第112話 side out:樹海に烟る硝煙
慚愧の森には様々な魔物が棲息する。
されど。過半数の個体からすれば、あくまでも一時の仮住まいに過ぎない。
浮遊大陸で最も広大無辺かつ濃密な穢気の海淵たる魔境、十字山脈。
必定、湯水の如く産まれ出でる、悪辣の化身と称すべき徒達。
しかして、その多くは熾烈極まる覇権争いによって骨一本残らず喰い尽くされ、文字通り跡形無く消え去る宿運。
勝ち続けた強者だけが台頭し、運良く生き残った弱者だけが森へ落ち延びる。
下山した敗者の辿る道筋は、大まかに三つ。
傷を癒し、再び屍山血河に身を投じるか。
或いは平地の
さもなくば――山脈より溢れる僅かな穢気を啜り、敗者のまま細々と長らえるか。
何れにせよ、魔物とは穢気ありきの存在。
取り分け、それを自ら生成できない低位は、源泉から離れ続ければ半年と待たず死ぬ。
喰らった血肉を穢気へと変換する術を持つ中位以上の魔物にしても、効率を鑑みれば直接得られるに越した話は無い。
ともあれ慚愧の森は大凡の魔物にとって、あまり良い環境とは呼び難い場所。
遵って、定住するのは他に選択肢を持たない、穢気不足で弱り、牙も爪も折れてしまった負け犬ばかり。
不用意に深部、山脈近くまで足を踏み入れぬ限り、比較的危険は少ない。
…………。
無論。そんな前提も、絶対ではない。
あらゆる事象には例外、イレギュラーが往々ついて回る道理であるからして。
劈く金切り声。
己へ飛びかかる巨大な影を、ひらりとかわすジャッカル。
「む。疾いな」
僅かに避け損ね、視界の端を舞う数本の髪。
翻るかの如く振り返り、再び敵手と相対した彼女は、その姿を改めて捉えた。
分かりやすい例えを挙げるなら、剣のように長く鋭い鉤爪を持つ黒豹。
ジャッカルの回された什伍がゴブリンと戦っていたところを不意打ち、二人に重傷を負わせた闖入者。
咄嗟、彼女が囮を買って出て引き離し、今に至る。
「
位階は、魔物全体の約七割が低位に属する中、ひとつ壁を超えた存在とも称するべき中位。
が、狩りの際は決して正面から挑まず、確実に獲物の油断を突き、劣勢と見れば即座に逃げ出す、いっそ臆病なほど用心深い猛獣。
徹底した厭戦主義。いざ戦えば兵士十人を薙ぎ倒す高い戦闘能力。
少しキョウに似てる。ウィキの項目同様、何故かネットに掲載されていた刃豹の画像を拝した際、黒い体毛と赤い爪の色彩も相俟って、そう感じたことをジャッカルは思い出す。
「ふむ……確か、毛皮と爪が高値で売れるんだったかな?」
深い漆黒の毛皮は、コートや防具に。
触れただけで木の葉を裂くほど鋭利な緋爪は、武器の素材に。
「クハハッ。ちょうど襟や袖口にファーが欲しかったところ」
腰のホルダーに繋げたスマホの画面をタップする。
真横の空間が歪み、波紋し、亜空間と溶け合う。
直接、ジャッカルは腕を突っ込んだ。
「ついでに、こいつの試射もさせて貰おうか」
引っ張り出したのは、一挺の拳銃。
鏡も同然の美しい銀色。全体に緻密な
買い求めたものではない。これを用立てられる技術は、今の浮遊大陸には、まだ無い。
キョウのグローブと並行で図面を引き、部品と弾丸はカルメンに造らせた自作品。
「四連装スイングアウトリボルバー『ツァオ・ツェイ』。当方こだわりのシングルアクションだ」
撃鉄を起こし、銃口を向ける。
行為の意味こそ分からずとも、攻撃の意図を本能的に察した刃豹は、身構えた。
「生憎様、逃がさんよ。怪我人達の方に向かわれたら面倒極まる」
爆ぜる発砲音。次いで響く絶叫。
踏み込んだ前脚を撃ち抜かれ、バランスの崩れた刃豹が、苔むした岩に臥す。
再度、撃鉄を起こし、発泡。後脚の腱を貫いた。
シングルアクションはダブルアクションと比べて引鉄のストロークが短いため、精密射撃に向く。
四発という、リボルバーの中でも輪をかけて少ない装弾数ゆえ、連射速度よりも精度を優先した結果の選択なのだろう。
「あまり動くな。手作業で実包を作るのは労力が要る、外したくない」
前後の脚を一本ずつ潰され、悶える刃豹。
反撃と返り血を警戒し、間合いは保ったまま、頭を撃ちやすい位置に移る。
そして、三度目の発泡。
鉛玉は寸分違わず刃豹の眉間を穿ち、絶命させた。
本来なら、上級傭兵だろうと一対一では勝ち目の薄い難敵。
まあ、そもそもの話、脆弱な人間が刀剣斧槍を携えた程度で単身にて降せる魔物など、高が知れているけれど。
にも拘らず、なんと一方的。呆気ない幕切れ。
恐るべきは銃。地球人類史に於いてホモサピエンスを生態系ピラミッドの頂点に君臨させた、悪魔の兵器。
硝煙燻らすツァオ・ツェイを弄びつつ、スマホを操作するジャッカル。
生じた空間の歪みが刃豹を呑み込んだ後、彼女は軽く肩をすくめた。
「弾道が浮くな……帰ったら、銃身をコンマ五度下げるか」
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