第18回『謝罪の王様』
●謝罪の王様 (脚本・宮藤官九郎、主演・阿部サダヲ)
コメディーだということは、前知識として分かっていたので、私としては「笑おうとして」見たつもりだった。
確かに、面白かった。
でも意外だったのは、最後にはホロリとしてしまったことだ。
何と言うか、感動してしまったんだな。
今日は、その辺の感激(?)を皆さんにお伝えしたいと思った。
いかなる相手に対しても、いかなる状況であろうとも——
依頼者の代わりに謝って、事態を収拾する「謝罪師」が巻き起こす騒動の数々を描いた作品。
作品の内容そのものに関しては、ここでは触れない。
ネタバレ禁止~!ということで。本筋はその目で!
今回の記事で話題にしたいのは、そもそも「謝罪」って何? ということである。
そんなもん、簡単じゃん。
こちらに落ち度があったと認識できる事柄に関して、謝ることでしょ?
まぁ、そう言っちゃえばそれで終わりだ。
しかし。ここで私なりの「謝罪とは」を紹介してみたい。
●相手の宇宙を分かりたいと思うこと。
つながりたい、という衝動が起こす、自然現象。
意図して謝るのは、謝罪のニセモノ。
どういうことか、説明しよう。
私たちの本来の正体は、『ワンネス』と呼ばれる、たったひとつの意識である。
これを、宗教では「神」と言ったり、スピリチュアルでは「空」と言ったりする。
たったひとつでしかないものが、無数に分離したのが、私たちという「個」である。この世界に、分離したキャラでもってあらゆる体験をし尽そうとしてゲームを始めたのだ。
もちろん、ゲームを面白くするために、本来「完全につながっており、完全に分かりあえる状態」でしかないものを、あえて「分断」し、分からなくさせた。
私たちが自分の意識のことは自覚できるのに、他人のそれは想像しないと分からないというのは、それは欠陥ではなく「ゲームをスリル満点にするためにあえてそうした」のだ。
だから、他者の気持ちなど、そのごとく分からなくて実は当たり前。
でも、今はあえて分離を味わいに来ているとはいえ——
やっぱり、故郷を思い出してホームシックのようになることはある。
お互いが完全に通じ合えるパイプをあえて分断したので、行き違いや誤解、 相手に失礼なことをする、損害を与えてしまうというような現象が当然起こる。
その時、人は無意識下にこう思う。
「本来は、この人も私。私たちはひとつ。
なのに今、こんなにも分からない。
分かってないから、こんなことが起きてしまった。
分かりあえない中でどうするか。それをしに来ていることは分かる。
でも、やっぱり分かりたい!
相手の宇宙を知りたい!
知ることができたなら、私の「ごめんなさい」は本物になる!
一言で言ってしまうと、謝罪とは「相手とひとつになりたい」(あっちの意味じゃないよ) という願いである。こんなこと(謝らないといけないようなこと)が起こったからこそ、よりもっと相手の宇宙と同調することで理解し、今後同じ過ちは繰り返さないぞ、という意識上の決意をすることでもある。
だから、謝罪とは出所が「魂の声」である。
理屈ではなく、あなたを突き動かすエネルギーである。
ゆえに、体面を保つための謝罪、損益がかかっていてしたくはないがしなければならない謝罪、「謝れ」と人から言われてする謝罪は、ニセモノである。
意図(思考)によって引き出される謝罪には、たいてい損得が関係している。
この「謝罪の王様」という映画は、そこのとに気付かせてくれた。
謝罪って、できればしたくないもの。しなくていいに越したことはない。
そんな状況は、できればない方が望ましい。
でも、謝罪って素晴らしいな、と思わせてくれた。
見方を変えれば、謝罪する状況って——
●相手と今よりもっと理解し合えるチャンス
そう受け止められるのではないか。
ですから皆さん。
あなたが現実生活で、そういう人に謝る状況があった時に、しまった、マズったと反射的に思ってしまうのは仕方がないとしても。
その後、ちょっと軌道修正してみませんか。
これはチャンスだと。
体面や損得、どうやってこの場をやりすごすかにどうしても思考が流れがちですが、目の前のこの人も、実は私。
今は分かりあえない、「分断ゲーム の最中ではあるけれど——
もとはひとつだったんだから、この状況を超えることができる。
超えて、しかも仲良くなれる。笑顔になれる。
謝罪とは、相手を分かろう、ひとつになろうという魂の衝動だと言いましたよね。
もし、あなたの謝罪がそのごとくなら、相手も神ですから。波動を感じれる意識体ですから。ゲームなので確実とは言いませんが、かなりの確率であなたの「本気」を感じてくれるはずです。
しかし、あなたの謝罪がそこからズレたものなら?
保身の意図、自分ができるだけ損をしないように、という意図が見え隠れしたら?
ましてや、「自分は悪くない」というのは、目も当てられない。
相手は、「私とは関係のない次元で、形だけ謝ろうとしている」と感じ取る。
そんなもので慰められ、納得できるはずがない。うれしいはずがない。
私がこの書の中でたびたび言っている 「あなたは神であり、宇宙の中心であり主人公」と言うのを間違ってとらえないように注意。
神だから間違いはないし、宇宙の主人公たる私が謝る必要なんてない——。
そんな論理的飛躍は、くれぐれもなさらないように。
本当の謝罪はさきほども言ったように、本来ひとつだった相手と、以前のようにひとつであったことを思い出したい、という衝動だ。
謝罪とは、人類皆ができるだけ快適に、力をわせて乗り切っていくうえで「必要不可欠」なものなのだ。
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