第12話 あ、これいい感じじゃね?
ずぶ濡れになってしまった猿飛は鳥山婦長が面倒を見てくれるということで、俺は屋敷の応接室で彼女を待つことにした。
(まさか婦長が現れるとは……)
鳥山婦長については……俺にもあの人がよくわからん。
有能なのは実績を見れば明らかだが、あんな美人で優しいおねーさんがなんでこの家で最強格の実力者なのかが分からないのだ。
本当にあの人には謎が多い。
俺の一番古い記憶にも彼女は登場する。
それが今から11〜12年前の記憶だ。だから彼女も相応に歳を重ねているはず。
にも関わらず、彼女は見た目に殆ど変化がないのだ。
実年齢を知らないのでなんとも言えないが、見た感じは20代後半の綺麗なお姉さんだ。
艶のある黒い髪は家事がしやすいようにいつも丁寧に纏められ、スタイルも良い。
ちなみに当家指定の割烹着が最も似合うのが鳥山婦長である。
そして戦闘能力はといえば、立って良し寝て良しのまさしくウェルラウンダーだ。鬼岩城クラスの大男ですら子供扱いにし、軽々と投げ飛ばしてしまうので最初は合気道系の達人なのかと思ったが、どうやら違うらしい。
噂では一子相伝の暗殺拳を習得しているらしく、殺気や気配を消すのも朝飯前で、業務としてここでは言えないような荒事もこなすらしい……というのは悪い冗談だ。
しかし気配を感じさせない独特の技を持っているのは事実で、さっきも現れるまで彼女の存在に気が付かなかった。
おそらく婦長は道場の影で事の成り行きを見守っていて、タイミングを見計らって登場したのだろう。
(婦長は犬飼に助け舟を出した……と考えるのは少し無理があるかな?)
だが、ひと目で猿飛の実力を看破していたとしたら、あり得ない話ではない。
あの鳥山婦長なら……と思わせる力が、あの人にはあるのだ。
ぼんやりとそんな事を考えていると、一足先に着替えから戻ってきた犬飼が現れ、
「先程はお見苦しいところをお見せしました」
と、俺に頭を下げた。
「やめろって。別に謝ることじゃないよ」
「……」
「座れば?」
「……失礼します」
普段なら遠慮するのだろうが、このときばかりは素直だった犬飼。
猿飛との『お手合わせ』の内容が余程ショックだったのだろう。
「猿飛は強かったか?」
俺がそう問うと、彼は小さく息を吐いて目を閉じた。
「はい。とても」
「あそこで横槍が入らなかったとして、お前はあの『膝十字』を返せたか?」
「意地悪な質問ですね」
自嘲するような笑みを俺に向ける犬飼。別に怒っているわけではないだろうが、不愉快ではあるだろう。
「そんなつもりはないよ。ただ、お前は本気じゃ無かっただろ。廻し蹴りも踏み込みが浅かった」
「本気ではない……ですか。それは猿飛様も同じかと」
「あいつも本気じゃなかったって? 根拠は?」
「猿飛様がその気なら、私は今頃両膝を破壊され、救急車の中でしょう」
「それは極端だろ。お前が顔面打ちを躊躇したのと同じさ」
「……それとはまた別のものを感じたのです」
「別? どういう事だ?」
「何と申し上げてよいのか……ひと言で表現するなら、『猿飛様の深奥』を感じたのです。私程度では到底届かない、深く静かな強大さを感じたのです。ついぞ、彼女はそれを見せては下さらなかった……」
「ほう、例えるなら猿飛には第1段階とか第2段階とかがあるとか? フリーザかよ」
俺が笑い飛ばすと、犬飼も少しだけ表情を緩めたものの、どこか神妙に言った。
「あながち間違ってはいないかもしれません」
まぁ、確かにあいつには底しれない物がある。しかし、
俺がそんな事を考えながらソファに身を預けて天井を眺めていると、不意にドアがノックされその向こうから鳥山婦長の声が俺を呼んだ。
「総国様。猿飛様をお連れしました」
「ああ、入ってくれ」
そしてドアが開き、入ってきたのは白いワンピースを身に着けた猿飛だった。
「……」
俺は言葉を失った。
猿飛の意外な『変身』は、言葉を失うほど美しかったのだ。
「と、鳥山さんが選んでくれたんだよ。着替えが無いって言ったら、あなたにはこれがピッタリだって用意してくれたんだけど……」
猿飛は気恥ずかしそうにしているが、俺は感心していた。
「良いじゃないか。さすが鳥山婦長の見立てだ。よく似合っている」
ただ、どこかで見たことのあるワンピースだった。
(はて、どこで見たのか……?)
