをもつ人間のすべては決まるはずなのに——

 まったく相反する二つの人格を、その肉体は保有しているのである。

 DNA解析では、説明がつかない。

 なぜ?

 神楽は、考え抜いた結果ある結論に達する。



 ……そうだ、意思の力だ。



 DNAが、すべてを決めるんじゃないんだ。

 確かに、それがある程度支配する部分もあるが、それを凌駕するほどの力をもつのが、人の意識の力なんだ。

 意思の力・思いの力こそが、DNAという決まり事を越えて、奇跡を起こせるんだ——。 



 この映画は、一見DNAという題材を使って、来るべき危機……つまり人間がエゴによって科学を悪く用いる可能性について、警鐘を鳴らしているような映画にとらえられるかもしれない。

 でも、これははっきり言って福音である。

 素敵なメッセージである。

 どんなに、人はバカをすることがあっても、最後には帰ってくるよ。

 どんな数式でも、法則でも知識でも表すことのできない、思いというものや感情というものに。気取った言い方をすれば、『愛』 に——。

 私はこの作品を見て、そのメッセージをしっかりと受け取ってきた。



 スピリチュアルの世界でも、宗教の世界でも自己啓発の世界でも、様々な知識や法則性が語られる。

 少なからぬ人々が、その表面上の知識なり法則に囚われて、それ以外を認めなかったり非難したり。

 決して、楽しくも幸せでもないだろうに、使命感なのか善意なのか分からないが「間違っている」ものを攻撃するのに、日夜忙しい人もいる。

 私は、人がどんな信念をもっていようが、そんなことはどうでもいい。

 この宗教を信じているからダメとか、これを受け入れてないから私とは違う世界の人だとか、そんなことは考えない。

 ただひとつ、私が他者に願うことがあるとすれば——



●熱い思いをもってほしい。

 情熱を、自分を突き動かす強い原動力を、内にもってほしい。

 この世界には、様々に我々をしばる決まりや法則がある。

 その縛りを越えて偉大なことをなせるのは、意識の圧倒的な力だけだから。

 そしてそれを引き起こすトリガーとなるのは、愛。

 つまり、他を自分と同じように大事に思うことである。



 法則を越えられるのは、思いの力。

 物理法則や、一見越えられない縛りを超えるのを可能にするのは、意識を最大限用いた時のフルパワー。

 結局、どんなに感情から目を背けて、美しい数式の中に逃げようとも。どんなに愛から目を背けて、例外などない、安心できる科学の中に憩いを求めても。

 人である以上、どんなに遠回りをしても、結局「ひとつになろうとする」ゲームに帰ってくる。

 ひとつになろうとするというのは、露骨に言えば無形なる思いの世界において他者を慈しむことである。肉体的には、触れ合うことである。



 この映画のラストシーンは、見る者に安心感を与えてくれる。

 人間であるかぎり、この営みが捨てられない限り、この世界も捨てたもんじゃない。必ず、何とかなる。

 この映画は怖い近未来を描いているようで、実は大丈夫だからガンバレ、というエールなのだ。



 結局、真のプラチナ・データとは——

 思いの力が現実の壁を壊す、という知識であり、確信のことなのだ。

 それ以上の価値のあるデータ(情報)など、世界に存在するだろうか?

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