第67話 side out:危機的状況
今は『灰銀』と名乗る女――ダルモン・アンヌにとって、余計な手間こそかかるものの、そう難しくはない仕事だった。
標的は小さな村の商人。裏の顔は、とある犯罪組織の一員。
が、以前その商人の請け負った客が最近になって捕まったため、そこから捜査の手が伸び組織の情報を引き出されるよりも早く始末を、との依頼であった。
いわゆるトカゲの尻尾切り。表裏に関係無く、どこからでも持ち込まれる話。
ただ、いつもと少しだけ違ったのは、標的が組織から預かった
単なる殺しと比べて、格段に難易度の跳ね上がる厄介な条件付け。
さりとてダルモンは十年以上もの間、裏社会を生き抜き続けた手練れの暗殺者。一芸で長らえられるような人生は送っていない。
ちょうど手に入れたばかりの従順な協力者が殊の外に使えた良い意味での誤算も手伝い、着々と外堀を埋め立て、粛々と暗殺実行に踏み切った。
…………。
そんな彼女に、唯一落ち度があったとすれば。
標的の預かった商品――詳細開示を拒否された旧時代の遺産が、想定を上回る代物だったという一点だろう。
村近くの、けれど存在を知る者すら殆ど居ない洞窟の奥。
壁に掛けた松明の灯が周囲を照らすそこに、四肢を鎖で繋がれたダルモンは居た。
「散々暴れやがって、クソッ……やっと大人しくなったか」
ガタイの良い、顔や身体に幾つも青痣を拵えた大男が悪態を吐く。
同じような有様の男達が、他に数人。いずれも苛立ちや恐怖心を含んだ眼差しでダルモンを見ている。
尤も、そうした感情は、やがて好色へと移り変わって行ったが。
「……へへっ。随分、良い格好になったもんだ!」
上着は既に脱ぎ捨て、顔と両腕以外ほぼ全身覆う薄布も所々が破れ、黒地の裂け目より露わとなった、東方人特有の病じみた白皙。
抵抗に次ぐ抵抗で荒れ果てた息を整えつつ、ダルモンは汚物へ向けるも同然の視線を返す。
「差し詰め、人の言葉と後足で立つことを覚えた豚だな。悪臭がする、寄るな。不愉快だ」
「んだと……!」
静かな罵倒に青筋を立て、歯を剥き出す手近な一人。
それを宥めたのは、この中で最も立場が上と思しき大男。
「まあ待て待て。どうせ何もできやしねえんだ、言わせてやれよ」
「黙れハゲ。お前は存在自体、殊更に不愉快だ。早々に視界から消えろ」
「テメエ誰がハゲだ! ブッ殺すぞ!?」
怒髪衝天。生憎と髪は無いが。
顔を真っ赤に怒る大男を、今度は残る全員で必死に止める番だった。
「――何を遊んでる」
と。四面を石で囲まれた洞窟に、低い声が響き渡った。
同時、甲高い足音も。ダルモン含む総勢の意識が、一点へと集まる。
「情報は聞き出せたか? 俺を殺すよう依頼したのは誰だ?」
「い、いやぁ……それがこの女、中々に口が堅いもんで」
村唯一の商店を営む男。先程、殺し損ねた標的。
普段の人が良さそうな空気は全く感じられず、口舌も冷たい。
村人達が今の彼を見れば、きっと他人の空似と思い違うだろう。
鋭い眼光に怯え、バツが悪そうに頭を掻く大男。
対し商人は、さほど落胆した風もなく、鼻を鳴らした。
「で、あろうよ。暗殺ギルドの人間が、易々と情報など吐くものか」
暗に最初から期待していなかったと告げ、ダルモンの前に立つ。
幾らか間を重ねた後、衣服と呼ぶのも躊躇われる破れかけた装いを、乱暴に引き裂いた。
「ッ」
「背中から脇腹にかけての古い火傷痕……
「……触るな。不愉快極まる」
「何を聞こうとも、何をしようとも、何ひとつ答えないことは分かり切ってる。時間の無駄だ。なら、せめて楽しませてもらうぞ。妻を亡くして以来、とんと御無沙汰でな」
しっとり汗ばんだ肢体を舐め回すように眇め、せせら笑う商人。
ダルモンは再び暴れ始めるが、拘束具はびくともせず、鎖の擦れる音を虚しく撒き散らすばかり。
事態の好転など一切見込めぬまま、残った申し訳程度の端切れに、また伸ばされる手。
そして。その指先が、布地を掴む間際。
「――ぷはぁっ! あーもう、なんだこの抜け穴! 狭いし蜘蛛の巣だらけだし、最悪じゃねーか!」
音を立てて崩れた、商人とダルモンの間に位置する岩肌。
併せ、頭に引っかかった蜘蛛の巣を払いながら、喚き声と共に、キョウが姿を現した。
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