第4話 女子と話すの初めてなもんで

 ドクン、ドクンと心臓が鼓動している。


 有り体に言えば、ドキドキしている。


 いま『ステータスオープン』とやらが出来たのならば、俺の状態には【胸キュン】とでも表示されるのだろうか。

(何たる不覚……)


 俺は自らの胸の高鳴りを恥じた。



 この国の次世代指導者確定のこの俺が、たかがクラスメイトの女子に朝の挨拶をされた程度でこんなにもドキドキするなんて。



 猿飛はあの挨拶以降一度も振り返ることはなく、1時間目の授業が始まった。


 教師の話が耳に入ってこないのはいつものことだが、今日はひと味もふた味も違う。

 目の前の小さな背中が気になって仕方が無いのだ。


 ……も、もしかしてこいつ、お、お、俺のこと、好きなんじゃね?


 なんて、たった一言で男の心を籠絡するとはこの女、只者ではない。

 やはり猿飛があのお面猿と見て間違いないだろう。


 が、果たして本当にそうか?

 そう思わせるが猿飛にはあった。


 猿飛愛子……身長は150センチに満たない小柄な体格で、全体的に細身であることは手足の華奢さから想像できる。


 容姿ルックスはといえば、軽く茶色に色を入れたショートカットが幼さを引き立てて可愛らしく、実際に顔立ちも整っていた。

 小さな顔につぶらな瞳。薄い唇と、白い肌。声も透明感があり、嫌味がない。


 仮に区分けをしたならば美少女の分類に入ることは十分に予想できるが、いかんせん地味な印象は拭えない。

 それは彼女の控えめな性格が良くも悪くも影響しているのだろう。


 俺は『黒髪ロングのグラマラスな清純派』が好みなので猿飛は射程外だが、この手の女子を好む男も多いだろう。



 いやすまん、話が逸れたな。

 本題は『あいつがあの』だ。


 結論から言えば、足り得ないだろう。


 浜崎は身長185センチ、体重110キロの筋肉ダルマだ。

 そんな大男をあんな小柄な女子が頭突き一発で倒してのけるなんて、体重差の時点で絶対にあり得ない。


 ……ていうか、俺はあの猿仮面を男性だと思っていたのだ。

 なんでかって? だってがさぁ、その、やけにスッキリしてるし。

(いや、万が一ということもある……)


 俺は猿飛愛子の全身を思い浮かべた。

 そして、猿仮面の全身も。

 さらにそれをCGの様に重ねてみると……。


(……む、胸の感じが一致してしまった!?)


 この事実により、尚更『猿飛=猿仮面』説を否定できなくなってしまった。

 そんでもって、俺の胸はまだドキドキしている。


 頭がどうにかなりそうだ。

 このまま発狂してしまう前に、俺は覚悟を決めるべきであろう。



 そして昼休み。

 俺は猿飛の挙動をこっそり観察・尾行し、彼女がひとりになった瞬間を見計らって直接真偽を問う、という強攻策に出た。

 ごちゃごちゃ考えているよりまずは行動だ。


【男は度胸! なんだってためしてみるのさ】


 とは父の口癖である。

 もしかすると、あの言葉は俺に向けられていたのか……!?

 いずれきたるであろうこの時のために……。


 俺は父の言葉を頭の中で繰り返し、勇気を振り絞って一世一代の大勝負の意気で彼女の背中に向かって声を掛けた。

「おい、猿飛!」



 と、威勢良く言葉が出ればよかったが実際は「あのぅ……」と、今にも消えてしまいそうな弱々しい放屁の様な声にとどまってしまった。

 これは普段から女子はおろかクラスメイトとのコミュニケーションをおろそかにしてきた反動だろう。


(ヤバい、聞こえてすら無いっぽい……!)

 猿飛は俺の呼び掛けが聞こえなかった様で、振り返る事もなくそのまますたすたと歩みを止める様子もない。


 このままでは昨夜の二の舞いではないか!!

(同じ失敗を2度も繰り返すようでは、この国の未来の将たる資格無し!)


 俺は崩れ落ちそうな膝をバチンと叩きつけ、ぐっと顔を上げて今度こそ、と声を張った。

「さ、猿飛! ……さん」


 それはそれで腰が引けていたが、今度はちゃんと聞こえていた様で、猿飛は俺の声に振り返ると思い切り肩をビクつかせ、明らかな警戒を俺に見せつけてきた。

「か、金沼くん!? ……な、なに?」


 猿飛はめちゃくちゃ怯えていた。

 露骨なほど体重が後方に寄っているのが見て分かる。

 続く言葉の選択を誤れば、彼女は脱兎の如く逃げ去ってしまうだろう。


「ひ、額の絆創膏……大丈夫か?」

 取り敢えず取っ掛かりを見つけねば。

 俺が震える声でそう訊くと、猿飛は今朝のように笑顔を引き攣らせた。

「だ、大丈夫だよ……」


 脈絡があるようで無いような不思議なやり取りだったが、もう会話が終わってしまいそうだ。

 ヤバい、なんとかせねば!!

