第30回『自殺サークル』

※人の言葉で簡単に傷付く自覚のある人は、今回はスルーしてください。



【ストーリー】


 新宿のプラットホーム。

 楽しげにおしゃべりをする女子高校生の集団。電車がホームに入ってきた瞬間、彼女たち54人の女子高校生たちは手をつないだまま飛び降りた。

 同じ頃、各地で集団自殺が次々と起こり始める。

 “事件”なのか“事故”なのか、迷う警察。

 そんな中、警視庁の刑事・黒田のもとに次回の集団自殺を予告する電話が入る。

 本格捜査に切り替え、集団自殺をくい止めようとする黒田たちの奮闘も虚しく再び都内のあちこちで壮絶な連鎖自殺が続発する。そして、落胆し帰宅した黒田を待っていたのは凄惨な家族全員の自殺現場だった……。



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 2002年の、園子温監督作品の映画。

 かなり古くマイナーなこの作品を扱う気になったのは、「自殺」 について論じたいからである。今日は、きれいごとなし。(いつものことだが)タブーなしのホンネ全開でいかせてもらう。

 ちなみに、この映画は監督の悪趣味もあり「グロい」ので、その手の映像に耐性のない方は、手を出さないように。そういう人がこの作品に関わるのは、私のレビューだけにしておいたほうがいい。



「いっせいの~せ」

 ついい先ほどまで、深刻さの陰すらなかった女子高生54人が、手をつないで電車に飛び込む。「ちょっと、死んでみるか」と言わんばかりの軽さである。

 常識的な大人は理解不能に陥る。

 命は何よりも大切。

 親からもらった命。神様から授かった命。なんで。そんなに粗末にする?

 感謝はないのか? 残された者たちにすまないと思わないのか?

 ちなみに今の言い分は、残されたほうの「エゴ」、つまり自分勝手である。もっともな意見に聞こえるが、実は 「死んでいった側の声を聞かない」姿勢である。


 

 宇宙には、起こるべきでないことは起こらない。

 そこに、例外があると思いますか?

 三次元ゲームで作りあげてしまった 「人情」と、空の透徹した中立観念の間には、深い溝がある。だから、徹底して悟りを論じると、そういうことになる。良いも悪いもない。すべてあるがままが完全。

 こういう話は一般に嫌われる。だから、ズルい覚者は平和とか愛とか仲良くとか、そういう薄っぺらい言葉で人気を得、お金を稼ぐ。

 で、そういうタイプの人ばかりで群れて、世間の現実は見ないで世界がそのスピ実践者の基準で「良くなる」夢を見ながら、夢遊病者のように生きている。

 スピリチュアル側に身を置く私が言うのもヘンだが、現実見たほうがいいよ。

 


●世界を変えようと力むよりも——

 世界へのコントロールを手放して、今の条件の中で幸せになる方がいい。

 世を変えて幸せになるより、今の世の中の枠で幸せになれ。

 皮肉だが、そうしたほうが結果として世の中が変わることがある。



 自殺自体に、いい悪いはない。

 起こらない間は、手の打ちようがある。全力で、防いだらいい。

 でも、事実として起こり、過去になってしまったら、認めて受け入れるしかない。

 起こったら、どんなことでも「最善」となる。それが、宇宙の究極の論理。

 死んでなお「お前は間違っていた」なんて、死んでまでそいつに泥を投げるのかい? 手放して、あの世に行かしてやりな。

 自殺に関して「ダメなものはダメ」なんて、私からしたら的外れな理屈である。

 私は、何事に対しても正しいとか間違っているとか言うことが、本来はキライである。でも、自殺が「悪」であるということに対してだけは、「間違っている」と言おう。自殺した魂に失礼じゃない?



 大人たちが作り上げた 「社会ゲーム」は何?

 今まで過去の歴史が積みあがってきて、今に伝えているものは何?

 幸せ、を追い求めること。

 じゃあ幸せって何?

 うーん、多分お金がたくさん手に入ったり、地位や名誉を得られたり、イケメン・美女と結婚できたり、病気や事故で死なないで寿命まで生きれたり……うう、しゃべりながら違うな、って思えてきた。

 そ、そう!ココロだよ。あなたのココロが平安であること。あなたが「幸せ」って感じていること!

 でもそれって、他人は関係するの? 他人の出方によっては、幸せがどうしても得られないこともある?

 そうだね……他人の反応によって人の幸せが決められてしまう、ってのもヘンだよね。じゃあ、あなたの外側に関係なく「あなたの幸せはあなた自身が決める」ってことじゃない?

 だったらさ、幸せなんて「自己満足」なんじゃない?

 ……そうなるね。



●究極の幸せとは、究極の自己満足である。



 自殺は、起こってしまったならひとつのメッセージである。

 このゲーム、つまんない、っていう。

 大人たちは、死ぬなとか命を大事にとか言う前に、自らの身を置いている世界を見ろ。自分自身の生き様を、正視してみろ。

 誇れるか?子どもたちに。

 もちろん映画の世界の話だが、女子高生たちの自殺は——


 

「人生の目的とか、幸せって——

 あんたたちが敷いた、このシステムが物語っているの?

 なんて、つまらない世界。

 現実的な力がある大人たちが、彼らの言う「幸せ」とそれを目指す義務を強要するなら、ささやかな抵抗として、この世とバイバイしちゃおう。

 じゃあね~」



 こんなもののために、私らは生きるん?

