第54回『悪魔は誰だ』
【あらすじ】
2013年の韓国映画。
我が子を誘拐殺人され、未だ犯人が見つからないことに苦しむ母親。
最初からその事件を追い続けている刑事。
その二人が、事件の時効15年を迎えるに当たってとんでもないことに巻き込まれていく——。
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少々、重苦しい映画ではある。
心の元気な時に、気合入れて見るくらいがよろしい。
間違っても、精神状態のしんどい時に流す映画ではない。似た映画を挙げると、『凶悪』というタイトルの邦画あるが、あれにちょっと近い。
でも、ふたつの点で、私はオススメなのである。
まず一点目。
●二転三転する展開。
見る者に視点の柔軟さが求められる。
私は、見せられる映像の流れに従ってあれこれ邪推せず、素直に鑑賞した。
そしたら、見事に裏切られた。(笑)
真相は、なかなか意外なものだった。
ちょっと描き方が強引な部分や、場面の時系列の並びが不親切だったりする
(前振りもなくいきなり過去の回想場面になっていたり。普通は画面の隅っこをぼやかしたり、色合いを変えたりしてリアルタイムの軸とは違う話だよ、ということを分からせるが、その親切さがこの作品にはない)
卓球の試合観戦のようなものだ。目まぐるしいので球をちゃんと目で追っておかないと見失う。それと同じで、注意して見ておかないと作品の時間軸で 「今」 起こっていることなのか、過去の回想なのかが整理できなくなり、混乱してしまう。
この作品に欠点があるとすればそこくらいで、本当に骨太な良作である。
では、オススメ根拠の二点目。
●「ゆるし」とは何かを教えてくれる。
我が子を殺人犯に殺された母親の恨みを解くのは、簡単ではない。
ある程度、責められない部分はある。恨むな、恨んでも何もならないという正論は当事者の前では本当に無力である。彼女を止められる力があるとすれば、それは「ゆるし」である。
●ゆるされたと分かったら、ゆるすことができる。
母親が犯人を「ゆるせない」のは、母親自身が何かから「ゆるされていない」と認識しているからだ。この場合、その何かとは「死なせてしまった我が子」だろう。
ネタバレになるので詳しくは言えないが、母親は「自分のミス」が子を死なせた、と思っている。だから、本人の霊が「お母さんゆるさない!」なんて言って来てなくても、自分の中で勝手な真実になってしまう。罪悪感、というものがそのトリックに一役買う。
で、母親に現実問題としてできることは、もう「犯人を捕まえて償わせる」ことくらいしかない。だから、自分の個人的幸せなんか省みず、犯人探しに没頭する。天の我が子はそんなことで喜ばない、ということには思い当たることもなく。
この作品は確かに重い作品だが、だからこそ最後にほんのちょっとだけ、小指の先ほどの小さな「救い」を残しているのだが、それが全体の背景の暗さと相まって実に鮮やかなのだ。
誘拐殺人などされたらどんなに心苦しいか、っていう年頃の子を抱える私には涙ものであった。
死者の思いと、残された側との思いのズレが、「悲劇」を生む。
生きて残された側は、何としても犯人を……と思う。そしてそれが供養になると思っている。
でも、死んだ側は案外そんなことよりも、「生きている側に幸せになってほしい」 と思ってる場合がほとんど。
そこが分かるまで、残された者の血みどろの格闘は続く。
私は、今現在理不尽な死を押しつけられた人の「残された関係者」が、一刻も早く敵討ちから「自らの幸せ」のほうに顔を向けられるように願う。死んでしまった身としては、罰せられるべき犯人が罰せられることよりも、残されたあなたが苦しがっていたり、辛い思いをしていることの方が気になるのだ。
亡くなったのが子どもであれば、特に。
そういう先方からのメッセージが受け取れるチャンスが、必ずあるのだ。
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