第61話 unknown VS 蛇乃目 兵

 ぞっ。


 寒気でもない。

 悪寒でもない。

 全身が泡立つような、この感じ。


 だるまクンとの戦いの際、俺はこのぞっとする感覚を味わっている。


 なんというか、触れてはいけないモノに対する畏怖に近いこの感覚を、俺はだるまクンをくだした時の猿飛に感じていたのだ。



 蛇乃目は身を深く沈め、まるで本物の蛇のように猿飛と対峙した。

「馬鹿な子だね……大人しく逃げていればいいものを!」


 猿飛は居間の入り口で柱にもたれかかり、鼻で笑う様に蛇乃目の威嚇を受け流した。

「馬鹿はそっちだ。子供相手に遊んでいれば良いものを」


 猿飛の様子がおかしい。

 言葉も妙だ。佇まいも何か違う。

 目つきも鋭く、その表情は覇気に満ちている。


 愛子でも恋子でもない、他の『誰か』を見ているような心持ちだった。


「……あのだるまも馬鹿だった。潔く敗けを認めていればもう少し加減をしてやったものを。お前もそうだぞ、蛇男へびおとこ


 猿飛はため息をひとつ漏らし、そして……。

「そうすれば、部下の前で恥を晒す事も無かったろうに」


 彼女は


 重心を落とし、半身になって右手を前に。左手はそのやや下方で開手。

 緩やかに脱力した身体は自然体そのものだ。


 それは明らかに、武道や武術の構えだった。


 フェイクやハッタリではない。

 幾人もの強者をこの目で見てきた俺の目は誤魔化せない。

 あれは間違いなく『実戦』の構えだ。

「さあ来い蛇男。そして身の程を知れ! 」


 それを演技と見たか嘲りと見たか。

 蛇乃目の心境は分からないが、猿飛の呼びかけに応えるように彼は飛び出した!


「しいいいいッ!」

 あの長身でなんという素早さか!

 猿飛との距離を一気に詰めて、必殺の気迫で襲い掛かる蛇乃目の圧力プレッシャーに俺が気圧される。


 だが当の猿飛は絵画の様に微動だにしなかった。

 まさか、そのはやさに反応すらできないのか!?


「ねええええッ!」

 蛇乃目の腕がしなる!

 鞭のような軌道と速度で迫る手刀は猿飛の細い首を狙っていた。

 奴は一気に決める気だ。俺は思わず声が出た。

「猿飛!!」


 直後。


『ごっ』と。


 鈍い音が響いた。



 ……一体、何がどうなったのだろう。


 まるで瞬間移動だった。

 気がついた時には、猿飛の膝が蛇乃目の顔面にめり込んでいた。



「……ぶっ」

 蛇乃目の口から不気味な音と、折れた前歯が零れ落ちた。


 猿飛は蛇乃目の腕を障害物のようにひらりと飛び越え、そのまま飛び膝蹴りを放ったのだ。

 久々に見た、猿のような動きだった。


 だが、それで終わりではなかった。

 猿飛は流れるような動きでそのまま蛇乃目の腕を捕り、腕ひしぎ十字固めの体勢へ移行。


 目にも止まらぬ早業で蛇乃目を寝技グラウンドへと引きずり込んだのだ。


 しかし蛇乃目はニヤリと口角を吊り上げた。

「キミも坊っちゃんと同じ、学ばぬ子だね!」


「駄目だ! 蛇乃目には効果が無い!!」

 俺の叫びには聞く耳を持たず、猿飛は愉快そうに笑った。

「はっはっは、流石は蛇男! では、これはどうかな?」


 すると猿飛は蛇乃目の腕を掴んだまま、なんと回転!

 その勢いで自分だけ起き上がると蛇乃目の頭を踏み付け、今度はその腕を思いきり引っ張り上げたのだ。

 あの小さな身体からは信じられない膂力だ。


「ひッ!? ひぎいいいいっ!」

 今のは蛇乃目の悲鳴だ。

 何事かと見れば、蛇乃目の長い腕が更に伸びている様に見える。


 肩が外れたのか!?

 というか、異様なほどに捻れている!

 このまま千切れてしまうかとこちらが不安になるほどだ。


「はっはっは! 本当にやわいな! 」

 かなりショッキングな光景だが猿飛は愉快そうに笑っていた。

 しかし、蛇乃目はこの劣勢にあっても一瞬の隙を見逃さない。

「嘗めるァ糞餓鬼いぃ!」


 蛇乃目は無理矢理に身を捩ってその拘束を振りほどき、ダメージを顧みず起き上がると猿飛の栗色の髪に掴みかかった。

ごろしてやるぅぅッ!!」


 腕の一本ぐらいくれてやる、と言わんばかりの決死の攻撃だったが……!


