第27回『抱きしめたい ―真実の物語―』

【ストーリー】


 交通事故で奇跡的に助かったものの、左半身と記憶能力に後遺症が残ったつかさ(北川景子)。

 そんな過酷な状況でも明るく前向きなつかさに、タクシードライバーの雅己(錦戸亮)は一生愛すると誓う。多くの障壁を乗り越えて結ばれ、小さな命を授かり、幸せの絶頂というそのとき。二人にとってつら過ぎる運命が待ち受けていた。



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 世間的なレビューでは、「淡々としすぎ」という評価が結構ある。

 ドキュメンタリー調でドラマチックな展開も大きな起伏もなく、出来事を追う感じ。でも、私はかえって好感を持てた。



●宇宙に起こる物事は、ただそうであるだけ。



 そういう見方をするのに、適した『教材』になる。

 私たちは、「ただそうであるだけ」の現象に、いろいろな「感情」をくっつける。

「価値判断」というオマケもくっつける。

 もちろん、それらのものは幻想だが、その幻想をこそ楽しみにきている部分はある。だから、「楽しく」使えるのなら、それは素敵なこと。

 でも得てして、それをかえって自分が辛くなること、不幸になることに使われることが多い。世の映画は、人の感情をくすぐる目的で、確信犯的に煽り気味に描くことが多い。

 そういう作品はウケる。でも、この世の人にとって「中立に見る」という気付きを得るには、あまりいい教材とは言えない。

 例えるなら、お酒をやめようとしているのに、部屋の中にお酒の瓶が並んでいるようなものである。ここ一番の頑張りが必要な受験生の部屋に、プレステが置いてあるようなものである。

 いったん手放さないと、何事も本当の意味であなたのものにはならない。



●お酒で言えば、いったんやめてこそ、お酒に対する「主権」を確立できる。その上で、もう本当にやめてしまうか、コントロールを身に着けて適量を楽しめるようになるかが選べる。

 ゲーム好きな受験生がいたとするなら、いったんゲームを断ってこそ、試験に合格して後、改めて存分にゲームができる。



 感情ドラマを真正面から味わい続ける限り、あなたはその上の次元に旅立てない。

 だから、この映画の「撮り方がヘタで、泣けない」という世間の評価は、ほめ言葉である。それだけ、中立であり「ただそうでるだけ」という気付きにいざないやすいから。

「かわいそう」「これは特別なケース」という感想を抱かせないことが、勝ちである。でも、やっぱり幻想ゲームどっぷりの人にはウケないだろうな…… 



 ※ここから先は、ネタバレになります。困る方は、スルーしてください。



 記憶障害の娘を持つ母は、結婚したいという男性に厳しく当たる。

 自分たちが壮絶な思いを抱えて生きてきただけに、中途半端な男にかき回されるのは我慢ならないからだ。今は熱病に浮かされたように好きなのかもしれないが、いつかメッキがはがれて、別れたくなるかもしれない。いいや、その可能性の方がはるかに高い……

 どん底状態の娘を知ってるだけに、あらゆる手段で娘の求婚者を遠ざけようとする。凄惨な闘病生活を撮ったビデオまで見せつける。



 じゃあ、このお母さんは娘に彼氏ができてほしくないのか?

 そんなことはない。それどころか、人一倍できてほしい、と深いところでは思っている。でも思いが深いだけに、厳しいのだ。

 そこまでする裏には、こういうメッセージが込められている。



●どうか私が与えるこの試練を乗り越えて、私を納得させて!

 そして、どうか娘を勝ち取って!



 皆さんも、他者から辛く当たれる経験をする時。

 ほとんどのケースで、あなたを嫌っているからだと結論付けないほうがいい。

 相手は、あなたにその状況を勝利してほしいのだ。

 責める度合いが激しいほど、それだけあなたに期待しているということだ。

 決して、腐ってはならない。

 ここが、あなたが次の精神ステージに旅立てるかどうかの分水嶺なのだから。



 ラスト、主人公の記憶障害の花嫁は死ぬ。

 赤ちゃんを産んですぐに、急性妊娠脂肪肝という珍しい症状で亡くなる。

 これは一万人に一人がなるくらいのまれな症例であり、彼女に起こった事故や障がいは関係ない。

 夫は、考えてしまう。自分が結婚なんかして子どもを生ませたりしなければ、妻は長生きしたんではないだろうか。オレが、彼女の死期を早めてしまったのではないだろうか?

 そこで夫は、自分は彼女と出会い、子どもを誕生させる「ために」出会った、と整理する。でも——



 これも、ただそうであっただけ。



 二人が出会ったことに、究極的な視点では何の意味もない。

 意味のないところに、「自我」という装置が意味をクリエイトした。

 一万人に一人の奇病に彼女がかかったことにも、意味はない。

 ただそうであっただけ。

 逆に言えば、多くの人が健康に生かされていることにも、意味はない。

 だから、どういう「意味づけという名の絵の具」で白い画用紙を塗っていくか、が問われる。

 こう塗らないといけない、などという決まりは一切ない。

 ないのだが、「決まりがある」という錯覚を抱いて多くの人が生きている。

 だから、自分で選ばず「決まっている」と錯覚しているその色を頑張って塗ろうとする。



 この次元で死んだのなら、彼女が死んでいない「並行する別次元」が存在する。

 そもそも、事故にもあっていない世界も存在する。

 事故には遭ったが、二人が出会っていない世界も存在する。

 それが、パラレル・ワールドの概念。



 いつか、すべての可能性を知れる。すべてのワールド(次元)が統合されるから。

 それが、ワンネスに帰る、ということである。

 だから、もしもああしておけば? を心配する必要は究極的にはない。

 永遠という流れの中で、どうせすべてが分かるのなら、とりあえず今どうしておきたい? それを、深刻にならず楽にに決めていくことが、人生ゲームの模範的な楽しみ方である。



 よく考えたら、「記憶障害」って問題じゃないよね。

 だって、さっきまでのことを忘れるんでしょ?

 作中、「今恋に落ちていても、明日オレのことを忘れるんじゃないか?」と男性が心配している。

 いいじゃん。

 だって、「今目の前の人間が好きかどうか」にだけフォーカスできるんでしょ?

 これ、「仮面夫婦」にはオススメ。

 経済的事情で、これまでの過去という年月の呪縛で離れられない、という不自由さがある。結婚も、数年で「更新制度」にしても面白いかも。

 続ける気持ちがお互いにありますか? ってので、更新するか解除するか。

 まぁ、それはちょっと余談であるが——



 知識データとしての脳の記憶がなくなるって、それほど怖いことじゃない。

 だって、魂の記憶とは別だから。

 そっちは、消すことができないから。

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