第8回『藁の盾』
【ストーリー】
少女が惨殺される事件が起き、殺人事件の懲役を終えたばかりの清丸(藤原竜也)が指名手配される。
清丸を殺せば10億円の謝礼を支払うという新聞広告が出され、身の危険を感じた清丸は福岡県警に自ら出頭。清丸の命が狙われるという状況下、警視庁警備部のSP 銘苅(大沢たかお)と白岩(松嶋菜々子)は凶悪犯を移送することになる。
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この映画には、様々なタイプの人間が登場する。
孫娘を殺され、大金を投じて賞金を懸けてでも犯人を殺したい大金持ち。
人情としては殺してやりたいが、守ることが仕事であるがゆえに犯人を守り通すSP。同じくSPではあるが、許せないという心情のほうに軍配が上がり、守るフリふりをして実は裏切る者。
賞金につられて、犯人を殺そうとする人々。それも、ツータイプに分かれる。
まず単純に、お金が欲しいという欲望が動機の者。
一方で身内が病気であったり、借金があったりと、やむにやまれぬ事情で殺人に踏み切ろうとする者。
このように書けば、皆立場が違い、善悪の立ち位置も違うように見える。
もっと単純には、快楽殺人犯 vs 正義、あるいは カネで動く者 vs カネでは動かない者、という構図。
でも、常識やこの世界の善悪感覚をそぎ落とした、一歩俯瞰した視点からこの映画を見ると——
●皆、同じである。
大して、違いはない。
この世界にいる人が皆違い、同じ人が一人としていないのは自然なことであり、また当然である。
ワンネス、つまり絶対なる『一 (いち)』 でしかないもの(神・究極存在)が、個別性(バリエーション)を体験しにきたのである。しかも、それは多ければ多いほどよい。(無限に)
この世界を創造した者の目的は、この世界における可能性のすべてを味わい尽くすこと。喜怒哀楽の、すべてのパターンを体験し尽すこと。
すべてなのだから、極端な善人がいてもおかしくないし、極悪人がいてもおかしくない。そして、そこに価値の差異はない。
だから、なくそうとか、いけないとかいう判断は的外れである。
この世界は、陰陽の正反対の二極のおかげで成り立っているのだから、片方だけもてはやして片方は嫌って排除する、というのはこの世界で生かしていただく上で最も失礼なことである。
だから、この映画の殺人犯のような人間をなくそう、という発想ではなく——
●この世界で一度体験されたことは、コレクションという観点からは収集済み。
だから、二度目以降は趣味の世界になる。
趣味でないのなら、繰り返さなければいい。
例えば、私は小学生のころ、ウルトラマンのカードを集めていた。
種類がたくさんあって、よく出回っている絵柄と、レアな絵柄のものとがあった。
買えばよく当たるやつは、結果だぶって複数枚持つことになる。
でも、一枚あれば十分なので、他人と交換したり、誰も欲しがらなければタダであげたり捨てたりする。
この宇宙におけるゲームの目的は、可能性のすべてを体験し尽くすことである。
すなわち、一度味わった、体験した感覚は、本来もうそれ以上課題提出を求められない。幼児殺害も、快楽殺害も、数にしてもバリエーションにしても、歴史上ずいぶんやってきたはず。
それは例えて言えば、一度やった宿題を、あとで何度もやるようなものだ。
先生はそんなものの提出を望んじゃいない。ただの徒労だ。
ゆえに、ここで人類の叡智が問われるのである。
殺人はいけないからなくすとか、犯罪は悪だから排除する、ということではない。
●もうやっているんだから、二度も三度もやる必要がない。
ホンネで嫌なら、やめれば? ということでしかない。
戦争に関しても、殺人や犯罪に関しても——
加藤茶ではないが、『お客さんも本当に好きねぇ!』 なのだ。
ダメだからなくそう、というスタンスでは、いつまでたってもなくならない。まぁ、永遠の時間があるから、いつまでかかろうが別に大した問題ではないのだが。
いつまでそこにいますか?
