第93話 評価






 夜の帳が下り始めた頃合い、カルメンは俺達の待つ宿まで帰ってきた。


「はふぅ……」


 くたびれ果てた様子で小さく縮み、そのままテーブルに転がり、完全な脱力状態。

 溶けかけのアイスみたいだ。比喩ではなく実際に。

 とうとう半液状化する域まで至ったか。今更もう驚いたりしないが、ホントにコレ異能の副作用か何かじゃなくて自前の特技なんだよな?


 しかし。


 ――流石のアンタも、御偉方の相手は堪えるみたいだな。


「ほぇ?」


 そう零すと、緩慢な仕草でカルメンの顔が持ち上がる。

 デフォルメ化された造形の面差しに浮かぶ色は、どこか、きょとんとしたもの。

 ……何か、見当違いでも述べてしまっただろうか。


「キョウ。カルメンは、どちらかと言えば身分ある側の生まれだ。権力者だの富豪だの、寧ろ慣れた手合いな筈さ」


 そいつは初耳。確かに育ちは良さそうだけど。

 が、だったら何故、こうまで疲労を?


「察するにステータス云々以前、つまりキャラクターの問題。よほど相性が悪かったと見える」

「でーすー」


 手も足も使わず、ずりずりテーブルを這うな。ナメクジか。

 せめてモーションくらいは人間、百歩譲って脊椎動物の枠に収まってようぜ。






「特別、悪い人じゃなかったんですよ。思ってたよりは、ええ」


 幾許かの回復を経て八頭身へと戻った後、珍しくワインを注文。舐めるように飲みつつ、口火を切るカルメン。

 俺とジャッカルは食事の手を止め、彼女の言葉に耳を傾けた。


「…………もぐもぐ」


 尚、隣に座るハガネは眼前の巨大Tボーンステーキにしか関心が向いていない模様。

 何人前だ、それ。


「『先日のダンスは素晴らしかった』とか『背中の刺青タトゥーが良く似合ってる』とか、誉め言葉は相当ありきたりでしたけどぉ」


 チッ、とジャッカルから鋭い舌打ちが飛ぶ。


「なんと貧困なボキャブラリー。語彙力、表現力の無い男とは付き合っても退屈するだけだ。百点満点で十五点」


 マジすか。だったら俺も駄目な方に入ると思うんですけど。

 千言万語の美辞麗句とか、どう頑張っても操れないし。


「あと、会話中に七回ほど脚を組み替えたら、その度に視線が下りてましたねぇ」

「加えて自制も利かんときた! 論外! 三点!」


 ……女って、こんな具合に当人の知らないところで抜け目なく男を採点するもんなの?

 怖過ぎ。そしてジャッカルさん、私怨入り過ぎ。


「まあ……それくらいなら、個人的には取り立てて問題なかったんですがぁ……」


 と。何やら表情を曇らせ、尻切れトンボ気味、黙り込むカルメン。

 少々の無言を挟み、おもむろに残ったワインを飲み乾す。


 返す刀、彼女らしからぬ深く静かな溜息が吐き出された。


「デートの誘いを受けました。でも、正直に言って無理です。ありえないです」


 俯きながらの、微かな震えと仄かな嫌悪を帯びた口舌。

 つい直前までの台詞には微塵も含まれていなかった――否、そもそもカルメンが表立って露わとする姿さえ初めて見る、負の感情。


 暖かく柔らかい、内に宿す異能とは正反対な気質の持ち主。

 そんなカルメンから、こうも明確な拒絶を買うなど、甚だ尋常に非ず。


 まさか。俺達が与り知らぬところで、何かあったのか。


「ダメなんです。お腹の辺りが、ぎゅーって気持ち悪くなるんです」


 気付けば合いの手、ケチをつけることも忘れ、テーブルから乗り出ていたジャッカル。

 語られる内容如何によっては、相手が特権階級だろうと躊躇せず噛み付くに相違ない剣呑具合。


 めいめい酒や料理を楽しむ食堂の只中、俺達の周りだけ空気が張り詰めて行く錯覚に固唾を呑む。

 ややあって、悲哀とも憤懣ともつかぬ色が差し込んだ相貌を持ち上げたカルメンは、ちょうど脇を通った給仕にワインのお代わりを頼むと、先程よりも更に深い溜息に乗せ、告げた。


「あの人……昔、三週間で別れた彼氏と雰囲気が似てて……笑顔を保つのも大変でしたぁ……」


 …………。

 つい数時間前にも聞いたような話だな、オイ。





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