第124回『ヴィレッジ』

【作品紹介】


 ある田舎の村を舞台に環境問題や限界集落、若者の貧困、格差といった社会の闇を描いたサスペンス。住民の反対を押し切って作られた、村のゴミ処理施設で働く青年の人生が、幼なじみが東京から戻ったことをきっかけに変化していく。主人公の青年を横浜流星が演じ、黒木華や中村獅童、古田新太などが共演する。



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 まず言っておくと、たまの休みに息抜きで、娯楽で見るには向かない。

 ゴールデンタイムに、子どもを含めた家族で見るなどもってのほか。

 別に18禁描写があるとかじゃなく、ひたすら「暗い」のだ。笑うところ、ほっこりするところがほとんどない。ただただ最後まで理不尽と悲劇だけが爆走する。

 横浜流星が、よくこの役を受けたなぁと思う。他ではイケメンのいい役の役どころばかり見ていたから特にそう思う。演じられる役の幅を広げるという意味では、たいへん良い経験にはなったのではないか。



 一般のレビューでは、低評価が目立つ。登場人物の動きに今一つ納得できない、なぜここでこうしないのか疑問、など。確かに、お話の展開に説得力がないと感情移入もしにくい。感情移入こそ映画を気に入るための大前提なのに、そこでつまづくと「ひどい映画」「駄作」「時間返せ」という話になり、これはもったいないこと。

 私は、論理的なことは極力考えないようにして、ある程度頭をボーッとさせて、とにかく大筋で「何を言いたいか」「何が学び取れるか」ということだけにアンテナを張って見続けたら、暗い救いのない作品ではあったが、それなりに得るものはあった。以下、ネタバレを含むので未鑑賞の方で気にする方は気を付けてください。

 一応、そんな作品あえて見たくないという方のために、見なくていいように(笑)かなり詳しめにストーリーを書いておきます。



 霞門村、という架空の村落が舞台である。

 主人公の優という青年は、自然の美しいこの村で浮いた存在である、大型ゴミ処理施設で働いている。そこで日々彼は他職員からのいじめに遭っていた。

 優の父親はその昔、ゴミ処理施設の建設に反対していた人々のリーダー的存在だった。父親は自宅に火をつけて自殺、ということに表向きはなっている。ただその裏で実際何かがあったであろうことは、子どもである優にも何とはなしに感じられていたが、証拠も何もない。

 最初はゴミ処理場建設に反対していた村人たちも、いざできてしまえば誰も文句を言わなくなった。それどころか、反対側だった父の家族である優と母は、村で後ろ指をさされなながら肩身の狭い日々を送っていた。

 このゴミ処理場には表向き秘密にしている裏の顔があった。実は本当は勝手に捨てちゃいけない「危険産業廃棄物」を、カネをもらって真夜中にこっそり埋めるという裏稼業をしていた。優も有無を言わせず手伝わされ、うしろめたさを感じるも村で生きるためにはどうしようもなかった。

 そんな時に、村にふたつの変化が起きる。ひとつは、優の幼馴染で長らく村を離れ東京で暮らしていた美咲という女性が帰ってきて、ごみ処理場に就職する。そしてどこかで惹かれ合っていた二人の仲は急接近する。

 また、ゴミ処理施設がTVで取り上げられ、施設の紹介役として優が出演すると、それが好評となり優は一躍有名人のようになる。

 美咲との再会、そして仲を確かめ合った二人は深い関係に。そして、暗かった優も酒浸りで自暴自棄だった母親も立ち直り、すべては良い方向へ向かうかと思われた。

 だが、それが長く続かない「一炊の夢」のようなものだと思い知るのは、そう先のことではなかった。なぜなら、その見せかけの平和が崩壊する要素は最初から揃っていたのだから——



 村長の息子はヤクザとつるむようなろくでもないやつで、ゴミ処理場の現場を仕切っていて普段から優を目の敵にしていじめている。そこへ美咲が帰ってくるのだが、村長の息子は実は美咲が好きだった。しかし、自分が普段から下に見ている優とくっつきそうだと分かると、実力行使で力づくで岬を襲う。

