第45回『イン・ザ・ヒーロー』

【ストーリー】


 特撮作品などで、ヒーローや怪獣のスーツ、着ぐるみを着用し演技をするスーツアクターを題材にしたヒューマンドラマ。25年にわたってスーツアクター一筋の男の姿を、若手俳優との絆やハリウッド映画出演などを交えながら映し出していく。



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 スーツアクターひと筋の俳優、本城(唐沢寿明)。

 その道では一流であるが、顔を出さないので決して目立たず、裕福なわけでもない。情熱の塊(かたまり)にして、アクションバカである彼に愛想を尽かした妻と娘は、別居中。

 決して、幸せいっぱい、というわけではない。それどころか、スタントのやりすぎで首を痛め、本人は強がっているが医学的には危険ですらあった。それでも、彼にスーツアクターをやめさせないものは、一体何か。



 本城に、自分の変身後のヒーローを演じてもらう表の俳優、一之瀬(福士蒼汰)。

 彼は売れっ子のイケメン俳優であり、成功していることもあり多少傲慢。

 スタッフや裏方を、見下したような部分をもつ青年であった。

 でも彼は、やがて本城と付き合うことで役者魂という以前に「人間としての在り方」を教わる結果となる。そして一之瀬は本城の訓練の甲斐あって、ハリウッド映画の出演者に抜擢される。

 それを傍から見ていた本城の同僚が、スーツアクターを辞めていく。

 いつかスクリーンに出る夢を追って苦節~年の仲間が、ついこの前まで役者としての心がけすらなっていなかったガキ(一之瀬)が、こちらがちょっと稽古を付けただけでスターになっていく様を見て、得体の知れないやるせなさを感じたのだ。

「結局、ここじゃだめなんですよ。日の当たるところで努力しなくちゃ、って」

 彼を止めることのできない本城。彼の気持ちは、決して分からないものではなかったからだ。

 それでも、本城は前向きだ。

 彼なりの、スーツアクターを続ける理由があったからだ。



 こだわりの強いハリウッドの名監督が、ものすごい高さからワイヤーなし、CGなしの体当たり演技を撮ろうとするが、予定されていた俳優が怖さのあまり逃げ出してしまう。

 そこで、本城のことを知っていたスタッフが、代わりにやってくれないかとオファーを出す。反対する本城の妻、そして同僚。

 ヤツらは、すごいスタントを撮れればいいだけで、お前がどうなるかまで気遣っちゃいない。そんなことのために、危険を冒すことはない——。

 しかし、反対を押し切る本城。

 


「オレがやらなかったら、誰がやるんだよ。このまま誰もやらなかったら、日本のアクションに誰も夢を持てなくなるじゃないか!」



 子どもの頃病弱だった本城は、ブルース・リーにあこがれた。

 その思いが、アクション一筋の彼を支えてきた。

 自分がアクション俳優に支えられたから、今度は自分が誰かを支えられるアクション俳優になりたい。その思いが、どんなに理不尽なことが業界であっても、彼のモチベーションを保ち続けた。

 そして今、本城は誰に止められようとも、自分なりの譲れない理由で空前絶後の決死のスタントに臨もうとしていた……



 夢って、何のために追うのだろう。

 もちろん、追うからには「叶える」ためである。

 でも、「叶う」ことがすべてだろうか。

 逆に、「叶わない」と分かっていたとしたら、バカバカしくてやらないだろうか。


 

「どんなに頑張っても叶わない夢」というものは、存在する。

 でも、叶うからやるのですか?叶わないから、やらないのですか?

 そんな程度のものを「夢」と呼んでは、夢に失礼である。



●叶う叶わないが、頑張る価値があるかどうかの判定基準ではなく——

 今、まさにそれをやりたいかどうか。 



 人間は、その長い歴史的営みの中で、「成功か失敗か」「勝つか負けるか」によって生じる価値に、重きを置き過ぎた。だから我々人間キャラに、おかしなクセがついてしまった。

 何かを目指したり、努力したりする時に、「最終的に損か得か。うまくいくか。勝算があるか。無様な失態をしないかどうか——」

 ただ純粋に 「やりたい」という思いよりも、それらのほうを気にするようになった。現代人類において、純粋な「やりたい」が負ける機会が増えてきた。

 あまりにも、結果を過度に重視し、時には恐れさえ抱き「神とさえする」ようになった。


 

 しかし、私は思う。



 夢が叶っている人とは得てして——

 夢を追っている最中に、現実や結果を神にまでは祭り上げない。

 まったく気にしないわけではないだろうが、それ以上に「今夢を追えていること」への喜びと感謝、何より「情熱」がある。

 夢が叶う重要なポイントにおいて、人は夢中すぎて、あれやこれや余分なことは考えられないモードになっているように思う。



 私もそうだった。

 ブログ(投稿小説)で食おうと思ってを始めたはいいが、コネなし。名声ゼロ。

 社会的影響力ゼロ。これまで精神を病んでニートしていた人物である。

 誰が認めてくれる保証もない。

 生活はひっ迫していて、決して余裕などない。

 コンビニとか、深夜の工場でバイトでもしたほうがいい現実があった。

 でも私は、ブログ(創作文章)を書くことに時間を費やすことを選択した。

 決して、恐れを克服してとか、無理だという思いを打ち消してとか、そんなことではなかった。もう、何かに突き動かされるように、書いたんだ。

 今後どうなるとか、いつか生活が破綻するのではとかそういうことを考えたくても考えられなかった。ただただ、溢れてくる言葉を書いていたかった。

 本当に、理屈では説明できない。今思い出しても「当時はどうかしていた」としか言えない。

 稼ぎたいや成功したいよりも『書きたかった』。



 この映画は、あの頃の生活できるのかどうかさえ心配しない「ただ書きたい、書くことにすべてを懸けたい自分」を思い出させてくれた。

 リスクを承知で、それでも損得ではなく自分の夢と矜持のために命を懸けられる「アクションバカ」に、私という「小説投稿バカ」「スピリチュアル・バカ」の姿を重ねた。

 正直、私には「今」しか分からない。

 これから先も、現実的に経済的にやっていけるかどうか分からない。

 でも、ひとつのことだけは確かだ。



●結果はどうであっても——(成功者に見えても落伍者に見えても)

 その瞬間、自分が置かれた状況のゆるす範囲で、したいことをし言いたいことを言っているだろう。



 結果とは、ついてくるものである。おまけである。

 それをわきまえた上で、ただ夢だけを全力で追える。

 ヒーローとは見かけのカッコ良さや、実際に世間的成功を収めたかどうかよりも、この姿勢で生き続けられる者のことを言うのだと思う。

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