 受験に疲れる子ども。いじめに苦しむ子ども。

 家柄。経済状況。容姿。身体能力。その違いに縛られる世界。意識せざるを得ない世界。世間的な基準の評価が高くなることを望む親。

 その中で、養ってくれる者の顔色をうかがって生きることの息苦しさ。

 世の情報をふんだんに蓄え、常に思考することでごまかせる大人はいい。

 敏感であるほど、耐え難い。大人でも、自殺する者はする。

 だから自殺はいけない、と議論をする前に説得する側が考えたい問いかけ——



●生きるって、本当にそういうことなん?



 今まさに、あなたがやっていること。

 あなたの生き様。

 社会全般、大人たちの生き様。

 良いとされている価値観。目標。夢。

 実は、押しつけじゃない?

 私からすると、「幸せになれ」ってのでさえ、押しつけである。

 この宇宙次元は、歴史の積み重ねで、ある程度ゲームが煮詰まった。

 残念なことに、ゲームソフトを途中で変えるわけにはいかない。仮にそんなことができたとして、全員消える。セーブデータを持ちこせないから。

 だったら、目の前の「この世界」と、死ぬまで付き合っていかないといけない。

 でも、イヤなヤツとお付き合いしたい、って人はいないでしょ。

 だったら、同じお付き合いしないといけない運命ならば、相手を「いいヤツ」にするしかない。その場合、相手を実際にいいヤツに変えてから好きになるのでは、いつになるか分からない。だから、相手を変えずに「あなたの視点が変わればいい」。

 物事の良い側面を見ていく、ってことになる。

 今まで自殺者を擁護することばかり言ってきたが、私が彼らをちょっと叱るとするなら、こういう一言になる。



●視点を変える知恵と余裕があればね!



 一般的に自殺というものは 「生きていたってしょうがない」からする。

 もう打つ手がない。どうしようもない。

 でもね、この世界は無限の可能性を秘めていてね、「絶対こう」なんてないんだよ。だったら、絶対無理、もない。

 視点さえ変えれば、正攻法ではなくまったく別の、変化球的アプローチもあるはず。ま、若いってことは熱病におかされたみたいにある感情に囚われやすいから、あまり理詰めで言っても限界があるんだろうけどね。起こる時には起こる。 



 だから、自殺はいかん!って感情論に走る前に。

 私たちは、自分たちが本当に幸せか? ということを考えたい。

 もしあなたが少し強い人間で、多少頑張って生きているのだとすれば、キャラ的にあなたより弱い人はどうなる?

 その人に死ぬな、って言えますか? 私でさえ頑張っているんだから、って?

 みんな辛いことがあっても、死なないで頑張って生きてるんだから……(要するに甘えるな、ってこと)という理屈ほど、くだらないものはない。



●頑張らないで、あなたも死んじゃえば?



 そう。みんなで死んじゃいな!

 もちろん、不謹慎な煽りが真意ではない。

 私がそう言ったくらいで死ねるなら、大した人生じゃないだろうからいいんじゃない?ってこと。

 私が何を言っても、死なない人は死なないし、死ぬ人は死ぬ。

 この世の自殺は、ゲームのリセットの「大げさバージョン」と例えてもいい。

 世の大人は、ゲーム文化を酷評して「ゲームのせいで、簡単にリセット、という発想が若者に身についてしまう。命の大切さ、ということが分かりにくくなっている」 と嘆く。

 失敗の経験に関しても。人生そのものに関しても。

 でも実は、究極の視点的には、「リセット程度のこと」と言うのが的を射ている。 イヤな話だが、そっちのほうが、本質に近い。



 この映画は、決して自殺を美化したものではない。

 残酷なグロ趣味を前面に押し出しただけの映画でもない。

 逆説的だが、これでもかと自殺を描くことで——



●生きるってどういうことか、改めて問うてみ?

 もちろん、ありきたりの無難な答えではなく。



 ……ということを訴えている気がする。投げやりな描き方の中にも。

 逆に、生きろと言ってるような気がする。

 もちろん、今までと同じ生き方で生きろと言ってるんではないことは分かりますね? でないと、自殺を描く意味がない。



 長々と論じてきたが、最後にある文章を紹介して終わろう。

 この映画で、集団自殺事件を追う刑事が、容疑者と思われる人物にたどり着く。

 もちろん、本人と会えたのではなく、電話がつながっただけ。

 で、何と相手の声はどう考えても小学生。

 その子どもは、電話口で刑事にこう問いかけてくる。



「あなたとあなたの関係は何ですか?」



 意味の分からない刑事。子どもは、さらにこう問うてくる——



「わかりますか? あなたとわたしの関係はわかります

 あなたとあなたの奥さんとの関係分かります

 あなたとあなたのお子さんとの関係分かります

 ではあなたとあなたの関係は……



 今あなたが死んでもあなたと関係ありますか?

 今あなたが死んでもあなたとあなたの奥さんとの関係消えません

 あなたとあなたのお子さんとの関係も消えません

 今あなたが死んであなたとあなたの関係は消えますか?

 あなたは生き残りますか?

 あなたはあなたの関係者ですか?」



 この言葉は、「ハーメルンの笛吹き」の効果がある。

 自殺が頭によぎる人は、この笛の音について行ってしまう。

 とりあえず、今この言葉がチンプンカンプンでまったく意味不明な人は、自殺の心配はない。

 意味が汲める人、あるいは魂が反応する人は——

 大きな気付きを得た人か、自殺が身近な問題となっている当事者である。

 劇中のマセガキの問いに、大人が答えてあげよう。

 大丈夫。



 あなたとあなたとの関係は、「ひとつ」である。

 あなたが死んでも、あなたとの関係は消えない。

 あなたは生き残る。というか、命以外存在しない。死は幻想である。

 あなたはあなたの関係者であるしか、あり得ない。

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