「おいおい、乙女の髪に気安く触るな」

 猿飛がその手首を軽く掴んだだけで彼は呆気なく髪から手を離してしまった。


「くぅあああああっ!?」

 彼女が何をしたのか分からないが、掴まれた手首が余程痛いのか弓なりになって絶叫する蛇乃目。

「男だろ? こんな程度で大きな声を出すなよ」

 それを見た猿飛は可笑しそうに笑っていた。

「さぁ蛇よ! 飛べ!」


 次の瞬間、猿飛が蛇乃目の手首を反対側に反しただけで、彼の長身が宙を舞った。


 何をどうやったのか見当も付かない。

 まるで合気道の演武を見ているようだった。

「大人しく日陰に帰れ! 蛇男!!」


 猿飛は宙を舞う蛇乃目を追うように自らも跳躍。

 あろうことか宙空で蛇乃目の顔面に『着地』すると、落下の勢いのままその後頭部を居間の畳にハンマーで叩き付けるように打ち込んだのだった!


『『ドゴォォッッッ!!』』


 轟音と振動が猿飛家を揺らす!



 ……そして、沈黙。


 蛇乃目の頭部は半分程畳にめり込んでしまっていた。


「はっはっは」

 猿飛は高笑いして蛇乃目の『顔面』から降りると、足元の蛇乃目に声を掛けた。

「起きろよ蛇男。まだやれるんだろう?」


 俺は耳を疑ったが、蛇乃目がむっくりと起き上がったので驚いた。

 なんてタフな奴なんだ!?


「……ここまで嘗められると、逆に清々しいね」

 蛇乃目は健在だった。ダメージこそあれ戦闘は十分に続行可能であると言いたげに、その口角を吊り上げてすらいた。

「幾分落ち着いたかな? 蛇男」

 猿飛が問うと蛇乃目はフフフ、といつもと違う声で笑みを浮かべた。


「……私も戦場で色々な人間を見てきた。地獄の様な毎日に心を病み、恐怖に耐えられず発狂したり、多重人格を患った者も大勢いたよ。キミのようにね」

「心外だな。わたしは狂ってもいないし病んでいるわけでもないぞ? 」

「それは失礼。……キミは愛子でも恋子でもないな。が居たのかね?」


 蛇乃目の問いに猿飛は「いかにも」と、はっきり頷いた。

「出番としては申し分の無い好機。それにまたとない好敵手。久方ぶりに、思う存分やらせてもらうぞ」

「好敵手? それはそれは……光栄だね」


 俺には何が何だかさっぱりだった。

 3人目の人格? 

 恋子以外の人格が?


 しかし蛇乃目は冷静だった。

 というより、全てを達観しているようにも思えた。


「そうか、やはり3人目か。キミにも名前はあるのかな?」

「名前か……本当の名前はもう忘れてしまった。だが、今は『乱子らんこ』と名乗っている」

「……らんこ?」

は戦乱の乱。動乱の乱。今も昔も、乱れの中こそ我が住処よ」

「乱子か、それはいい。ならば私も改めて名乗ろう。ゴールドメンバーズ隊長、蛇乃目 兵だ」

 背筋を伸ばし、堂々と名乗る蛇乃目を猿飛は好意的な瞳で見詰めていた。

「……しなに」



 事態は俺を置き去りに急展開している。


『乱子』だって? 


 ふざけてるのか本気なのかすら、全くわからない。


 だが、もう信じるしかない。


 恐らく、ここで勝負が決まる。



「さぁ、お互い名乗り終えたところでやることはひとつだな」

 乱子が言うと、蛇乃目はベルトの背部に仕込んでいたサバイバルナイフを抜いて逆手に構えた。


「……」

 蛇乃目は何も喋らなかった。

 ただ、目が既にまともではなかった。


 異常者の目だ。人を殺してもなんとも思わないような……或いは、人を殺すことを生業にしているような……そんな目だった。


 彼は『本気』なのだ。


 しかし乱子に臆する気配は微塵もなく、むしろそんな蛇乃目を歓迎するような笑顔を見せていた。

「せめて、悔いの無いようにな。蛇乃目――」

 乱子が言い終わる前に蛇乃目は動いていた。

 奇襲だ!


 蛇乃目の白刃は迷い無く乱子のくびを斬り裂きに行くが、彼女は僅かなスウェーバックでそれを回避。


 返す刃で斬りつける蛇乃目の凶刃すら、乱子は軽々と紙一重で躱した。


 風切り音が虚しく響くが、殺気は鋭さを増していく。


 蛇乃目は冷静に、淡々とナイフを振り続けた。


 ――ッ!

 ――ッッ!!

 ――ッッッ!!!


 細く鋭い音が、空気を細切れにしている。


 その光景はまるでアクション映画だった。

 息もつかせぬとはこの事かと思えるほどの速度と正確さでナイフを扱う蛇乃目の技術は目を見張るものがあったが、それを紙一重で躱し続ける乱子もまた驚異であった。


 ―――ッ!?


 突然、ナイフが風を斬る音が増えた。

 俺は息を飲んだ。

二刀にとう!?」

 いつの間にか蛇乃目の両手にナイフが握られていたのだ。


 信じられない事だが、先程目一杯に捻り痛め付けられた右腕も問題なく動いている。

 今の蛇乃目は痛みすら感じないのか?


