第37回『ポンペイ』
【ストーリー】
西暦79年の古代都市ポンペイ。
奴隷戦士マイロ (キット・ハリントン) は、不思議な縁で富裕層の商人の令嬢カッシア (エミリー・ブラウニング) に出会い、二人は惹かれ合う。しかし、身分の違いや権力者のよこしまな介入など、物語はもつれていく。
しかし、ちょうどその時ベズビオ火山が噴火を始め、すべてを飲み込み始める。
善も悪も。見境なく、すべてをー
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『こん平で~す!』
タイトルを聞いた時、思わず笑点のあの方以外連想できなかった。
まぁ、そんなことはさておき——
この作品との出会いは映画館なのだが、私はその時この作品を見に行くつもりにしてなかった。本当は別に見たい映画があったのだが、出発前にグダグダして、結局劇場に着いた時には上映時間に間に合わず、かといってスケジュール的に次の上映まで待って見るだけの時間はないし……と考えたら、すぐに見れる映画はこの 『ポンペイ』 だった。
仕方なく見たとは言え……予想を超えて良かった!
今日はこっちで良かったよ! なんて思えるくらい。
本当に、褒めるところしかない。
ただひとつの難点は、悪役のキーファー・サザーランドが24(トゥエンティー・フォー)のジャック・バウアーにしか見えない、という点。
それ以外は、余計なことを全く考えさせない105分間であった。
私がこの映画を痛く気に入ったのは、容赦なく「空の視点」に立っているからだ。甘ったるい人情論は、どこにも入り込む隙がない。
善人だから報われ、いい結果になるとか、悪人だから因果応報でろくな結末にならない、とかそんな単純でつまらない思想を振り回していない。
この作品の主要人物で、最後まで生き残る者はいない。
主人公を含め、全員死ぬ。
善人も悪人も。愛に生きた者も、欲望と権力とに生きた者もある意味平等に。
人は、これを非情だと思うだろう。
神、というはけ口を作り、なぜ? を問い続けるだろう。
で、ある種の人々は文句を言う代わりに『神は死んだ』と言う。
または、「神などいない」と言う。
なぜなら、もし神に意思というものがあるなら。そしてその意志の根本が「善」であり「愛」だとしたら、このようなことを起こす理由が分からないからだ。
お察しの通り、(世間一般が思う意味での)神はいない。
神とはターミネーターのようなものである。
感情や思いがないという意味ではない。『こちらの話が通じない』という意味合いで言うのだ。神は、「可能性のすべて」を、情け容赦なく淡々とコレクションして回る、偏執狂コレクターマシンなのだ。
人は、お話を作る。映画を作り、ドラマを作り、マンガや小説も書く。
そのお話の世界の中で、人も殺す。数奇な運命に遭わせる。主人公もいじめる。
でもそれは、作者がお話の次元にいないから。同じ次元にいたら(同目線だったら)可哀想すぎて、リアルな人間をそんな目に遭わすことができない。
でも、我々にとっては 「完全なお話の世界であって、誰にも実は害がない」 と思っているからこそ、この映画のように全員死ぬ映画も作れる。我々は何と、そういう映画を見て客席で感動さえしているのだ。
幻想であり、まったく問題がないと分かる観点からは、どんなものでも普通に見れる。どんな残酷なお話でも、平気で創作できる。
だから我々は、このゲームを作った何か……シナリオを描いた何かに文句を言う資格はない。だって、同じことしてるやろ?
食物連鎖のピラミッドと同じ。頂点に、シナリオを描いた神 (空)。
それは、連鎖の下にある人間キャラたちを、駒として好きに動かす。
(でも結局すべてのパターンを試すので、「好きに」という言い方は必ずしも正確ではない)
で、我々人間たちはお話を書いて、人を殺す。ひどい目に遭わす。
知ってました? そのお話の世界も、リアルにあるんですよ。彼らは、いい迷惑です。
●要するに、我々は自分たちが他にやっているのと同じことを——
別からされているだけである。
だから、我々が「なぜこんな目に遭うのか?」と神に文句を言いたいならば、我々自身が神の立場になって行う、一切の「物語創作」を辞めなければ、その資格がない。
中には、私別に小説家でも漫画家でもないし。お話なんか作ってないし、と言う方もいるだろう。
でも、あなたはそれでも毎日毎瞬、それと同じことをしていることに気付いているだろうか。
あなたは朝起きてから眠るまで——
思考や自意識に基づいて、いろいろ価値判断や分析をしているでしょ?
経験や学習したデータを頼りに、色々なものを認識しているでしょ?
人は、正しくものを見ることができないのです。そして、色々勝手な物語を頭の中で紡ぎ出します。
ということは日々、あなたはあなたなりの「物語」を生み出しているのと同じなんです。文書として書き付けて残さない、というだけで。
例えばあなたは、Aさんを「イヤなやつ」と認識しているかもしれない。
でも、他の人の意見では違う。その他大勢は、Aさんを「いい人」だと評価しているとする。
あなたは、間の悪い時に、誤解するような場面に出くわしてしまった。
実際はAさんには何の他意もなかったのに、あなたには「嫌われている」と受け取られた。
ホラ、もうこの時点であなたは「物語」を作っている。
あなたという小説家によって、あなたのワールドではAさんは「悪役」を背負う。自分が人にやっておいて、自分がされるのはイヤ?
今日のお話の趣旨は、「だから自分勝手なストーリー付けをやめましょう」ではない。土台、無理なのだ。そのこと自体が、この世界にやって来た目的だからだ。
その目的を放棄するなら、この世界の存在意義が消える。
だから、やるしかない。
これから先も相変わらず、我々には起こることが起こる。
災害だって殺人だってテロだって起こる。
どんなに頑張っても、ムダ。
(ムダというのはゼロにすることに関してであり、減らすことはできる)
だから我々は、今日も好き勝手に、自分の解釈で世界を見、あなたの周りの人物をあなたなりの基準でランク付けする。敵か味方か、善役か悪役か。主要人物か、エキストラか。
実際のその人とは関係ないところで、あなたが生みだした「像」はあなたにとっての本当の誰々さんとなる。だから、~さんという存在は、本人以外に「その人を見ている人の数だけ」宇宙に存在することとなる。
スピリチュアルなどやってると、やたらなぜ、なにを問う人が多い。
問うても、仕方がないのに。
百歩譲ってなぜ、なにが分かったところで——
我々にはそこから先、どうしようもない。
プレイキャラだからね。操られるようにしか操られない。
起こることしか起こらない。
この世界に、あなたに、どんなことが起こっても、それは、誰のせいでもない。
ただ、そうであるというだけ。
なぜ!? と不条理感を感じているあなた、理不尽だと感じているあなたは——
自分の経験や思想、信条の範囲でしかモノを見れていないからこそ存在する。
でも、だからといってそれらを無くしたら、それはもはや人間とは呼べない。
だから、相変わらずこの世界は続いていく。
その理不尽な様を、横目で眺めながら。
●これでいいのだ。
毎瞬を、そう受け止めていくしかないのだ。
「これでよくない!」
そう思ったとしても、そう思ったことそれ自体を受け入れていくのだ。
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