第42回『Godzilla(ゴジラ)2014年作品』
アメリカ(ハリウッド)では、二作目となる映画化。
二作目が出るに当たり、一作目(ローランド・エメリッヒ監督版)はもうなかったかのような扱いになっている。まぁ、あれは日本人が慣れ親しんだゴジラというよりは、超身軽で運動能力が高い『恐竜』になってしまっていたからねぇ。一作目がかすむほど、今度のゴジラのハリウッド映画化には期待がかかっていたんだろう。
ゴジラは、ミサイルを身軽に回避などしちゃいけない!(一作目)ミサイルが来ようが、当たってもゼンゼン平気なのが『日本の怪獣王・ゴジラ』なんだから!
……でさ。もう、今回はストーリー紹介はナシね。
そんなん、なんだっていいでしょ!(笑)
怪獣映画に、それ求めちゃダメ。
私は鑑賞してきたが、見ている間ストーリーなど気にしていなかった。
ただ、目の前のスクリーンで起こっている『今ここ』の弩級映像に釘付けだった。
なんせ、私がゴジラ映画に求めるのは、「家族愛」でも 「人間模様」でもない。
そういうのを重要視する向きもあるが、私は潔くそれらは捨てる。
ゴジラがかっこいいか? 強いか? 満足いく怪獣バトルか?
私は今回、そこさえ良ければ言うことないと思っていた。
で、実際のところ、怪獣映画としては文句なしの映像でした!
確かに今回、ゴジラの登場シーンが比較的少ないと感じる部分はあった。
でも、やっぱりあの重量感のあるゴジラが暴れてくれて、しかも背びれが光る『放射火炎』も披露してくれて、満足です! 映画『ロッキー』のような、ヘビー級タイトルマッチを彷彿とさせるバトルでしたよ。ちょっと両者が体を揺するだけで、ビルが倒壊するし。
このハリウッド版には、日本人として渡辺謙が出演を果たしている。
日本版のゴジラ第一作を想わせる、『芹沢博士』役で登場。
実は渡辺謙、この映画では事件解決に特にからんでこない。
役に立ったのは最初のちょっとで、ゴジラがアメリカ上陸してからは何もしない。
ただ、軍の方針にブータレ苦情を言うだけの役。
日本の一作目みたいに、化学爆弾もってゴジラに体当たりしろとまでは言わないが、もうちょっと体張って対怪獣戦に役立ってほしかった。
この映画でのゴジラの意義づけであるが——
単なる人類の脅威というか、『破壊者』扱いではない。
詳しくは述べないが、今回の人類にとっての脅威は、ゴジラではなく別の怪獣である。ゴジラは、それを倒すために出現した。
登場人物のセリフを借りれば、「自然のバランスを守るために現れた使者」。
だから、ゴジラは決して正義の味方でもなく、人類のヒーロでもない。
今回はたまたま、地球の脅威がその敵怪獣だったから、倒すために現れたが——
その脅威が「人類」になった時には、間違いなく人類に牙を剥くだろう。
ゴジラは、見た目には人類の脅威であり、恐るべき敵である。
でも、そんなもんが勝手に出てきたわけではない。
人類の自業自得である。(核開発など)
言うなれば必要に応じて現れた存在であり、それを棚上げするのが人類。
確かに、一部の最高権力者層のエゴが引き起こし、善良な一般市民は何も知らないという状況はあろうが、それは人類全体としての総意の象徴であり、そういう世界にしたのは全体意識である。だから、そこは人のせいにするべきではない、と個人的には思う。我々は何も知らない、すべて軍やトップの政治家のせいだ、という言い訳をする市民ではありたくない。
私が、映画を見終わって思ったことは——
●ゴジラはみのもんたのようなもの(?)
……って感想だった。
クイズ・ミリオネアっていう昔の番組で、みのもんたが挑戦者にニタァッとした暑苦しい顔を近づけて、こう尋ねる。
『ファイナルアンサー?』
ゴジラという存在は、常に人類にそれを問うている存在だと思う。
ゴジラが暴れると、人類は迷惑をこうむる。
でもそれは、必要だから動いている。決して人類に意地悪しているのではない。
難しい言葉を使うと、『摂理(せつり)』 にのっとっている、とも言える。
一見凶悪怪獣にしか見えないゴジラだが、行動指針は「自然の摂理」である。
ある意味、神みたいなもんだな。
そこは、スピリチュアルと同じだ。
現象の表面だけを見て振り回されるのではなく、その奥にある「意味」を読み取る。「解釈」 を大事にする。このことは一体、何の象徴なのか、と考える。
その発想で行くと、ゴジラは暴れながらこういうメッセージを発信しているようなものなのだ。
●お前ら、ホンマにそれでええの?
自然に対して、科学に対して、その姿勢でいくのん?
変える気ないのん?
今回見兼ねてでてきたけど、迷惑するのはあんたらやろ。
私はええけど、あんたらホンマにこんなこと望んでるん?
大勢を泣かせてまで、守るほどに大事な社会体制なん?
そこまでせんと、納得のいく利益を上げて幸せに生きていかれへんの?
そうかなぁ。もうちょっと、ラクに得られる幸せもあると思うけどなぁ。
それで満足できる知恵があんたらにあれば、ウチ生まれんでよかったかもしれんのに。行き過ぎた人類のお目付け役なんて、要らんかったのに。
生きていれば、私たちの周りにも一見すると敵のような存在が出てくる。
意地悪な、好きになれない登場人物も出てくる。
私たちは、ともすればそれらのものを『排除』したくなる方向へ向かう。
今まで筆者が書いてきたように、嫌いなものは嫌いでいい。無理に好きになる必要はない。まして、感謝する義務などどこにもない。(したかったら、そしてできるのなら、やればいい)
でも、そういう人物はゴジラのように——
●お前の生き方は、そのままでいいのかい?
そういうことを問いかけてくれる、使者だと思ってもいい。
もちろん、あなたがダメだからそれを分からせるために出てきてるとは限らない。
ただ、あなたに「どっちか?」を確認してきているだけ。
そのままでいいと思えれば、そのままでいい。
いやな事件は、「自分はこれで行くんだ」という再確認ができ、決意を新たにする良い機会でもあるのだ。逆に「やっぱり自分が変わったほうがいいのかしら?」と立ち止まって考える機会になるのなら、その使者は虫が好かないヤツかもしれないが、あなたのために大いに役立ってくれたことになる。
そういう使者を、あなたがどう見るかはあなた次第。
ゴジラがこれからも必要になるのか、人類が賢くなってゴジラの役目が要らなくなる日が来るのかも、人類次第。人類の成長より少し先に進み過ぎた科学をどう扱うのか。ゴジラは今も、それを見つめている。
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