第49回『トワイライト ささらさや』
【ストーリー】
サヤ(新垣結衣)は夫のユウタロウ(大泉洋)を突然の事故で亡くし、赤ん坊の息子・ユウスケと共に佐々良という街へ引っ越す。人に対して疑いを抱かないサヤが、一人で息子を抱えることを心配するユウタロウ。成仏できずに、いろいろな人の体に乗り移って、サヤのために手助けをすることに。
のどかでどこか不思議な町ささらの人々に助けられながら、サヤは母親として成長する。
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私が、この映画の原作を知ったのが、2001年の冬。
書店の、新刊コーナーに平積みで置かれていた。
ちょっと面白そうだったが、ハードカバーで1600円だかいう値段がしたと思う。
そこまで払って読む気にはなれなかったので、文庫化してからでもいいや、と結論した。それ以来、忘れ去っていた。
調べてみたら、3年後の2004年には文庫化しているようだ。つい見逃してしまった。で、今に至る。結局この内容との初対面は、小説ではなく『映画』になってしまった。
私は「リーガルハイ」というドラマにハマった影響で、自分の中で新垣結衣の株がだいぶ上がっていた。この作品はその新垣結衣が主演だということで、たったそれだけのことで劇場に見に行ってしまった。
どうしても見たかったというよりは、映画好きでたいていの映画は行くので、その見るレパートリーの中のひとつにするか、程度のノリである。
筆者はどちらかというと意見が辛口(?)なので、私の中でこの作品の印象は (原作読んでもないくせに) 『きれいごと物語』 じゃないかという思いがあった。
この作品を鑑賞する前日、現実の残酷さを描くシュワちゃんの映画 『サボタージュ』を見てきたところなので、バランスとしてお口直しにいいかな、と思った。
ほとんど期待しないで、ネタ収集程度に行ったこの映画。
驚いた。
良かったよ~~~!
(T▽T;)
意外性のある展開とか、目を見張るアクションとか。
そういう分かりやすい「飽きさせない仕掛け」などないのに。
なぜか、飽きさせない。テンポもよい。何より、物語がしっかりしている。
キャラが立っている。どの登場人物も、見ている間生き生きと動いていた。
なめてかかって、返り討ちに遭ったような心境だ。
今日は、小難しい文章を駆使してこの映画を分析する気にはなれない。
ただ、見る。そしてそこにいるかのように、自分が登場人物であるかのように「感じる」。すると、ただ映画館で席に座っているに過ぎないのに、そこを「生きた」ような気になれる。
確かに、鑑賞中は私はそこにいて、そこの空気を吸い、感じたことはちゃんと胸の内に残っている。不思議だが、そんな気になった。
もちろん、どう感じるかは個人差がある。
私はたまたま、この映画のどこかに強く反応するタイプの人間だったのだろう。
いわゆる 『ツボった』というやつである。
つまらなかった、退屈だったという人は当然いるはずだ。それはそうだろう。
この世界は、スピリチュアルにしろ映画にしろ、「部活」だからね。
それぞれ好きなのに入部するだけ。そこに価値の優劣はない。
この映画の何が、私をそこまで惹きつけるんだろう。
劇中に、売れない落語家の役の大泉洋が、客としてきた新垣結衣(サヤ。後に妻となる)にこう尋ねる場面がある。客がほとんど笑わない中、彼女だけが笑っていたからである。
「……どうして、笑ったの?」
●一生懸命だったから。
人を笑わせたり楽しませたりするには、もちろんセンスや努力、練られたネタも必要だ。構成力、文章力、話術なども必要だろう。
しかし、それらにも増してあってほしいものが、まさにこれだろう。
単純だが、一生懸命なものは美しいのである。
たとえその切り取った一瞬は未熟で粗削りでも、一生懸命さが色あせないなら、道は生まれる。
その道は、必ずしも分かりやすい成功や栄光に続いているとは言えない。
でも、「幸せになる道」であることは請け合う。
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