第127回『さよならの朝に約束の花をかざろう』

【作品紹介】


「あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。」「心が叫びたがってるんだ。」などで知られる脚本家の岡田麿里が初監督を務めたオリジナルの長編アニメーション映画。10代半ばで外見の成長が止まり、数百年生き続けることから「別れの一族」と呼ばれるイオルフの民の少女マキアと、歳月を重ねて大人へと成長していく孤独な少年エリアルの絆の物語が描かれる。



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 文章を得意とし、それで生きている人間が安易に使ってはいけない言葉。



●よかった!



 それは、グルメ番組でリポーターが「おいしい!」と言うのと同じ。そりゃ誰だって言えるでしょ、というものを作家や記者が言うとちょっと頼りなげに見える。

 面白かった。見てよかった。感動した。小学生でも言えるその言葉を言うしかないほど、この作品は久しぶりに「圧倒的」な映画だったのだ。

(もちろん感じ方には個人差があります)



 このような素敵な映画は、いちいち内容に関していじった文章を書かずにおこうと思う。未鑑賞の方には余計な情報を入れないで向き合ってほしいから。

 ここからは、作品の内容とは関係なく「人間が超長寿、あるいは不死に近い状態になるとどういうことが起きるのか」をテーマに書いていこうと思う。過去数度、このテーマには触れていて繰り返しになる部分もあるが、重要なことなので何度でも聞いていただこう。(笑)



 色々な映画・マンガ・アニメ・文学作品において、人間が「不老不死」になろうと望むことが多く描かれる。

 手塚治虫先生の『火の鳥』しかり。最近のものでは『地獄楽』というマンガ(アニメ化)において、時の江戸幕府の将軍が不老不死の仙薬を欲しがり、それがあるという生きて帰れないと言われている神秘の島に死罪人が放り込まれる。その薬を持ち帰った者は無罪にするという条件を出して。

 さて、ここからする話で、もっとも重要なキーワードはこれである。



●意識の前提こそが、すべてを決める。



 私たちが今この瞬間、平静を保って楽しく普通に生きていられるのはなぜか。

 それは、心の奥底で「いつかは死ぬ」という前提があるからである。

 皆さんは意外に思われるかもしれない。普通、「いつかは死ぬのだ」と考えることは、いい気分になるかそうでないかを考えたら、ほとんどの人がいい気はしないと考えるだろう。誰だって死ぬのはイヤだ。今じゃないにしても、いつか終わりが来るなんて考えたくもないだろう。

 でも意外ですが、その「いつかは死ぬんだ」という無意識下の前提こそ、私たちの健全な精神活動を支えているのである。

 魚はエラ呼吸する。水なしで魚を飼う人はいない。魚は水の中で生きるものだ、と決まっているし分かっているからだ。それと同じで、人間という存在が適切に生きるためには、「寿命がある」という前提は重要なのだ。



『王様ランキング』というマンガ(アニメ化)がある。その登場人物の中に、敵役でオウケンという不死身の男が登場する。複雑な成り行きで不老不死となってしまった男である。それだけではなく、どんなに体を傷付けられてもすぐ再生してしまい、死ぬことができない。これには、主人公も対処にてこずった。

 そのオウケンはもともと、心優しい男だった。しかし、自分が老いもせず死ぬこともできない体になったことを自覚すると、徐々に精神を病み発狂し、つにはただ残虐で非道な殺人マシーンとなり、言葉も失いまともな意思疎通ができなくなる。

 なぜ? 私たちが考えるのは、今後老いず死ぬこともないと考えるとうれしくなるのじゃ? 心が落ち着くんじゃないのか? と考えるだろう。それは罠だ。



●あなたの中には「いつか死ぬ」という意識の前提があるから、不老不死が「いいこと」のように聞こえるのだ。

 本当にそうなったら、その不老不死が前提として取って代わる。それは、魚が陸(という前提)で生きようとするのと同じで、うつわとフタが合わない。だから、存在そのものが破綻する。



 肉体をもった生命に、不老不死は相性が最悪なのだ。

 神々や超高次元の存在は別だ。あやつらは最初から「不老不死」を前提にすべてが作り上げられているので、病まないしそれが自然。しかし我々人間がその肉体をもったままそれに手を出すと、破滅が待っているのである。オウケンが精神破壊に至ったのは、不老不死をきちんと扱えるスペックもうつわもないのに与えられてしまったから、である。

 もちろん、人間の本当の正体は「神」であり、死という属性とは無縁の存在である。でもこの幻想世界に夢を見に来て演じているため、そのことはここで考えてもあまり意味がない。



 今回紹介したこの映画作品の主人公は、そもそもが「おそろしく長寿というスペック」を最初から前提としてもつ者であり、あとからそういう力を手に入れたわけでないため、本人問題では破綻しない。

 ただ、それが寿命の短い「普通の人間」を愛してしまった時、100%その愛する者に先に死なれるという現実の前に、どうするのかというのが映画のテーマである。

 これぞ正解、なんてものはないが皆さんがそれぞれに考えていただけたらいい。

 やっぱり、私は銀河鉄道999の星野哲郎のように「たとえ寿命があっても、生身の体がいい」派である。死はそこだけ考えると辛いしいやなものだが、それがあるおかげでこの世界は成り立ってるのだと思うとありがたい。

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スピリチュアル映画評論 賢者テラ @eyeofgod

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