猿飛は思わぬお色直しにはにかんでいたが、その表情もまた高得点に寄与していた。
「わ、私なんかが着ちゃっていいのかな……これ、すっごい高いブランドの服ですよね? 鳥山さん」
恐る恐る鳥山婦長に尋ねる猿飛だが、婦長はにこにこと嬉しそうに微笑んでいた。
「構いませんよ。もう
それを聞いて俺は得心した。
「そうか、有仁子か! そういえば有仁子のヤツは遠出をする時にその服をよく着ていたな」
「有仁子……さん?」
猿飛がそう首を傾げるのも当然。俺は彼女に有仁子の事を話していないし、出来れば誰にも話したくない。
「4つ離れた姉だよ。今は海外留学中で日本にいないが、このまま帰ってこないほうが日本の国益になるようなヤツさ。」
「……な、仲悪いの?」
「悪い」
「そ、そう……」
俺の確固たる拒絶をつぶさに感じた猿飛はそれ以上詮索しなかったが、俺は取り敢えず常識人としてのフォローをしておいた。
「まぁ、
「え!? こ、こんな高級ブランドの服、貰えないよっ」
「いいって。どうせもうあいつが着られるサイズじゃないだろうし。……それはそうと、とりあえず座れよ。コーヒーでいいか?」
「え? う、うん……」
「では婦長、コーヒーを頼む」
猿飛がおずおずとソファに腰を下ろすと、犬飼と鳥山婦長は一礼して部屋を出た。
そして始まったアフタヌーンティータイム。
クラスメイトの、しかも女子とふたりっきりでお茶をするなんて俺の人生の予定には無かったイベントだ。
(取り敢えず家に招いてみたが、結局何をどう話していいか分からない!)
当然のように沈黙が流れ、俺の脇からは汗が滴った。
(ヤベ……つまんねーヤツとか思われたくない……! なにか話さねば……!)
既に目的を見失った俺は無い頭をフル回転して話題を探すが、先に沈黙を破ったのは猿飛だった。
「……お庭、キレイだね」
「え? オニワ??」
突然のことで何の事か全く分からなかったが、猿飛は窓から見える庭の枯山水を指さしていた。
「京都のお寺みたい。あれ、なんて名前だっけ……りゅう? りょう?」
「
「そう、それそれ! それにそっくり」
「あの石庭ほど立派ではないが、庭いじりは父の趣味でな。随分と手を入れている……が、肝心の父が殆ど家にいないので観るより弄る方が好きなんだろうな」
「お父さん、忙しいの?」
「ああ。滅多に帰ってこないよ。ウチも手広くやっているからな……そのおかげで地下闘技場運営なんて親不孝もバレずに済んでいるのかな?」
俺が笑うと、猿飛も「そうかもね」と笑った。
……え? コレいい感じじゃね?
俺、結構いい感じで女子と喋れてるよね?
意外とイケるじゃん、俺ェ!!
しかも自然な流れで
我ながら見事な話術に惚れ惚れした。
「なぁ猿飛、地下闘技場の件で色々聞きたいんだが……いいか?」
「……うん、そのために来たんだもんね」
「そうだな」
そうだった、言われるまで本来の趣旨を忘れていた。
俺は一旦コーヒーで唇を湿らせてから続けた。
「ではまず、お前のその体質というか、戦って気持ちが良くなる事についてだが……それは一体どういうことなんだ?」
すると彼女は一瞬ためらったが、意を決して口を開いた。
「その前に、私からも金沼くんに言いたいことがあるんだけど」
「な、なんだ?」
持ち前のレディーファースト精神で発言を譲る俺。
今思えばこれで流れの主導権を握られてしまったのかもしれないが、時既に遅しだ。
猿飛は息を吸い込み、気合十分で言った。
「私を金沼くんの地下闘技場で戦わせてほしいの!!」
そう来たか……。
猿飛の発言は、俺の予想の斜め上を行っていた。
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