第123話 ベヒモス
喉に痞えた小骨が、ぽろりと落ちる。
ああ、そうだ。心臓を圧し潰さんばかりの畏怖に、それどころではなかったけれど。
たぶん、最初フェンリルを見た時から、俺は微かな違和感を抱いていたんだ。
ハガネ――まさしく浮世離れという表現が当て嵌まる、独特の雰囲気を纏う少女。
小さく可憐な形貌、物静かな佇まいと裏腹、内面は人より獣に近しきアニマリスト。
誰彼構わず牙鳴らす虞犯でこそないものの、敵や獲物と見定めた相手への容赦は皆無。
実の所、気位も高い。日頃、比較的大人しいのは、ただ周囲に対する関心が薄いだけ。
皮一枚剥げば、その本質は極めて好戦的で凶暴。
…………。
とどのつまり、何が言いたいのか。
少しでも考える脳味噌があれば、容易く分かることだったって話。
もし、あのフェンリルがランパード氏達の什伍と遭遇した巨獣であったならば。ハガネと衝突しなかったワケがない。
そして。まともにハガネと戦って、五体満足を保つなど。
例え王位、浮遊大陸の生態ピラミッド最上位種だろうとも、有り得るワケがなかったのだ。
五巨獣の一、ベヒモス。
煮え滾る熔鉄纏い、触れたもの悉く焼き滅ぼす、火山弾が如き金角灼毛の猛牛。
お菓子のオマケのカードで得た情報を信じる限り、単純な破壊に於いてはフェンリルをも凌ぐ怪物。
遭遇したなら命を諦めろと口伝される三大最強種襲来が、まさかの連チャン。
ただし――
「し……死んで、るの……か?」
長い沈黙と静寂の後。分かり切ったことを、誰かが調子外れに呟いた。
未知の金属で象られた角ひとつ取ってすら成人男性三人分はあろう、仰ぐほどの首級。
炎に似た色合いの毛皮に絡む、半ば固まり始めた
少し視線をズラせば拝める巨狼と同様の、骸と果てて尚、微塵も薄れぬ膝が折れそうな存在感。
……駄目だ。あんまり唐突過ぎて頭回らねぇ。
クールタイム欲しい。具体的には八時間くらい。ほら、もう暗いし。良い子は寝ないと。続きは明日ってことで。
「む……? 諸君、ちょっと来てくれ」
そんな具合に現実逃避の海を泳いでいたら、この総勢棒立ちの状況下、嬉々と写真なぞ撮ってたジャッカルに手招かれた。
どうでもいいけど、ネットに上げるのはやめといた方がいいぞ。動物系のグロ画像は百パー顰蹙買う、下手すりゃ大炎上だ。
「見ろ」
集まった俺達に向け、ジャッカルはベヒモスの首断面を指す。
頚椎、神経、微細な血管に至るまで、一切の形を留めたまま綺麗に断たれた、恐ろしく鋭利な斬り口を。
「うっへぇ。まるで輪切りの解剖図だな」
「然り。カルメン、君なら同じことがやれそうか?」
「犬とか猫でしたら兎も角、これは流石に無理ですよぉ。巨き過ぎますし、硬過ぎますもの。て言うか、こんな真似が出来る人なんて、きっと世界中探しても
苦笑交え、鈴声紡ぐカルメン。
彼女が、頰に手を添えた頃合だった。
今宵、都合三度目となる、道理から外れた異変の訪れは。
「――『まーるたーけえーびすーにおしおーいけ』♪」
未だ俺達以外、平常を欠いたままの森境に波紋した、誰かの
「『あーねさーんろっかくたこにしき』♪」
記憶の端を撫ぜる程度には、聞き覚えのある歌詞。
小さくも、朗と響き渡る、耳馴染みのある声。
「『しあやぶったかまつまんごじょう』♪」
出所は森の奥と気付いた直後――奔り抜けた銀閃が、音も無く、ベヒモスの片角を斬り飛ばした。
「『せったちゃらちゃらうおのたな』♪」
間髪容れず、残る片方も宙を舞う。
各々、異なる軌跡を描いた二本の角は、やがて交差するように地面へと突き刺さった。
「『ひっちょうさんてつとおりすぎ』♪」
さも上機嫌に、歌は続く。
「『はちじょうこえればとおじみち』♪」
一瞬足らずの間に放たれた、俺が目視叶えた分だけで二十七を数えた銀閃。
更地と化した戦場跡。ものの四半刻前まで森だったあたりに積み重なった木々の残骸が、邪魔とばかりに刻まれる。
「『くじょうおおじでとどめさす』♪」
斬り拓いた道より悠々と現れたのは、抜き身のサーベルを肩に担いだハガネ。
まあ当然、語るに及ばずか。斯様なバケモノじみた離業、他に――
「ハーイ、キョウ♪ 出迎えに来てくれたの? ありがとっ♪」
………………………………。
……………………。
…………。
誰だ、てめぇ。
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