第62話 長い夜の終わりには

 俺の知る猿飛……愛子と恋子。

 そのどちらとも違う『乱子』。


 愛子よりも力強く、恋子よりも技巧的テクニカル

 しかし、そのどちらもスペックの桁が違う。

 単純な腕力も、スピードも、ランクが違う。


 そんな彼女に、俺は1度会っている。

 そう、だるまクンとの試合の直後だ。

 その時感じた『異質』。

 それと同じモノが辺りを支配している。


 埓外らちがいな存在感を醸すその佇まいは、既にのそれとは何かが違った。




 居間の壁は完全に破壊され、家の中からでも外の景色がよく見えた。


 風通しの良くなった居間に、夜風がふっと外の空気を運ぶ。

 乱子はそれを深く吸い込むと、足元に落ちていた蛇乃目のナイフを拾い上げた。


 そして自ら破壊した壁から悠々と外へ出て、仰向けに倒れて曖昧に呻く蛇乃目を見下ろした。

 蛇乃目が戦闘不能であることは、誰の目にも明らかだった。



「貴様も兵を率いる者ならば、その将として最後の勤めを果たすか? 蛇乃目 兵」

 蛇乃目を見下ろし、彼に向かって切っ先を向ける乱子。


 生死の刃境を見つめる様な、真剣な表情かおで問う乱子に俺は息を飲んだ。


「……介錯が必要か?」

 動けそうにもない蛇乃目を見て乱子は言い、それを受けて半死半生の蛇乃目は震える唇で掠れた言葉を紡いだ。

「…………」


 乱子は小さく頷くと、ナイフを持ったその手を大きく振りかぶった。


……狙うは、蛇乃目の首!?


「お、おい……猿飛……?」

 まさか、殺す気なのか!?

 最後の勤めとは、死ぬ事で責任を全うするという意味なのか!?


 彼女は振りかぶったナイフの切っ先を再び蛇乃目に向け、構えた!


「や、やめろ! 猿飛!!」

 しかし、俺の声は間に合わない……!!



『『『ザクッッッッ!!』』』



 乱子が蛇乃目の首に向かって投げつけたナイフ。


 そのナイフは彼の肉を断つことは無く、その代わりに直ぐ側の地面に深々と突き刺さっていた。


「……戦国の世ならばいざ知らず、今どき首級くびなど獲っても何の価値も無い。まったく、良い世の中になったものだ」


 そう言い、乱子はいつの間にか気を失っていた蛇乃目に笑顔を向けると、直ぐに真顔で顔を上げ……、

「見世物は終わりだ! 早く手当をしてやれ!!」

 乱子は近くのカメラに向かって怒鳴った。


 振動をじかに感じるほどの大声だった。

 それだけに蛇乃目の部下達も有仁子の下僕達も行動は早かった。


 彼らは一斉に猿飛家になだれ込み、蛇乃目の手当てや辺りの後始末を始めた。


 静寂から一転、急に慌ただしくなった猿飛家。

 騒然とする庭先で、俺はと再会を果たしたのだ。


「猿飛……」


 俺は痛む身体にムチを打ち、ふらつきながらも彼女の正面に立った。

「……乱子、だって?」

「いかにも。ようやく再会出来たな、総国」

「恋子とか乱子とか、もうワケがわからん……」

「安心しろ。私で最後だ」


 何処か不敵に笑み、俺に近付く乱子……だったが、

「おっと」

 ぐらりと傾ぎ、そのまま卒倒しそうになってしまった。

「猿飛!?」

 と、駆け寄ろうとした俺に右手をかざし、

「大事ない」

 と言って態勢を整えた。


「うむ、やはり薬が抜けるまで私は引っ込んでいた方が良さそうだな。まったく、こんな時に愛子のやつは何をしているんだか……」

 乱子は独りごちると、顔を上げて言った。

「再会して早々すまんな。そういうわけだから総国、受けとめろ」

「は?」

「恋子、この場はお前に任せるぞ」


 乱子がそう言った途端、彼女の顔色がどんどん悪化し、突然膝から崩れ落ちた。


「おい乱子!」

 間一髪、彼女が倒れる前になんとか受け止めることができた。

「しっかりしろ、乱子!」

 すると彼女は顔を上げ、

「……もうだよ、総国くん」

 彼女はか細く呟いた。


 俺はハッとした。

 先程までの猿飛とは違う。

 この人懐っこい雰囲気は……

「……い、のか?」

 彼女はうん、と頷いて小さなため息をついた。


「……まいったな。があんなにも前に出てくるなんて、初めてかも」

 恋子は疲弊した顔で笑うが、その笑いはやはり乱子のものとは全く異なるものだった。



 俺はまさしく狐につままれたような心持ちだった。

 これほどハッキリとした多重人格を受け入れろという方が無理がある。

「れ、恋子。俺はもう本当に訳がわからん。どうにかなりそうだ」


 すると恋子はふふふ、と面白そうに笑ったが、実に力のない笑顔だった。

「……の事、全部話すよ総国くん。その前に……なんか甘いもの、食べたいなぁ」


 そう言って、彼女は愛子でも乱子でもない、人懐っこい恋子の笑顔を俺に向けたのだった。




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