第19話 路地裏の鉄錆臭
いやー乱世乱世。人間万事塞翁が馬ってか。
ホント、世の中どう転がるか分かったもんじゃないな。
「良かったですねぇ」
ありがとうカルメン。アンタのお陰で助かった。
十万円の腕時計が、まさか金貨十枚に化けるとは。受け取る時、手ぇ震えたわ。
正味、時計自体に大した愛着は無かったけど、色々良くしてくれた叔父貴からのプレゼントを売っ払うのは流石に気が引けた。
つっても、背に腹は代えられないってことで。
ドライに生きなきゃ。異世界だもの。
「では、私は明日出す商品の用意がありますのでぇ」
露店用の荷物を宿まで運んだ後、育ちの良さを匂わせる、スカートの裾を摘んだ深い一礼と共に去って行くカルメン。
そう言えば、彼女が店で何売ってるのか聞きそびれた。今度聞いとこ。
にしても金の問題が解決したら、一気に胸が軽くなったわ。
やはり文明の恩恵に与って生きる以上、経済的なしがらみは切っても切り離せない。
結局のところ、人間社会イコール金だ。であれば金を持ってるだけで得られる安心は、思いの外に大きいものなのだ。
即ち今の俺、かなり無敵。例えるならスターを取った髭面の配管工か、キャンディを貪り食ったピンクボールか。
もう空だって飛べる気がする。ちょっと試してみよう。
無理だった。
三階から飛び降りて痛む身体を引き摺りつつ、町を歩く。
かりそめの万能感に突き動かされ、馬鹿なことをやらかした。大した怪我を負わずに済んだのは、せめてもの幸いか。
ともあれ、目指す先は商人ギルド。纏まった金が懐に転がり込んだ現状、恐れるものは何も無い。
月々一銀貨の支払いなぞ爆撃機に刃向かう竹槍装備の民兵同然。なんなら、むこう十年分くらい纏めて払っちゃう。
これで俺も、ようやくギルドの人間か。なんか感慨深いな。
カルメンみたく露店を出す気はあんまりしないけど。そも、滞在一ヶ月くらいでアルレシャを発つ予定ってジャッカルも言ってたし。
ああ、だけど嵩張らない物を行商人っぽく歩き売りするのは良いかもな。傷薬とかどうだろ。
やべえ、こういうこと考えるのちょっと楽しい。異世界ファンタジーっぽい。
気分が良いから、目に付いた屋台で売ってた焼き菓子とか買っちゃう。中にジャムが入ったスコーンみたいなやつ。
ちょいと大雑把な味だけど、中々美味い。でも調子に乗って買い過ぎた、食い切れない分は皆への土産にするか。
――もしもし奥さん、商人ギルドってどっちでしたっけ?
「そこの裏路地を右に抜けたら、すぐ見えますよ」
メルシーボークー。日本語でありがとうの意ね。
小さな子供を連れた若妻に道を尋ね、足取り軽く細い路地へと踏み入る。
道と言うより、半ば建物と建物の隙間みたいな裏路地。
こんな感じの雰囲気、実は割と嫌いじゃなかったりする。
昼だと言うのに陽もあまり差さない、空気まで一変したような錯覚。
ほんの少し外れただけで驚くほど遠ざかる、表通りの喧騒。
…………。
だから、だろう。
それは俺の耳に、とても良く響いた。
――ん?
瓶か何か、厚めのガラスが砕ける高音。
積み上げた木箱が崩れるような鈍い音も、遅れて続く。
次いで鼻を突く、仄かな錆臭さ。
好奇心を惹かれた俺は、よせばいいものを、音と臭いのする方へ歩いて行った。
――え。
暗がりの中で最初に見たのは、緩い風に棚引く、灰色に近い銀の髪。
そして――赤い飛沫。
「ご、ぼっ……」
太い首筋から血を噴き出し、埃っぽい地面へと倒れ伏す大男。
その光景を身じろぎもせず見下ろす、真紅が滴る小さなナイフを、だらりと下げた後ろ姿。
あまりにも唐突な出来事を目の当たりとした俺は、全く動けなかった。
一秒が十秒以上にも間延びした時間感覚の中で、やがて、佇む人影が音も無く此方を振り返る。
「…………」
年嵩が計り辛い、怜悧な容姿の、気だるそうな雰囲気を纏う女だった。
薄めのアイシャドウが妙に目立つ、病を疑うほどの異様な白皙。
切れ長の双眸に収まった鉛色の瞳で、俺をじっと見据えていた。
「チッ……しくじった」
小さな歯軋りを経て、おもむろに舌打つ彼女。
ルージュを引いた唇から零れた剣呑な音色に揺さぶられ、凍り付いた脳が活動を再開する。
……まあ、なんだ。
有り体に言って、とんでもなくヤバげ。
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