第34回『闇金ウシジマくん Part2』
【ストーリー】
10日で5割というバカ高い金利で金を貸すカウカウファイナンスの社長ウシジマ(山田孝之)。
ヤンキーのマサル(菅田将暉)の母親はパチンコにはまっており、ウシジマに借金をしていた。
ある日、マサルは暴走族のヘッド、愛沢(中尾明慶)のバイクを盗み、慰謝料として200万円をウシジマに借りるように脅される。
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たいがいのドラマ、小説、マンガで主人公は「正義」である。
いいヤツである。
あるいは、最初道を踏み外しているが立ち直る。あるいは善側に回る。
とにかく、お話の中で設定された「問題」に対して、前向きに解決しようという姿勢を少なくとも持っている。それが主人公というやつだ。
この作品では、ウシジマくんはお世辞にも善人とは言えない。
まず、人を助けない。(助けても、それはきちっとオカネとしてスジの通った理由がある時だけ)
可哀想とかいいことだとか、そういう理屈では絶対動かず、理由によっては他者がどうなってもいい。闇金として金さえ回収できればそれでよく、あとは基本どうでもいい。
主人公のしていることは、淡々と闇金の仕事だけである。
他は、何もしてないと言っていい。
主人公がいいことをしない。ただ、やることやっているだけ。
悪を倒すわけでも、弱きを助けるわけでもない。
(結果としてそうなることもあるが、決して人助けではない)
てか、ウシジマくんたち自体が「悪」とも言えるし。
こういう形式の物語は、珍しい。
『ミナミの帝王』ですら、やはり主人公がいいことをして活躍する物語である。
それと対比してみれば、ウシジマくんのユニークさが分かるだろう。
この映画において、ウシジマくんは主人公、というより『軸』だ。
闇金業者として、徹底してブレない軸。
物語全体を通して、彼は変化しない。スタンスは徹底している。
彼は成長(変化)しない。我を失ったりもしないから、そこからはあまり面白い物語は生まれない。この映画の主人公は、むしろ 『ウシジマ君に関わった、一般の人たち』とも言える。
彼らは、お金という魔物のゆえに我を失う。
愚かな真似もし、とんでもない事態も起こす。巻き込まれる。
ブレないウシジマくんを中心軸として、他の登場人物たちが回っていく。
そして、それぞれの生き様が紡がれる。
普通に考えたら、彼らの行く末、迎えた結末は最悪である……場合が多い。
成功した人、犯罪とは無縁な星の元に生まれた人には、彼らの選択や自業自得な結末に「バカじゃないの?」 と思われるだろう。でも、私にはこの映画で描かれる個々の人生模様が、愛おしい。決してバカにできない。
ウシジマくんは、覚者でも善人でもない。
彼自身は、何もしない。(ただしたいようにするだけ)
ただ、お金という軸で筋が通りきっているだけ。
でも、彼と関わることである気付きに至り、成長する人物も出てくる。
そこが、この映画のうまいところである。
明るい所では、光はぼやける。
圧倒的な闇の中だから、少しの光でもものすごく輝く。目立つ。
決して手放しのハッピーエンドなんかないが、ほんのちょびっとの光(希望)を描いてみせる。それが、観客には本当にまぶしく見えるのだ。
善人がほとんど出てこない映画なのに、感動する。
本当に不思議な映画だと思う。
覚者に関わらなくても、気付きは起こる。
どんなに周囲にくだらない(それは主観的評価)人たちばかりでも、悟る時は悟る。覚者の近くにいると波動が上がるとかどうとか、一緒にいたらいいとかいう話もあるが、私はあまり関係がないと思う。
そういう検証しようのない噂に、あまり騙されないように。
ウシジマくんと関わっても、人がある気づきに至り成長できるように——
●覚者や、人間のできた人と一緒じゃなくても、気付きや成長は起こる。
転じて、どんな環境でも、学ぶ姿勢のある者には必ず得るものがある。
自分が成長できないのを、環境や周囲の人間のせいにしないこと。
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