第32回『クローズ EXPLODE』

 【ストーリー】


 不良漫画のジャンルで人気を博す高橋ヒロシのコミックを映画化した『クローズ』 シリーズの新章。前作から1か月後の新学期を迎えた鈴蘭高校を舞台に、3年生の卒業により空席となった頂点を目指す壮絶な抗争が、他校も巻き込み繰り広げられる。



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 ちなみに私は、これまでこのシリーズ(前2作)を一度も見たことがない。

 いきなりこれを見た。原作など、もちろん未読である。

 でも、見てよかったと思う。ストーリーなんて、あってないようなもの。

 ムツカしいことはほとんどない。ただ、そこに込められたエネルギーはハンパない。これは、インテリ面してゴチャゴチャ細部を批判する映画ではない。

 四の五の言わず、風を「感じる」映画だ。

 損なモノの見方しかできない人たちが、この作品を酷評している。

 もちろん、そこにいい悪いはない。ただ、人間的な思いとしては、それじゃ残念だと言おう。



 ケンカの強さを、見せつけられれば見せられるほど。

 登場する粋がり男たちが、つっぱればつっぱるほど——

 私は何だか「寂しい」 思いを感じた。

 もちろん、「高校」という彼らの世界では、ケンカが、あるいは力がすべてなのだろう。「頂点(ケンカ王)」の称号を得ることが、最高の目的なのだろう。

 映画だから手放しで楽しめばいいのだが。もちろん私もそうしたつもりだが、何だか彼らがかわいそうになった。

 言葉というものは不便なものだ。私が今言ったかわいそうというのは、決して上から目線で相手が「あわれ」だというのとは違う。

 あえて言うなら、「彼らの本当の価値を、この世ゲーム的に社会が認める(幻想上の)現実にはなっていないことへの申し訳なさ」 と言うべきか。



 彼らは、学校という閉鎖社会にいるうちは、強ければ「お山の大将」でいられるだろう。でも、いつか社会に出る時が来る。

 ケンカが強いことが、大して意味がなくなる世界に放り出される。

 その時につぶしが利かないと、食っていけない。

 いくら一個人の腕力が強くても、社会を相手に勝つことはできない。

 そいつの腕っぷしと男気に金を払ってくれる者は、いない。

 ただ、ヤクザという究極の選択もある。これならば、確かに高校時代のやんちゃ体験も生かされる。しかし、皆が皆そうなれるわけではない。

 極道は、高校生程度の粋がっているガキの遊びとは違う。かなりの覚悟と度胸がいる。だから、一番割を食うのは「中途半端な不良」である。

 不良ならかなり徹底しないと、将来の食い扶持に結び付かない。

 親や社会への不満程度が動機のグレ方では、一生をカッコよく貫けない。



 この映画には、とてつもなくたくさんのケンカファイターが登場する。

 それに全青春を懸けているかのような。

 彼らの内の何人が、今のスタンスの生き方でこの先もやっていけるのか?

 それを考えた時、今のこの世界ゲームの途中経過は、彼らのような人種には酷だ。

 私は、はっきりこいつらが好きだ。

 あきれるほど不器用で、いちいち生き方が下手で。(それは、真面目に頑張っている人はうまい、という比較論で言っているのではない)

 でも、問題を起こすほど「真っ直ぐすぎる」 彼らに、居場所があってもいいと思う。もっと、社会や大人が彼らを受け止める心の余裕と言おうか、度量を持つべきだと思うのだ。

 世間では、とかくそういうヤツのほうが先に 「いいかげんムダなことはやめて、勉強ちゃんとして、世間様に恥ずかしくないよう真面目に努力して生きるべき」 であると思っている。

 世間は、あくまで問題なのは不良たちであり、彼らが先に反省しいい子になるべきだと思っている。自分たちの方が間違っていて、自分たちの方が先に歩み寄らねばならないなんて露程にも思っていないだろう。



 だから、社会は周期的(定期的)に尾崎豊のような人物に風刺され、その機能していない様を指摘されるのだ。しかし残念なことに、安泰な大人たちはそれを単なる「負け犬の遠吠え」として処理して省みることもなく、やはり変わり映えしない社会が続いていくことになる。

 私は中立の観点から、何かが正しいとか間違っているとか、究極にはないと思っている。でも、人間としての感覚からあえて物申せば、非があるのは不良たちではなく、どちからというと世界である。

