第55回『アメリカン・スナイパー』

【ストーリー】


 アメリカ軍で最も強い狙撃手と呼ばれた、クリス・カイルの自叙伝を実写化したドラマ。

 アメリカ海軍特殊部隊ネイビーシールズ所属のスナイパーであった彼が、イラク戦争で数々の戦果を挙げながらも心に傷を負っていくさまを見つめる。メガホンを取るのは、クリント・イーストウッド。



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 これほど、鑑賞後の感想を言いにくい映画もない。

 イーストウッド監督の映画は、『万華鏡』に見える。

 いつ見るか、どう見るか、誰が見るかで、まったくその様相を変える。

 表面的には戦争映画なのだが、その見え方は実に百面相だ。私個人は、この映画を反戦映画とか、戦争の愚かさを描いた映画とか思わなかった。



●ただ、「生きる」ということを正直に描いた映画。

 その厳しさから、逃げずに撮り切った映画。

 


 私はイーストウッド本人ではないので、勝手な想像にはなるがー

 最初から戦争映画を作ろうとしていたんではない、と思う。

 この世界で 「生きる」 ということを真正面から描きたい、というのがまずあって、その題材として選んだのがたまたま 「兵隊」 だったので戦争映画という体裁になった、と感じた。



 映画の主人公は、160人以上狙撃したと言われる伝説のスナイパー。

 イラク戦争に4回も従軍し、修羅場を踏むたびに、平和な祖国に戻っての暮らしに暗い影を落としていくことになる。なぜ? どうしてこんなに落ち着き払っていられるんだ? 国を守るために、別の場所では戦争が起こっているんだぞ?

 知ってしまった者と知らない者は、すでに同じ世界を生きていない。

 本人に悪気も悪意もないのに、家族とも心がどこかすれ違う——。



 彼は、それでも四回の従軍の後、退役して「家族の住む世界」に戻ろうとする。

(もちろん、精神的な意味でも)

 その努力の甲斐あって、家族は家族らしく回り始める。

 しかし最後、射撃を教えるはずだった、病んだ元軍人に射殺され、その人生を終える。伝説の英雄は戦場ではなく、親切にしようとした相手にアメリカで殺された。



 我々はつい、「因果」というものを考える。

 だから、何でも単純にその枠にはめて整理しようとする。解釈を付けて、納得しようとする。安心を得るため、と言ってもいいだろう。

 彼は、確かにイラク戦争において戦果を挙げた英雄だ。しかし、結局やったことは「人殺し」である。いくら大義名分、正統性、祖国(ひいては家族)を守るためだと言っても、160人も殺した事実は事実なのだから、その報いだ——。

 王道な娯楽映画だと、ここまでブレずに使命を果たし、自分の見てきた世界やしたことに心を病みながらも家族を守り切ったそのラストは、「ハッピーエンド」としたくなるのが普通の感覚だろう。でも、これは実話ベースの現実。努力は報われるとかなく、いいことをしたらいいことが起こるということもなく、国のために命を張って尽くしたその代償は、民間人に不意に殺されることだった。



 私は、このクリス・カイルという男の生き様に、深い感銘を受けた。

 結局、どんなに言い訳しようが戦争はいけない。人殺しはいけない。どんなに動機がよかろうと、そんなに殺した男にはまともな最期など待っているはずがない。そんなのムシがよすぎる——

「因果」という理屈だと、クリスにはそんな評価と解釈が加わるのだろうな。

 でも、私は嫌だ。

 彼が、結果「大量殺人」をやった者、その報いを受けた者なんて絶対考えない。

 あくまでも彼は——



●生まれ落ちた環境で、その中で出会ったものの範囲で最善を尽くした。

 常に配られた手札の中で、最善の手を尽くし、ゲームセットまでやり抜いた。



 私には、スクリーンを通じてそこしか見えなかった。

 きれいごと信者には怒られるだろうが、戦争そのものがあるべきでないとか、戦うこと自体がいけないのだから反撃しないとか、今すぐ武器(武力を捨てればいいという話は、この映画の感想として言う限りにおいては、くだらなさすぎる議論だ。

 主人公が、子どもにこんなことを教える一幕がある。



「悪を信じない者は、悪が牙を剥いて襲ってきた時に無力だ。

 実際に脅威が襲って初めて、自分の理想主義がいかに薄っぺらかったか、その覚悟のなさを身に染みて分かるようになる。(セリフそのままではなく、つかんだ文意を元に私なりの言葉にしてます)」



 スピリチュアルで、「戦おうとするから相手が生まれる」とか「悪があると思うから、在る」という理屈は、この現実世界ではゴミに等しい。ゲーム画面に登場する敵は確かに画素の集まりであり、生んでいる幻想である。が、ゲーム世界に閉じ込められた者にとってはリアルに「在る」。ゲームである以上、いなくなることはない。

 悪がなくなることがあるとすれば、皮肉だがこの世界が無くなる時である。

 もちろん、「悪」という確固とした何かがあるわけではない。名前はともかく、すべての物事には「両極」があり、その二つは常に一定のバランスをもって絶えずその比率を変化させながら存在し続ける。

 


 因果でなんか、人生を語れるものか。

 バカにするな。

 百歩譲って語れたとして、自我という認識システム(OS) でしか世界を見れない人間にとって、「本当の因果関係」などとらえることができない。今回の映画のように、「こんなに一生懸命生きた人が、なぜそんな報われない最期に? と考えるか、「結局人殺しなんだから、その報いじゃない?」なんて、そんな浅い捉え方しかできないんだ。

 だから、我々がすべきは、サル知恵で見えない世界の真理を色々当てずっぽうに想像するよりも、四の五の言わず差し出された「今という一瞬」を、完全燃焼して次の瞬間を迎え続けること。そして、受け入れ続けること。



 生きるということは、人間側の知恵では何でそうなのか分からないほどに、理不尽ですよね。だったら、辞めますか? 人間。

 頑張っても報われないなら、生きるの辞めますか?

 でもねぇ、不思議ですよねぇ。

 一見報われない人生でも、こうやってつぶさに追うと、どこか魅力がないですか?

 どこか、胸を打ちませんか?

 この世界、何がどうなって動いているのか分からない不気味さを差し引いても、生きるって捨てがたくないですか? だったら、どうなるかはともかく、同じゲームするんならお互い肩寄せ合って協力し合いませんか?



 イーストウッド監督は、そう呼びかけてきているような気がした。

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