 携帯電話のやり取りの不自然さから事態に気付いた優が駆けつけ助けようとするが、マッチョで怪力な村長の息子に、ケンカではかなわない。むしろ彼は逆切れして、優をタコ殴りにする。

 もう自制心が失われており、このままでは優は死んでしまう——

 もしこの時、あなたが美咲ならどうしますか? 美咲が作中で実際に取った行動は、村長の息子を背後から刺す、ということだった。

 平和な日常を生きる皆さんは言うだろう。どんな理由があろうと人殺しはいけない。もし殺したなら、いかなる同情できる理由があるとしても、その人は一生十字架を背負って生きることになる、と。

 でも、私などは思うのである。もしここで、人殺しはいけないと指をくわえて見た場合、どうなるか。優は殺され、でも村長をはじめ集落全体の結託で、その死は隠蔽されるか村が困らない誰かのせいにされて終わるだけ。実際劇中で、村長がもろもろの村ぐるみの不正を「最後は全部美咲ちゃんのせい(彼女がひとりでやったこと)にしようかと思っていた」と告白するシーンがある。

 もしここで彼女が殺人を犯さなかったら、優は死ぬ。クズな村長の息子は今後ものさばることになり、いい人間が死ぬ。そして言うまでもなく、優が殺され邪魔者がいなくなったら、美咲はゆっくり体を犯されることになる。



●殺したら十字架を負うだろうが、殺さなくてもそうしたことで最愛の人は死に、悪人は生き長らえ、自分は好きでもない男に力づくで抱かれるというこの上ない辱めを受ける。殺さなかったらなかったで、私が何もできなかったせいで大切な人を死なせた、という別の十字架を背負うことになるんじゃないだろうか。あとになってそのことを悔やみ続けるのではないだろうか。



 この映画を見ていると、善と悪の境目が分からなくなる。他にも最近では「さがす」という映画や「死刑に至る病」という映画などもそんな感じだ。

 筆者は、表向き「人殺しはよくない。決められた法を犯すことは何であれよくない」という態度を取る。だが個別には、事情をよく知った上で「どうしてもその場ではそうせざるを得なかった、それしかなかった」が結果として悪いこととなるものに関しては、司法や警察が裁くとも私は個人的に認めたい。



 ラストで、優は村長を殺す。ある村長の言動が、優のスイッチを入れてしまった。

 優は、自分の父が死んだのは、ただの放火自殺じゃなくて村長が何かした結果だと踏んでいて、それを確かめようとする。「父の時も、裏で手をまわしたのだろう?」と。もしこの時返ってきた答えが「ああ、そうだ」とか「あの時はああするしかなかった」とかいう答だったら、優の行動はまた違ったかもしれない。

 しかし、村長は自分で気付いていないとしたらバカだが、いじめられてきた人間に対して一番言ってはいけない言葉をなぜかチョイスしてしまった。それでは殺されても自業自得だ。



●お前の父親? ああ、なんかやっただろうけど覚えてないな。正直、色々ありすぎて忘れちゃったよ



 他のドラマでも、いじめられた人間が数年後いじめっこの前に現れて「ぼくのことを覚えている?」と問うたら、そいつが「お前誰?」と言った時、復讐を改めて固く誓うというシーンがある。

 いじめられた側がもっとも屈辱なのは、いじめたことを「覚えてすらいない」ということが分かった時である。そんな相手には、自分がどんな損害や社会的制裁があろうが、そんなことはものともせず復讐するものだ。

 これを読むあなた。今は善良な一市民として生きているだろうが、人によっては過去に他人にひどいことをした「黒歴史」があるかもしれない。そういったことは、逃げずにできるだけ覚えておくことだ。忘れようとはしないことだ。何かあった時のためにも。

 そして、たとえウソでも「覚えている」ことにしておきたまえ。「覚えているか」と問い詰められて心当たりがなくても正直には言わず、分けわからなくてもひたすら謝れ。そうすれば、最悪の展開は避けられるかもしれないから。

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