第113話 side out:ダンスマカブル
カルメン。本名をクレスセンシア・榊原・クドリャフツェフ。
家族や親しい友人からの愛称はクレス。
生国スペインが誇る不世出の舞姫。
前オリンピックに於ける金メダリスト。
天然気質で思考ロジックにズレこそあるものの、人類最高峰の知能の持ち主。
世界有数の財閥令嬢。
先祖四代遡るだけで七ヶ国、十二民族の血を引くハイブリッド。
そんな彼女は。物心ついた頃より、ある欠落を抱えている。
音さえも、時すらも凝結したかと錯覚させる静寂。
葉の一枚に至るまで、余さず凍てた森の一角。
枝に留まる小鳥は、飛び立たんと羽を広げた格好のまま。
巣に木の実を持ち帰ろうとした栗鼠は、幹を登る途中で。
そして。得物振り上げ、咆哮轟かすべく大口開けたゴブリン達。
全て全て、刹那にも満たぬ瞬間を切り取られたかの有様で、凍り付いていた。
「……ちょっと、可哀想なことしちゃったかな」
枝葉に陽光を遮られ、昼間でも薄暗い陰鬱が、輝く銀盤と変わり果てた景観の中心。
足元に膝より高い何十本もの氷筍、逆さまの氷柱を生やしたカルメンは、己の死すら自覚できなかった小鳥を矯めつつ、真っ白な溜息を零す。
「やっぱり
異能『アイスエイジ』。
サダルメリクの地下遺跡でキョウを殺めかけて以来、仲間の前では
そう。『アイスエイジ』の核心、
もっと高次で、もっと乱暴な――『空間を絶対零度で塗り潰す』という、一種、世界を改竄するに等しい力なのだ。
故、加減が利かず、ほんの僅か蛇口を緩めただけで、御覧の通り。
塗り潰した空間の体積など、針穴も同然であるのに。
「ところで、他の方達はどこ?」
煌めきと共に絶対零度を放ち続ける侵食空間。
そっと手を伸ばし、引っ掻くように
元凶たるカルメンにのみ可能な、これまた力技の修正。
「皆さん、迷子になったのかしら」
熱源ならぬ冷源を欠いたことで、少しずつ本来の気温を取り戻し始める周辺環境。
氷筍を乗り越え、カルメンは左右に視線を流す。
「どうしましょう。ピヨ丸ちゃん……は、シンゲンさんが連れて行っちゃったし」
事実を語るなら、カルメンこそが珍しい蝶を追いかけるうち逸れてしまったのだけれど、それを指摘できる者は傍に居ない。
尚、およそ戦場とは縁遠い印象の見目麗しい女性が少し目を離した隙に行方知れずとなったため、今現在、什伍の面々は血眼で彼女を探している次第。
しかし、不運なりや。いやさ必然か。
先に彼女を見付けたのは、人間よりも鋭敏な感覚を持つ魔物であった。
「あら」
脆く砕けた茂み、甲高い雄叫び。
狒々に似た紅蓮の怪物。氷像と化したゴブリンの亡骸を払い除け、カルメンに迫る。
「こんにちはぁ」
対するカルメンは、臆した素振りすら見せず、ついと後ろに滑った。
勢い余った魔物が、たたらを踏み、転げる。
間髪容れず跳ね起き、再び襲いかかるも、その爪牙は掠りもせず空を切るばかり。
単純な回避と言うより、舞踏に近い動きだった。
「無理ですよ。氷の上でフィギュアスケーターの動きについてこられるワケないじゃありませんかぁ」
紙一重で綽々とあしらいながら、こんな状況にも拘らず、くすくす笑うカルメン。
「ふーっ」
何度目かのすれ違いざま吹きかけた、結氷帯びし吐息。
摂氏零下二〇〇度近い埒外な冷気。瞬く間、魔物は凍てる。
建て付け悪く倒れ、四つに割れた新たな氷像。
また、辺りを静寂が通り過ぎた。
「ふふん。さあ、迷子の皆さんを探しに出発っ」
踵を返すカルメン。白亜と深緑の境界線を跨ぎ、手頃な枝を拾う。
それを機嫌良く振り回し、鼻歌交じりに歩き去る。
半ば入れ替わり、彼女と同じ什伍の面子が、この異様な現場を発見。
巡り巡って大騒ぎとなったのだが、また別の話。
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