もうそろそろ、うんざりしてきたんじゃありませんか? 急かしませんから、踏ん切りがついたらそこから出て来なさいな。私、待ってるから。
精神的な旅の進んだ者は、そのような余裕をもってしかるべきである。
決して相手を裁いて、間違っていると示して変われなどと言うべきではない。
相手もまた神であり、正体は同じ。その魂の本質を信頼し、待つのである。
私が見るところ、すべての人の本質は同じだ。
例えば、この映画の快楽殺人犯。
したいことをしている。
犯人を憎んではいるが、仕事のゆえに守り通すSP。
単純な話、彼は犯人を守りたいのである。
ここで、話をすり替えてしまうのが、よくある過ちである。
確かに、最終的には守った形だけど、心の中では誰よりもサイテーなやつらを憎んでいて……
つまり、100%の純度の『守りたい』ではなかった、と言いたいのだろう。
厳しいことを言うが——
●結果『守る』という選択肢を選んだ以上、彼は『守りたかった』のだ。
守りたくはなかったがやむなく守った、などというグレーゾーンなどない。
結果に関して、ごちゃこちゃ説明をくっつけるのは、弱さであり甘さである。
つまり、SPはあくまでも 『やりたいことをやりたいようにやった』のだ。
カネのために犯人を狙った人物は、まぁ分かりやすい。やりたいようにやっている。ここで分かりにくいのは、経済事情が大変な家族のため、病気の妻のため、借金のため、明日食べるものにも事欠く有様のためにあえて犯行に及んだ者たち。
人はそれを見て、「他者のために、望まない殺人をあえてやった可哀想な人たち]
と思う。でも、私はそうは思わない。
やりたいことを実行した人たち、でしかない。
はっきり言って、家族のためとか生きるためとか、仕方なかったということを訴えるために様々な理屈を持ってくるのは、本質を外している。
●家族のために殺したいんじゃない。
あなたが殺したいだけだ。
劇中、殺人犯に娘を殺された父親が、犯人に包丁で襲い掛かる。
彼は、娘のため、娘の敵 (かたき)をとる、などと言うが——
娘があの世で本当に犯人を殺したいと思っているかなんて、分かりっこない。
要は、父親が殺したいだけ。
自分の気が済まないだけ。
だから、娘をダシに使っている。
そこは、話をすり替えちゃいけない。
例えば、中毒(お酒やタバコ)などもそうだ。
やめたいのにやめられない、という言い訳はウソだ。
そんな状況は、存在し得ない。
要は、やめたくないのだ。
飲みたいし、吸いたいのだ。
なのにそこを認めたくない、という図々しくムシのいい欲求が働く。
だから、やめたいのにやめられないんだ、という素敵な逃げ方を採用する。
だから、中毒から抜け出すひとつの方法は——
飲みたい、吸いたいという自分を認めること。否定しないこと。
それができた人の前には、二つの選択肢が与えられる。
ひとつ。認めて受け止められたので、手放すことができる。つまり、やめられる。
ふたつ。好きだということを認めたので、自己肯定感という背景をもって酒やタバコをたしなめる。
つまり、やめることなく、罪悪感をもたず楽しみつつ味わう道。
この映画は、価値観の違う者同士が、それぞれの立場で「やりたいようにやる」ことからくるすれ違いや、衝突を描いている。実は、この世界における営みは、ほとんどがそれで成り立っていると言っても過言ではない。
私は、自ら執筆する作品を通して、で何度もこう伝えてきた。
●人間は、自分の利益になること以外何もしない。
どんなに、常識的には異常な行動であっても(その常識自体、狂気であるが)、そこには、本人なりのメリットがある。
一方で、こうも言える。いくら世界のためだ、家族のためだと言おうが、結局それは自分のためである。
そこを潔く認められる人が少ないのだ。だから、この世界は幼稚なドラマであふれている。
犯人を殺した者に十億円をやる、と言った金持ちは、最後主人公のSPにこう諭される。
「娘さんが、本当にこの男を殺してくれ、って言ってますか?
よく、聞いてみてください」
ここで、金持ちは気付くのだ。
娘のため、と言いながら、要は自分が殺したかっただけだ、と。
それを認めるのが嫌だから、孫を失った悲劇の祖父、という役にしがみついた。隠れ蓑にした。
まず間違いないことだが、惨殺された悲劇の被害者は、誰も犯人を殺して敵をとることを望んでなどいない。
望んでいるのは、残された者のエゴだけだ。死んだ娘と、犯人を殺したい自分を同一視するという現象が起こっている。(同一化)
でも、この戦いの熾烈なこと、困難なことを私は知っている。だから、ここではこう書くが、実際に被害者遺族を前にして、これを言うことはない。
今、時代は「アセンション」の時代と言われ、人類の意識のシフトにおいて重要な節目だと言われる。
では、何が達成されるのか?
それはすなわち、今まで気付かずに踊らされてきた、自分のエゴの正体に気付くことである。
決してエゴを排除することではなく、エゴと共に生き、エゴを使いこなすこと(手玉に取ること)である。
人類が、この映画で描かれるような悲劇のループから抜けたければ——
●自分のしていることを何かのせいや、人のせいにしない。
自分がしたくてやっているのだと、勇気を出して認める。
その認識の上で、本当にやりたいことか、継続したいことかを考える。
目が覚めたら、手放したらいい。
やはりやりたい、と思えば思いっきりやればいい。
要は、どちらかが正解でどちらかが不正解、ということではなく——
自分が意識的に選択している、という決断上の主権を取り戻すことに意味がある。
~のせいでこうした。~だから、こうするしかなかった。
なんて、波動のしょぼい言葉だろう!
あなたが、人生の主役なのです。あなたが、宇宙を創造しているのです。
すべては、あなたが神として、望み通りに決めることなのだ。
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