第124話 寝ても覚めても
思わず五歩くらい退いてしまった。バックステップで。
一方のハガネはと言えば、赤瞳収めた双眸を丸め、まっすぐ俺を見据えている。
「どうしたの?」
そりゃ、こっちの台詞だ。
恐る恐る近付く。もしかすると狐狸の類かも知れん。
眉に唾を塗りつつ、話しかけてみた。
――ドーブライビーチェル。
「あははっ♪ ちょっと、笑わせないでよ♪ なんでロシア語?」
咄嗟ゆえのミステイクだ、気にするな。
つか『あはは』て。お前の笑い方『くふふ』だろ、キャラクター守れ。
やはり偽者か。魔物が化けたのか。
ジャッカルに目配せすると、此方の意図を汲んでくれたらしい彼女は頷き返し、センサーか何かだろう奇天烈なアタッチメントをスマホに取り付けた。
「……各数値、誤差範囲内。ほぼ間違い無く本人、だと……!?」
冗談やめて下さい先生。え、マジにハガネなの?
じゃあアレな感じか。悪いもんでも拾い食いした系か。
きっと毒キノコだ。ヤバげな極彩色のやつを森で見たし。
「食べてないわよ、失礼ね♪」
ナチュラルに心読むなや。怖いわ。
――似非でも拾い食いでもないなら、一体全体、如何なる料簡だ。
「りょーけん? わんわんっ♪」
猟犬じゃねえ。犬の鳴き真似とかすんな。
――キャラが違い過ぎだろ。
「んー? 別に、いつも通りだけど♪」
お前さん自己評価どうなってんの。
少なくとも俺の知るハガネは笑顔なんて滅多に見せないし、見せたとしても微笑程度だし、歩き方いつもフラフラだし、瞼とか鉛製かってくらい重たそうな半開きだし、やたら途切れ途切れで平坦な喋り方だし、そもそも獲物を斬り刻む際に機嫌良く手毬唄を口遊んだりしません。
一八〇度ターンどころか、トリプルアクセル決めたくらい掛け離れてるだろが。いつも通りと宣うなら、まず語尾の音符剝がせ。薄気味悪い。
……などと無遠慮極まる本音を躊躇無く吐き出せれば、世に苦労は非ず。
ひとまず円陣。困った時のシンキングタイム。
「連れてくべきじゃねぇか? 病院」
「まあ待てシンゲン、落ち着け。きっと返り血でハイになってるだけだ。叩けば直る」
「誰が叩くんだよ。俺様は嫌だぞ、あんな魔獣でも女の子だ」
「オレも嫌だ。命を賭けるなら、それに相応しい場というものがある。安売りはしない」
「ピヨ丸ちゃんが物凄く震えてるんですけど……ひうっ、服の中に入っちゃ駄目ですよぉ」
頻りに眼鏡のレンズを磨くジャッカル、顰め面で呻るシンゲン、ピヨ丸を引っ張り出そうと悪戦苦闘するカルメン。
喧々囂々。どうやら衝撃に慄いてるのは俺だけじゃない様子。
そんな浮き足立った空気を払い飛ばしたのは、奇しくも渦中たる
「あははははっ♪ 久々に眠気スッキリ♪ 気分良いわ♪」
なんとはなし、紡がれた一語。
明瞭な得心とまでは行かずとも、ある程度の理解、理屈が組み上がる。
重ねて、ひとつの信じ難い可能性も、顔を覗かせたけれど。
「……まさか。
静かな動揺を孕んだジャッカルの呟き。
残る二人も同じ推量に至りつつあったらしく、揃って口の端が引き攣る。
「ハガネは人一倍、眠りが浅い。故、いくら寝ても満たされず、のべつ睡魔に襲われていた。考えてみれば、そもそも覚醒状態の彼女をオレは見たことが無い」
即ち、日頃の投げ遣りな振る舞いや淡白な言動は、単純に
そう結論付けたジャッカルに、俺達は反論の言葉を持たなかった。
刮目。本邦初公開、衝撃の新情報。
ハガネ女史、実は明るく年相応の子でした。
「あははははっ♪ あははははははっ♪」
…………。
ただ――どうにも仕草諸々
ま、いっか。
意識すると怖いし、深く考えんとこ。
「あはっ♪ ねぇキョウ、なんのオハナシしてるの? 仲間に、いーれーて♪」
蚊帳の外に飽きたのか、軽やかな足取りで寄って来るハガネ。
素晴らしい明朗快活。ぶっちゃけ違和感マキシマム。背筋寒い。
そして間近で拝見致しましたところ、やっぱ目が笑ってませんわ。怖過ぎ。
でも平気。腰巾着だもん。
「あははは♪ あははははは♪ あはははははははははははははっ♪」
ごめん無理、今の嘘。泣きそう。
お願い誰か助けて。裾すっげぇ掴まれてて、今度はバックステップ出来ないの。
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