 

「そ、そうか……と、と、ところで猿飛」

「な、なに?」

「……き、昨日……」

 多少なりとも勢いがあるうちに核心に迫らねば!!


「……昨日の晩は、どこで何をしていた?」

「え!? ……な、なんで金沼くんにそんな事言わなくちゃいけないの?」




 わぁー、ミスった。

 これはあかんやつや。

 バッドエンドや。

 バッドエンドルート突入や。


 俺は折角立てたフラグがへし折れた事を肌で感じていた。


 そりゃそーだろーいきなりそんな事聞かれりゃそうなるだろーお前は猿飛のお父さんかよー


 そんなふうに、心の中のもう一人の俺が俺をなじる。

 俺もそう思った。

 焦りすぎた。

 頑張って声掛けたのにコレかよ……。



「……話はそれだけ? それなら私、もう行くね?」

 絶望&絶句する俺を突き放すような彼女の態度が追い打ちをかける。


「ぅぁ……ぁっ……ぁ……」

 呻き、ゾンビの様に立ち尽くす俺に背を向けた猿飛。

「じゃあ、さよなら……」

 肩越しに言い、彼女が早々と立ち去ろうとしたその時だった。

 奇跡が起きた。

「待て!」


 俺の口が、身体が、ひとりでに動いたのだ。

 そして……!


「お前、相撲は好きか?」

 俺は猿飛にそう問うていた。







 神よ。

 奇跡を起こしてくれるのは有り難いが、投げっぱなしは良くないと思うよ。


 余りにも適当な奇跡だ。

 なんだその質問は。


 目の前が暗くなって行く……が、猿飛は足を止めた。

 そして俺に問い返したのだ。

「す、すもう? お相撲?」



 目の前が一気に明るくひらけるような心持ちだった。

 俺はここが正念場だと、一歩前に踏み込んで言った。


「その通りだ! どすこいどすこいお相撲さん、の『大相撲』だ!」

「別に……好きとか嫌いとか、無いけど」



 今思えば、その質問はやはり奇跡だった。

 無意識のうちに、俺には『アテ』があったのだ。


「じゃあ、相撲を見たことはあるか?」

「て、テレビでなら……」

「力士を実際に見たことはあるか?」

「無いけど……な、何が訊きたいの? 金沼くん……」

「力士はな、デカいぞ」

「そ、それはそうでしょ……それが何?」

「そして、強い!」


 瞬間、猿飛の表情かおが変わった。

 なんと言うか、が出たのだ。


「つ、強い……?」

「そうだ! 相撲取りは強い! 一見すると肥えているだけの様に見えるが、奴らの鍛え方は半端ではない。その肉体は強靭な筋力と柔軟さを兼ね備え、しかも体重ウェイトは全格闘技でもトップクラス。張り手の威力は500kgを優に超え、立ち会いに至っては自動車に正面衝突されるのと同等の威力があるという!」


 俺の話を最後まで黙って聞いていた猿飛の喉がゴクリと鳴った。

「な……なんでそんな事を私に言うの……?」


 上気した頬を隠そうともせず、猿飛は俺に問うた。

 その問いに、俺は確信を持って答えた。

「さっきも言ったとおりだ。、と思ってな」

「……」


 沈黙を以て答えた猿飛。

 その沈黙は、肯定以外の何物でも無いだろう。


「……日曜の午後9時だ」

「え?」


 俺の言葉に猿飛はわざとらしく声を上ずらせた。

 俺はもう、

 だから余計な事を言わなかった。

「『あの場所』で、待っている」


 まるで逢瀬の誘いのようで気恥ずかしかったが、彼女はその誘いに胸をときめかせる少女そのものの顔で小さく頷いた。

「……うん」


 俺は頷き返し、それ以上何も言わずに彼女に背を向け、その場を去った。

 なんというか、出来るだけ格好をつけたい気分だったのだ。


あと、彼女の艶っぽい表情に見惚れそうだったから、というのも正直あった。



 兎にも角にも、これは大きな前進だ。

 俺はスマホを取り出し、早速犬飼と連絡を取った。

「……俺だ。今週末の予定が決まったぞ。『鬼岩城きがんじょう』に試合の依頼オファーを。ファイトマネーに糸目は付けん」

 俺がそう言うと、犬飼が言葉を詰まらせた。彼は明らかに戸惑っていたのだ。


 しかし、俺は続けた。

 の相手には鬼岩城ヤツこそが相応しい。

「いいから連絡を取ってくれ。相手ヤツじゃなければ意味がないんだよ」


 犬飼には思うところがあったのだろう。

 数瞬の無言がそれを物語ったが、それでも彼は了承してくれた。

「頼んだぞ、犬飼」

 俺はそう言い、通話を終了した。



「面白くなってきた……!」

 俺はニヤつき、あまりに大きすぎるに胸を踊らせ、まるで漫画の悪役のようにククク、と笑い声を漏らしてしまっていたのだった。






 ……後にその薄笑いを見ていた他生徒がその様子を言いふらし、本人の預かり知らないところで俺がさらなる変人へと進化していたという……。

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