 もっと言えば、不良ではない「あなた」である。うまくやっている人である。



 だからと言って、社会運動を起こせというわけではない。

 私が不良たちを好きで、彼らを認める度量を世界に持てと言っても、それは私が彼らのやる悪事や暴力を手放しで 「認める・ゆるす」ということを意味はしない。

 何をしても、私は宇宙シナリオとして彼らを受け入れる、というだけ。彼らの在り方をひとつの個性(バリエーション)として尊重するという意味であって、郷に入らば郷に従ってもらう。つまり、この世の常識や法律の範囲で、やったことの責任を問われるのは当然だ。

 相手を認める、愛すると言うことはこの世の価値基準の一切を捨てて、すべてチャラにしてあげるということではない。それは単なる「甘やかし」であり、命に失礼である。

 


 私がお願いしたいことは、ただ彼らのストーリーに関心を持ってほしい、ということである。

 主人公は、父親が死んで養護施設に入れられたことを引きずって生きている。

 この作品に登場する学生たちは、何かしら訳ありである。

 映画というものは、そういうエピソードを含めて登場人物を描いてくれるから、感情移入できるのである。単なる不良ではなく、もうちょっと違う視点で見つめることができる。でも、現実世界では映画のようにはいかない。

 よほどのドラマでも起こらないと、相手の正味の生い立ちや、どういう気持ちで生きているかなんて、垣間見る機会はそうそうない。たいてい、起こったことの表面を撫でて「アイツはワルだ、クズだ」と評価する。深い部分の情報が判断材料として得づらいのだから、仕方がない。

 この社会で、出会う人に手あたり次第生い立ちと今のホンネを聞きまくるのは、現実的ではない。(もちろん、リスクを承知の上なら実行してみてもいい)だったらせめて、正味の相手を理解し得ないのなら、せめて——



●すべての人の行動には、合理的な動機がある。

 一見、どんなに不可解で理不尽な行動に見えても——

 必ず、歪んだ形であれ「幸せになりたい」という共通の種がある。

 例え詳しいことは分かり得ずとも、そこを信用してやることだ。

 それが、一見分かり合いにくい者同士の、和解の道である。

 不良側と、世間的に良識派とされる者達との和解の道である。



 最後に、余談をひとつ。

 この映画の批評のひとつに、リアリティに欠ける、というのがあった。

 無茶苦茶殴り合っているのに、血がほとんど出ない、とか。顔がきれいすぎる、とか。あれだけの死闘を演じたのに、ケガの程度が浅すぎとか。

 じゃ聞きますけどね——



 あなたは、もっと血しぶき立ったら、うれしいのん?

 ホネ折れて、肉が裂けて、目を覆いたくなるようなシーンやったら納得するん?

 リアリティーがあるなぁ、って褒めるの?

 じゃあ、水戸黄門とかも批判しなきゃ、公平じゃないよね!

 


 皆、目先のことに意識を奪われるから、何のために批判しているのかを批判の途中で忘れ去る。こういう批判も、その一例である。

 映画を見るほうも作るほうも、「幸せになるため」に作ったり見たりしているはずだ。喜びためのはずだ。

 なのにいつの間にか、「正しい」という大義名分のもと、楽しくもない 「傷付け合い」が起こる。いい加減、目覚めなさ~い! (阿久津真矢談)



 水戸黄門とか、家族で見てもいいような時代劇でチャンバラにリアリティを持たせてどうなる? そのヘンの切った張ったのバイオレンスを、本当に現実に即して再現したら、多分誰も映画なんて見ない。ほとんどの人が食べたものを吐くだろう。

 ホラー耐性のない人へのレンタル・鑑賞は非推奨で、自己責任の上でってことになるだろう。



 映画に、究極のリアリティなんて要らないんだよ。邪魔なだけ。

 それをやろうとしてえげつない映画を作っている、園子温という監督がいる。

 だから、彼の撮る映像はあくが強く、ある程度の熱狂的支持者は生むが大半からは嫌われる。でも、あえて言うとこの監督でさえ「リアリティ」という基準から言えば生ぬるい。

 リアリティに徹するということは、いいことのようでファンタジー前提であるはずの映画をぶち壊してしまう、というやっかい者なのだ。

 だからさ。リアリティ云々を素人がくっちゃべるの、カッコ悪いからよそうや。



 この手の映画は、感じたもん勝ち。

 細部に気を取られず、メッセージ性を受け取ったもん勝ち。 


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