第115回『地球でたったふたり』

【作品紹介】


 生みの親にないがしろにされ、愛情を注がれない少女2人が、それでも小さな幸せを求めて生きていく姿を描くヒューマンストーリー。オーディションで選ばれた実の姉妹、寉岡萌希と寉岡瑞希がヒロインの少女ユイとアイを演じている。


【あらすじ】


 母が夜の仕事をしているため、孤独な毎日を送る物静かな少女ユイ(寉岡萌希)。しかし6歳のときに母が再婚。新しい父とともにやって来た連れ子、アイ(寉岡瑞希)と暮らすことになる。父の暴力や母の無関心に耐え、きずなを深めていく2人はやがて中学生に。そんな中、ユイとアイは両親の離婚によって引き裂かれることになるが……


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 見たら分かるが、低予算で作られたマイナー中のマイナー作品である。

 筆者も、探しに探してやっと出会えた作品である。全体的に画面も暗く、わざとかもしれないが映像をぼやかしてある。今の時代、ちゃんと映画など撮れば画質は高いものにできるのに、内容の重さとそれらしい演出を意識しているのだろうか。

 前回紹介した先品もそうだったが、万民受けしない、見る人を選ぶ作品である。



 まず、虐待の場面から始まる。この時点でもういいやとなる人もいるだろう。

 親に恵まれない二人の少女が、こらえきれずに家を飛び出す。カネも尽き泊るところもなく困っていると、寄ってくるのは援助交際狙いの男。

 ホテルに入って、相手のオッサンがちょっと目を離した隙にカバンを奪って逃走。でもその奪ったカバンの中には、裏帳簿が入っていた。オッサンは、地元のヤクザのしのぎに絡む人間だったのだ。

 血眼になって帳簿を追うヤクザ。逃げる二人の家出少女。その少女たちを成り行き上かくまうチンピラのオジサン……と、それ以上はネタバレすまい。ここまで言うと、察しのいい人はその後の展開を言い当てられるかもしれない。

 筆者がこの映画を見て思ったこと。



●この映画の主人公視点だと、世の正しさの体現であるはずの警察と、弱い者を助けるはずの福祉が悪役に見える。守るはずの親も全くの無能・無用である。



 世の中は、この家出少女たちにとっては「まったく役に立たないのだ」と思った。

 性的なものや阿漕な金儲けを狙ってこの子たちに寄っていく者は、動機は悪でも表面上一時的にでも「救っている」という皮肉。

 警察は、この子を捕まえたら親元へ返すだけ。返されたらもっとひどい毎日が待っている。そこで親が「いい親」を演技したら、誰も問題に思わない。子どもが何か言っても、その声は大人の都合でかき消される。

 それが分かっているから、警察からも福祉職員からも逃げる。逃げた先で親切にしてくれたのは、皮肉なことにヤクザ組織の末端の「ちょっとはよい心をもったチンピラ」というね!



 こういう映画を見ると、いつも思う。

 この世の中の警察も福祉も行政の救済システムも、現状にはまったく合っていない『性善説』に基づいたものに基本なっている。

 親は基本的に子どもにやさしいもの、子どもを守るものという決めつけがある。その前提でなんでも畳みかけてくる。だから、子どもは逃げるのだ、警察からも福祉からも。そんな子どもにとって、親は悪魔なのだ。甘い人はどんな親でもやっぱり子にとっては親、腐っても親などいう話を持ち出してくるかもしれないが、度を通り越したらこの映画の二人の少女のように、親など本当にいなくていいやつでしかなくなる。それはもう、その限界突破を体験した子どもにしか分からない世界である。

 情けをかけて家に入れてくれたヤクザの末端のオジサンになついて「お父さんになってくれないかな」と考えさせちゃうんですよ? この社会は。

 悪人の毒牙にかかってどこまでも落ちていく家出少女が生まれてしまうのは、彼女らのせいではなくまさに世の中が悪い。システムが最悪だ。



●もういっそ、親を見たら「親とは子どもを大事にしないもの、虐待するもの」として考えるほうに舵をきればいいんじゃない? そっちを新しい常識にする。

 大げさだが、それくらいに考えたほうが防げる悲劇もある。



 もう、親は子どもを大事にしない可能性が少なくない、という目で見るのさ。それを前提に、社会は子どもや親への対応を適宜変えていくのだ。作中の二人の母親は、父親のように虐待はしないしむしろかわいがるが、「母としてより女としての幸せを優先する」タイプで、このタイプは絶望的に母親に向いていない。そんな親がこの社会では激増している。子どもが大人の体になっただけのような男女が子を産み、やることがぜんぜん子育てになっていない。『子損ね』になっている。



 物語のクライマックスで、少女は駆け付けた刑事と警察官に叫ぶ。

「なぜ、私らをいじめるの?」

 これを言わせちゃうか、である。世の中の常識と義務に従って職務を果たす彼らが、少女からしたらいじめているとしか思えないわけですよ。これは何でだと思いますか? 政治家の皆さん。特に与党の皆さん。

 もう時代がここまで煮詰まってしまったら、性善説ではなく「人は人に害をなすもの」という前提でアプローチしていったほうがいい。子どもには誰にでも親がいて、住む家があって、家に帰れば食べるごはんと寝る場所と、何より「安全」があるというのは、親ガチャに盛大にはずれた子どもたちには神話の世界の話である。

 だって殴られ蹴られするのに安全とか快適どころの騒ぎではない。性的虐待だってあり得るのだ。そこから逃げても、捕まれば起きるのは多くのケースでただ親元へ返されるだけというお粗末なお仕事。逃げた彼女らに居を与え食を与えるのは、悲しいことに彼女らを食い物にしようと群がる悪意の人物。



 この映画は、映画界全体からしたらマイナー中のマイナーで、二流三流映画かもしれないが、私は膨大な予算をかけた豪華絢爛なハリウッド映画なんかよりも、よっぽど見るに値する映画だと思った。

 確かに、ツッコミどころは多い。裏稼業の人間が、そう簡単に油断して小娘に帳簿持ち逃げされるか? という点から始まり、拳銃を握ったこともない人間がなぜリボルバーの銃をいきなりちゃんと扱えて、かつ人に命中させられる? とか。

 でも、最後まで見てほしい。そういうアラに目をつぶって、作品全体に流れるエネルギーをこそ感じてほしい。少なくとも私は、見始めたら最後まで目が離せなかった。強引な展開ぶりでも、胸が熱くなった。

 そんな本作は、アマゾン・プライムで視聴可能です。(この記事を書いている現在)

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