第56話 誘拐
「起きろ」
側頭部を蹴り飛ばされる痛みで、俺は目を覚ました。
脳が揺れる。誰だ、こめかみにトーキックくれやがった馬鹿野郎は。
もう少し、やり方ってもんがあるだろ。文句のひとつも言ってやらんと気が済まん。
硬い床で横になっていた身体を起こす。妙にダルい。
辺りを見回す。覚えの無い、ずいぶん昔に棄てられたであろう廃屋の中。
すぐ傍に『灰銀』が居た。目が合った瞬間、何もかも思い出す。
ダッシュで逃げた。
「起き抜けにしては判断が早いな。悪くない」
そいつはどうも。
アンタに褒められたって、これっぽっちも嬉しくないけどな。
「が、甘い。捕らえた獲物を、みすみす逃すと思うか」
――クソッ、開かねぇ!
年季の入った扉に取り付き、いっそ壊すぐらいの勢いで押し引きを繰り返すが、びくともしない。
見た目は単なる木製、それも朽ち始めてるってのに。どんな仕掛けだ。
数秒で無理と諦め、次いで窓からの脱出を企てるも、実行へと移す前に不可能を悟った。
鉄板が打ち付けられてる。ちょっとやそっとで剥がせるようには見えない。
時間さえかければ話は別だろうけど、その間『灰銀』が大人しく突っ立ったままのワケ非ず。
とどのつまり逃走は望み薄。ヤバみ。
「自分の置かれた状況を理解したか? 分かったなら話を――」
こうなっては先手必勝。殺される前に『灰銀』を倒す。
相手はガチの殺し屋だが、シンゲンやハガネを相手にすると思えば、人間である分マシ。アイツら、サイボーグと猛獣だし。
姿勢を低く、半ば四つん這いに近い形で突っ込む。
これなら顔の近くしか狙えない。以前目の当たりとしたノーモーションのナイフ捌きも、左右の手から一切視線を切らなければ必ず初動を捉えられる筈。
どうにかマウントさえ取ってしまえば、体格で勝る俺が有利。その先は考えてないけど、ひとまず抑え込んでから決めよう。
「――第二案、第三案を立て続け即断する機転。益々悪くないが、まず話を聞け」
逆に押し倒され、あっさり手足を絡め取られてしまった。
ひどく身体が痺れてる。色々サボり続けた劣化と寝起きの気だるさを加味したって、いくらなんでもおかしい。
「抵抗は徒労。お前を眠らせた薬、まだ半日は効いてる筈だぞ」
赤い唇に指先を添えた『灰銀』の言葉で、ハッとなる。
そうだ。街中でコイツと遭遇したあの時に、クソ苦い粒を口移しで飲まされたんだ。そこから先の記憶が無い。
この妙な痺れはアレのせいか。なんて周到、なんて悪質。
――ひっでぇファーストキスだ。
「安心しろ。思えば私も初めてだった」
そいつを聞いて、何を、どう、安心しろと。
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