第120話 side out:怪物と怪物






 五階建てのビルも悠々見下ろす高さに位置する巨獣フェンリルの頭部。

 そこまで容易く跳び縋ったシンゲンが、赤黒い三対の眼球並ぶ横面目掛け、拳を振るう。


 おざなりな一打でさえブルドーザーをも鉄屑と帰せしめる膂力。およそ人の域を離れた肉体強度。

 絶対捕食者たるフェンリル。その彼が回避を考えるなど、いつ以来か。


 だが。本能の打ち鳴らす警鐘を、フェンリルは

 久しく望み、焦がれた敵の力を知りたい。そんな好奇心ゆえに。


「ブロォォオオオオオオオオッッ!!」


 待ち構えること四半秒足らず。襲い来る極めて単純明快な暴力、隕石の衝突にも等しいエネルギー。

 突き抜く衝撃。懐かしさすら感じる、痛みという感覚。

 たたらを踏むどころの話ではない。数百トンはあろうフェンリルの巨体が、浮き上がる。


 しかし――倒れはしなかった。


「おほっ、タフだなオイ」


 傾きかけた身体を素早く空中で持ち直し、驚くほど静かに着地。

 何本か牙が砕けたのか、口の端より零れ落ちる紫色の血と白い破片。


 己と同じく地へ着いた対手を睥睨する六瞳。

 シンゲンは威風堂々、その重圧伴う視線を受け止め、不敵に笑う。


「来いや」


 攻守交替。フェンリルが前脚を擡げる。


 放たれたのは力任せな踏み付け。

 ただそれだけで、周囲の悉くを吹き飛ばし、地盤が丸ごと砕けた。


 ミサイルを撃ち込まれようと、到底こうはなるまい。

 人間一人押し潰すには、過ぎも過ぎた一撃。


 とは言え。足裏の感触を確かめるまでも及ばず、フェンリルは確信していた。


 こんな小手調べ程度で終わるものか、と。


「――がははははははっ!! やるな兄弟!!」


 響き渡る快哉と同時、凄まじい力で瓦礫共々、大きく弾かれる脚。

 払い飛ばしたのは当然シンゲン。信じ難いことに、目立った損傷ひとつ見当たらない健在。


「歯ぁ食い縛りな! 次はもうちょい強めにいくぜえっ!!」


 叫ぶが早いか、自分の胴より太い鋭利な鉤爪を掴む。

 そして。腕力だけで、


「どっせぁぁああッ!!」


 一本背負い。天地が返る浮遊感を、空が下となる光景を、フェンリルは生まれて初めて味わった。


 砕けた岩の中、逆さに半身埋まる。

 分厚い毛皮でダメージこそ免れたものの、少なからぬ驚愕が脳髄を掻く。


 さりとて腹を晒したまま惚けるなど、獣の所業に非ず。

 水平に身体を振り回し、跳躍織り交ぜ起立。

 些かも衰えぬ戦意の証明に咆哮轟かせ、がぱりと顎門を開いた。


「む」


 大小様々な牙だけで埋め尽くされた、剣山の如き口腔。

 噛み砕く気かと思いきや、間合いを詰める様子は窺えず。


 その意図は、疑問を差し挟むよりも先、明らかとなった。


「おぉっ!?」


 高音と併せて、口腔内で収斂する黒い靄。

 フェンリルの姿が歪むほどの、鋼鉄も刹那に溶かすだろう夥しい熱量。


 渦巻き、張り詰め、満ちる。

 昏く眩ゆく。そんな二律背反を孕んだ光帯が、シンゲンへと解き放たれた。


「面白れぇ――ブロォォオオオオオオオオッッ!!」


 対し、逃げも隠れもせず迎え撃つシンゲン。

 豪腕を引き絞り、我が身を呑み込まんと迫る破壊の権化と呼ぶべき『力』の塊に、小細工無用の鉄拳を叩き込んだ。


 正面衝突、拮抗。

 一秒か、五秒か、十秒か。幾らかの時間が曖昧に過ぎ去った後、堰き止められた奔流は暴れ狂い、打ち上がる。


 さながら昇竜。

 常に雲ひとつ無く、昼間でも星々鏤む蒼天を躍り、やがて爆ぜ飛ぶ光帯。

 音より先、殴り付けんばかりの風が吹き抜け、土砂も岩も樹木も生物も構わず掻っ攫う。


 漆黒の業火が、空高くで燃えていた。


「がっはははははは! 中々、景気の良い花火じゃねぇか!!」





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