第37回『ポンペイ』

 【ストーリー】


 西暦79年の古代都市ポンペイ。

 奴隷戦士マイロ (キット・ハリントン) は、不思議な縁で富裕層の商人の令嬢カッシア (エミリー・ブラウニング) に出会い、二人は惹かれ合う。しかし、身分の違いや権力者のよこしまな介入など、物語はもつれていく。

 しかし、ちょうどその時ベズビオ火山が噴火を始め、すべてを飲み込み始める。

 善も悪も。見境なく、すべてをー



※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※



『こん平で~す!』

 タイトルを聞いた時、思わず笑点のあの方以外連想できなかった。

 まぁ、そんなことはさておき——

 この作品との出会いは映画館なのだが、私はその時この作品を見に行くつもりにしてなかった。本当は別に見たい映画があったのだが、出発前にグダグダして、結局劇場に着いた時には上映時間に間に合わず、かといってスケジュール的に次の上映まで待って見るだけの時間はないし……と考えたら、すぐに見れる映画はこの 『ポンペイ』 だった。

 仕方なく見たとは言え……予想を超えて良かった!

 今日はこっちで良かったよ! なんて思えるくらい。

 本当に、褒めるところしかない。

 ただひとつの難点は、悪役のキーファー・サザーランドが24(トゥエンティー・フォー)のジャック・バウアーにしか見えない、という点。

 それ以外は、余計なことを全く考えさせない105分間であった。



 私がこの映画を痛く気に入ったのは、容赦なく「空の視点」に立っているからだ。甘ったるい人情論は、どこにも入り込む隙がない。

 善人だから報われ、いい結果になるとか、悪人だから因果応報でろくな結末にならない、とかそんな単純でつまらない思想を振り回していない。

 この作品の主要人物で、最後まで生き残る者はいない。

 主人公を含め、全員死ぬ。

 善人も悪人も。愛に生きた者も、欲望と権力とに生きた者もある意味平等に。



 人は、これを非情だと思うだろう。

 神、というはけ口を作り、なぜ? を問い続けるだろう。

 で、ある種の人々は文句を言う代わりに『神は死んだ』と言う。

 または、「神などいない」と言う。

 なぜなら、もし神に意思というものがあるなら。そしてその意志の根本が「善」であり「愛」だとしたら、このようなことを起こす理由が分からないからだ。

 お察しの通り、(世間一般が思う意味での)神はいない。

 神とはターミネーターのようなものである。

 感情や思いがないという意味ではない。『こちらの話が通じない』という意味合いで言うのだ。神は、「可能性のすべて」を、情け容赦なく淡々とコレクションして回る、偏執狂コレクターマシンなのだ。



 人は、お話を作る。映画を作り、ドラマを作り、マンガや小説も書く。

 そのお話の世界の中で、人も殺す。数奇な運命に遭わせる。主人公もいじめる。

 でもそれは、作者がお話の次元にいないから。同じ次元にいたら(同目線だったら)可哀想すぎて、リアルな人間をそんな目に遭わすことができない。

 でも、我々にとっては 「完全なお話の世界であって、誰にも実は害がない」 と思っているからこそ、この映画のように全員死ぬ映画も作れる。我々は何と、そういう映画を見て客席で感動さえしているのだ。

 幻想であり、まったく問題がないと分かる観点からは、どんなものでも普通に見れる。どんな残酷なお話でも、平気で創作できる。



 だから我々は、このゲームを作った何か……シナリオを描いた何かに文句を言う資格はない。だって、同じことしてるやろ?

 食物連鎖のピラミッドと同じ。頂点に、シナリオを描いた神 (空)。

 それは、連鎖の下にある人間キャラたちを、駒として好きに動かす。

(でも結局すべてのパターンを試すので、「好きに」という言い方は必ずしも正確ではない)

 で、我々人間たちはお話を書いて、人を殺す。ひどい目に遭わす。

 知ってました? そのお話の世界も、リアルにあるんですよ。彼らは、いい迷惑です。



●要するに、我々は自分たちが他にやっているのと同じことを——

 別からされているだけである。



 だから、我々が「なぜこんな目に遭うのか?」と神に文句を言いたいならば、我々自身が神の立場になって行う、一切の「物語創作」を辞めなければ、その資格がない。

 中には、私別に小説家でも漫画家でもないし。お話なんか作ってないし、と言う方もいるだろう。

 でも、あなたはそれでも毎日毎瞬、それと同じことをしていることに気付いているだろうか。



 あなたは朝起きてから眠るまで——

 思考や自意識に基づいて、いろいろ価値判断や分析をしているでしょ?

 経験や学習したデータを頼りに、色々なものを認識しているでしょ?

 人は、正しくものを見ることができないのです。そして、色々勝手な物語を頭の中で紡ぎ出します。

 ということは日々、あなたはあなたなりの「物語」を生み出しているのと同じなんです。文書として書き付けて残さない、というだけで。



 例えばあなたは、Aさんを「イヤなやつ」と認識しているかもしれない。

 でも、他の人の意見では違う。その他大勢は、Aさんを「いい人」だと評価しているとする。

 あなたは、間の悪い時に、誤解するような場面に出くわしてしまった。

 実際はAさんには何の他意もなかったのに、あなたには「嫌われている」と受け取られた。

 ホラ、もうこの時点であなたは「物語」を作っている。

 あなたという小説家によって、あなたのワールドではAさんは「悪役」を背負う。自分が人にやっておいて、自分がされるのはイヤ?



 今日のお話の趣旨は、「だから自分勝手なストーリー付けをやめましょう」ではない。土台、無理なのだ。そのこと自体が、この世界にやって来た目的だからだ。

 その目的を放棄するなら、この世界の存在意義が消える。

 だから、やるしかない。

 これから先も相変わらず、我々には起こることが起こる。

 災害だって殺人だってテロだって起こる。

 どんなに頑張っても、ムダ。

(ムダというのはゼロにすることに関してであり、減らすことはできる)



 だから我々は、今日も好き勝手に、自分の解釈で世界を見、あなたの周りの人物をあなたなりの基準でランク付けする。敵か味方か、善役か悪役か。主要人物か、エキストラか。

 実際のその人とは関係ないところで、あなたが生みだした「像」はあなたにとっての本当の誰々さんとなる。だから、~さんという存在は、本人以外に「その人を見ている人の数だけ」宇宙に存在することとなる。



 スピリチュアルなどやってると、やたらなぜ、なにを問う人が多い。

 問うても、仕方がないのに。

 百歩譲ってなぜ、なにが分かったところで——

 我々にはそこから先、どうしようもない。

 プレイキャラだからね。操られるようにしか操られない。

 起こることしか起こらない。

 この世界に、あなたに、どんなことが起こっても、それは、誰のせいでもない。

 ただ、そうであるというだけ。

 なぜ!? と不条理感を感じているあなた、理不尽だと感じているあなたは——

 自分の経験や思想、信条の範囲でしかモノを見れていないからこそ存在する。

 でも、だからといってそれらを無くしたら、それはもはや人間とは呼べない。

 だから、相変わらずこの世界は続いていく。

 その理不尽な様を、横目で眺めながら。



●これでいいのだ。



 毎瞬を、そう受け止めていくしかないのだ。

「これでよくない!」

 そう思ったとしても、そう思ったことそれ自体を受け入れていくのだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る