 そのさまこそ、まさしく『死に物狂い』というのだろう。


「そうそう! そう来なくては!!」

 乱子は別段驚くでもなく、面白いモノを見るように笑った。


 更に速度とその数を増やす風切り音。

 まるで曲芸のように、生き物のようにナイフを扱う蛇乃目の技量は見事の一言に尽きる。


 普通の人間相手であればここは既に血の海だろう。

 だが、猿飛……いや、乱子は既に人間の域を超えてしまっていたのか。

 蛇乃目のナイフは彼女の一切を傷つけることが出来ないままだった。


 乱子は虚々実々織り交ぜた斬撃の一つ一つを丁寧に見送り、また迎えては見送る。


 彼女が蛇乃目のナイフを既に見切っているのは、もう明らかだった。


「その長駆でこれ程に迅く鮮やかな剣捌き……天晴れだ! 蛇乃目 兵!!」

 突然、鋭い打撃音と共に蛇乃目のナイフが二本とも宙を舞った。

 乱子が超速度で飛び交う蛇乃目のナイフを狙って二発の蹴りを放ち、それが命中したのだ。

 

 何が起きたのか。

 あまりの速度に見ているものは勿論、蛇乃目ですら呆気に取られ、きらきらと輝き宙を舞う二本のナイフをただ眺めていた。


――だが。


 突然、蛇乃目が腰を落として両腕を引いた。 

 そして腰から何かを引き抜いたと思った瞬間!


『『ジャキッッッ!』』


 鋭い金属音と共に、彼の両手にはハンドガンが握られていたのだ。


 仕込み銃スリーブガンか!?


 ナイフといい銃といい、一体どこにどれだけ武器を仕込んでいるんだ!?


 駄目だ、俺の思考が追いつかない!

 それ程の速さで状況は変化している。


 俺が銃に気が付いた頃には、蛇乃目は目の前の乱子に向かって両のハンドガンを乱射し始めていた!


!!

!!!

!!!!


 躊躇の無い発砲と耳を劈く銃声は絶え間なく続くが、乱子にはかすりもしない!


 至近処理の乱射はまるで銃による殴り合いインファイトだ。

 激しいマズルフラッシュと銃声は無差別に命を奪おうと牙を剥くがしかし、乱子はそれらを紙一重で躱し、或いは払い、弾き、逸らし、全く問題にしない!


「そうだ! それでいい! 蛇乃目兵! お前は戦士として正しい!!」


『『ジャキッッッ!!』』

2度目の金属音。


それは蛇乃目の銃が全弾を撃ち尽くした合図……『ホールドオープン』の音だった。


 そして。


「返礼致すッ!」 

 乱子が叫んだ。


 直後、ものすごい轟音が猿飛家を揺らした。


『『『ドッガァァッッッ!!』』』


 乱子が蛇乃目を蹴ったのだ。


 強烈な上段回し蹴り。


 既に『猿飛愛子』の代名詞となったハイキック。


 ただ、その威力が異常だった。


 凄まじい蹴りの威力で居間の反対側まですっ飛んだ蛇乃目は壁に激突しても勢いを殺しきれず、体の半分ほどを壁にめり込ませてしまったのだ。


 しかし、それで終わらなかった。


「たああああッッッ!!」

 乱子は壁にめり込んだ蛇乃目に容赦の無い追撃の連打を浴びせ始めたのだ!


 ドッッッ!

 ドドッッッ!

 ドドドッッッ!


 拳が、蹴りが、肘が、膝が、文字通り『乱舞』する。


 息もつかせぬ連打連撃は目にも止まらぬ速さと力強さで蛇乃目を滅多打ちにする!


 始めは必死に防御を固めていた蛇乃目だったが、乱子のあまりに苛烈な連撃に防御ごと打ち崩され、直ぐに乱舞の餌食となった。


 ず、

 ずず、

 ずずず……ッ!


 乱子の拳足が蛇乃目を打つ度に、鈍い破砕音と共にしていく。


 ビキ、ビキと一際嫌な音が鳴り響いたその時。

「おらああアアッッッ!!!」


 乱子が放った全身全霊の右ストレートが蛇乃目の顔面を真芯で捉え、その勢いのままついに壁を破壊!


 蛇乃目は壁を突き破り、轟音たなびかせて屋外まで吹っ飛び、さらに数メートル転がって彼はようやく静止した。


 ………。


 途端に静寂が訪れた。



 猿飛家の周りを固めていた蛇乃目の部下達も、

 会場の観客達も、

 犬飼達も、

 もちろん俺も、

 誰ひとり、ただの一言も声を発さなかった。


 いや、発せなかったのだ。


 声を出せば、

 見つかれば、

 次は自分が狙われる。 


 そんな漠然とした恐怖に、曖昧な緊張に、誰もが声を出す事も、物音を立てる事すらも憚っていたのだ。



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