第22回『キャリー(2013年版)』
【ストーリー】
狂信的クリスチャンの母親から厳しい教育を受け、学校では周囲から疎外されている女子高生キャリー(クロエ・グレース・モレッツ)。彼女は、激しい興奮状態に陥るとある能力を使うことができるテレキネシスだった。それを誰にも打ち明けることなく、キャリーはつらく寂しい日々を送っていた。
そんな中、ひょんなことから彼女は女生徒たちの憧れの的であるトミーとプロムパーティーに参加することに。喜びに浸るキャリーだが、その裏では彼女への残酷ないたずらが計画されていた……
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スティーブン・キングの往年の名作 『キャリー』 を映画化したもの。
1976年にできたブライアン・デ・パルマ監督の手による作品もあるが、今回は無視する。
今日語りたいのは、あくまでもクロエ・グレース・モレッツ主演のこの新しい方なのだから。
比較して何かを論じることほどくだらないものはない。
お兄ちゃんと弟を比べて語る親のようなものだ。
兄は兄であり、弟は弟である。ただそれだけのことなのに。
まず、『神はいない』ということがよく分かる。
この映画のキャッチフレーズが、『God won't save you』(神はあなたを救いなどしない)である。
そう。あなたの外側に、ちっぽけなあなたを救い得る偉大な神はいない。
神はいないと言ったが、それもどの観点で見るかである。
神はいる。それはあなたただ。人間ひとりひとりだ。
だから、キャリー自身が神だ。
そりゃそうだ。キャリー自身しか、自分を救えない。
キャリーのお母さんは、キリスト信仰にハマるあまり、少々その信じ方が行き過ぎてしまった。聖書の言葉を、自分勝手な尺度で理解し、それを他人である娘にも強要しようとした。
自分の信じるところを、それがどんなに良いものであっても、勧める(ただし強引なレベル)のは愚かしいということが、本当によく分かる。
人は、このお母さんの狂信ぶりを笑うかもしれない。
でも、本来は笑えないんだぞ。
あなたも、似たり寄ったりだぞ。
程度、という概念は、この二元性世界独特の幻想。
方向性が同じなら、価値は同じである。
そして、『親切とおせっかいの境界線』という問題。
この作品に出てくる登場人物の中に、キャリーの味方になろうとする人物がいる。
いじめられているキャリーを守ろうとする、女教師。
いじめを止めなかったことで自分も同罪だと、償いの思いからキャリーに親切にしようとするクラスメイトの女の子。彼女は、自分の彼氏をけしかけて、キャリーをパーティに誘わせようとまでする。
一見、確かに親切であり、偉く見える。
でも、これは見事に『おせっかい』の部類に入る。
なぜなら——
●正しい、間違っているが行動の原動力になっている。
そうしたい、よりもそうするべきになっている。
無意識に、キャリーを見下している。
自分より「弱い」存在であると。
こういう親切のまがいものが、世にはあふれている。
でも優劣ゲームに皆が慣れ過ぎたこの世界では、責められない部分もある。
命を対等に見ることのできる視力が、かすんでいるんだな。
だから、キャリーは救われなかった。
親切が、逆に傷つける結果になった。
お話は、一応ホラーチックな映画の装いをしている。
人がバッタバッタと死ぬ。
大して問題に絡んでいない人物すら、殺される。
最後には、母親まで殺して自分も死ぬ。
そういうことだけ考えたら、救われない映画である。
ハッピーエンドとは程遠い。
道徳的にもどうか、という話である。
ましてや、血だらけの映像が多い。(この辺が、見る人を選ぶ点だろう)
そこが、この手の作品の残念なところである。
せっかくオススメなのに、そういうのダメな人には最初から見てもらえない。
ま、それも含め起こるべきことが起こっているからいいんだけれど。
上記のような、マイナス要因をもっしても——
私は、この映画が素敵だと思う。
私は、キャリーに下手な同情はしない。
かわいそうだったね、とか辛かったよね、とか。
いいや、すごいよ。
人生の目的は、高エネルギーの感情体験である。
方向性は、どうでもいい。(そこに善悪を問うのは人間キャラのエゴである)
善に執着することですらエゴである、と言えば皆さんびっくりしますか?
とにかく、キャリーの短かった青春は、悲劇ではない。
●そこまでの高エネルギーな感情体験ができたのなら——
かなりの学びになったね!
魂の旅、かなり駒をすすめたね!
私なら、そうほめたいところである。
皆さんは、体験の表面的な方向性だけを見る。
善か悪か、とか得か損か、とか、問題あるかないか、とか。
そこに込められたエネルギーの大小では、あまり見ない。
それどころか、善か悪か、とか得か損か、とか、問題あるかないか、を重要視するので、かなりの機会において、エネルギー面を無視した選択に走っている。
私には、方向性などどうでもよく、ただむき出しのエネルギーが見えるので——
こんなことを言うと不思議がられるが、キャリーの青春は悲劇ではなかった。
ましてや、人より劣ってもなかった。無駄でもなかった。
あえて価値、という言葉を持ち出すとするならば……大した問題もなく、感情は出来事の無難な表面をなぞるだけ、みたいなくだらない人生を生きる大多数の人よりも、はるかに価値のある人生だった。
この作品は、ホントにオススメである。
抵抗ある人にまで、無理にとは言わないが。
私は、ものすごい数の映画を見る。
そんな私ですら、この作品はまれに見る高エネルギー波動の映画であると思う。
(もちろん、そこに善悪はない)
是非、体感してほしい。
悲劇を、ではなく。怒りのパワーを、ではなく。可哀想、という感情でもなく……
●これぞ、この世界に来て感じたかった「思い」のエネルギーのMax版だ!
我々は、これをしに来た。
キャリーは、テキトーに無難な人生を生きる者よりも、ゲームステージをかなり先に進めた。
(まぁ、架空の人物だけどね)
覚醒意識は、善悪で見ない。エネルギーで見る。
でもその後に、ゲームをやっている皆のために、チャンネルを皆さんと揃えるのである。いい悪い、正しい間違っているをあーだこーだ言う皆さんのために。
結構、譲歩している気がする。
え、あなたそんなにしていないでしょ、って? (苦笑)
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