第60話 たったひとつの冴えたやりかた

 人間の思考は常識がその柱だ。

 善悪や愉快不愉快もベースは常識。 

 或いは【普通】という曖昧な感覚がその役割を果たす事もある。


 それはありとあらゆるに於いても同じ事が言えるだろう。


 苦痛を与えるのも、その逆も、全ては常識や普通といった物差しが基準だ。


 だが、蛇乃目には色んな意味でそれら常識が通用しないようだ。



「その長い手足、そして胴体……蛇乃目おまえのトリックのタネはそこだな」

 俺の指摘に、蛇乃目はニヤリと笑んで続きを促した。


「ほう? トリックだと?」

「ああ。お前の関節は異様に可動域が広いだけではなく、んだ。正確には腕の長さ……前腕から肘関節、そして上腕から肩までの長さの人体比率バランスが普通の人間とは違うんだ。さっきの蹴りもそうだ。おかげで間合いを見誤ってしまった。ただでさえやわらかすぎる関節に加えてそのアンバランス具合だ。関節は容易に極まらないし、極まるとしても位置が普通じゃないからどこを支点に梃子てこを作っていいかわからない。解剖学的に見れば僅かな差かもしれないが、戦闘のような一瞬の奪い合いに於いてその迷いは致命的だ。たとえ関節を捉えたとしても、その一瞬のうちに外されてしまう。これじゃあ極まらないわけだ」


 俺の解説をうんうんと頷いて聞いていた蛇乃目。その表情は余裕そのものだった。


「模範的な回答だ総国くん。お察しの通り私は訓練によって関節技をものともしない柔軟性を手に入れた。おまけに生来の手足の長さに加えて関節の位置が全身で平均値とは異なる。数センチの誤差だがそれで十分。キミたちのサブミッションなどマッサージのようなものだ」

「成程。お前の言うとおり『関節が無い』とは言い得て妙だな。『そこにはない』という意味でな」

「言葉遊びをしたつもりはないが、それは面白い考察だね」



 そして再び距離を取った俺達の戦いは【第2ラウンド】突入といったところだった。

(感触は悪くない……だが、このままでは勝てない……!)


 蛇乃目の秘密を暴いた所で関節技が有効打にならない事に変わりはなく、状況が好転したわけではない。


 だが、ここで守りに入ってはいけない。

 攻めに攻めて、必ず勝つ。

 それしか生還するすべは無い。


 散らかったキッチンで対峙する俺と蛇乃目。

 一見して蛇乃目の優勢は明らかだ。

 俺もその意見に異論は無い。むしろ、俺の劣勢が際立つ程だ。


 しかし、父は言う。


【9回裏からでも逆転できるところが! 男家業の良いところだ!!】


 きっとこれも自分の言葉じゃねーんだろーなぁと思いつつ、割と心に響いたこの言葉。


 だからこそ、俺はいつだってそんな心意気で逆境バッターボックスに立つのだ。

 狙うはもちろん、逆転サヨナラ満塁ホームランだ!



 張り詰める膠着状態の最中、蛇乃目はさも可笑しそうにふふんと鼻で笑った。

「ところで、先程のキミのセリフだが……どうして猿飛愛子が出てくるのかな? 彼女がキミに何を教えてくれたというのかね?」


 戦闘中だと言うのに余裕の表情を崩さない蛇乃目。しかし、それを突き崩すチャンスをくれたのは紛れもなく猿飛なのだ。

 だから俺は、猿飛の為にもこの男に勝たなくてはいけないのだ。


猿飛あいつも無駄と分かっていてお前に関節技を仕掛けてたんだよ」

「ほう? 何故かな?」

「あいつはお前が思っているよりずっと強くて切れ者だ。関節技は効果が無かった。だが、お前は『四の字固め』には反応した。猿飛がこの状況をどこまで想定していたのか分からないが、あの時点で彼女は助けが来る可能性に賭けていたんだと思う。だからあいつはお前のを、俺に伝えようとしていたんだよ」

「私の弱点だと?」

「そうだ。お前、んだろう?」


 俺がそう言うと、蛇乃目はほんの少しだけ眉を動かした。

 僅かな反応だが、俺にはあまりにデカすぎる動揺だ。


「話が見えないな。はっきりと言い給えよ、総国くん」

「お前は四の字固めが痛かったんだよ。猿飛はそれを俺に伝えたかった。いや、あいつもそれを確かめたかったのかもな。あの技は膝関節だけじゃなく、相手のすねも痛めつける技だ。猿飛はそれを踏まえてお前の長くて締め上げやすい脛骨けいこつを思い切り締め上げた。それがお前は痛かったんだ。だからすぐに薬物で猿飛を無力化した……違うか?」


 俺の説に対し、蛇乃目はいかにも馬鹿馬鹿しいといわんばかりに笑った。

「ははは、なんだそれは。何故そんなことを伝えたかった? 4の字固めフィギュアフォーレッグロックが痛かったかどうかなど何の意味がある。仮にそうだとしてそれが何だ。そんな事を暴いたとしてそれが何だ? それでどうして私が敗北する理由になるんだ? 言ってみたまえ総国くん」


『仮に』だと?

 仮にどころかど真ん中だろう蛇乃目。

 その饒舌さがお前の本音を物語ってるんだよ!


「お前が『普通に痛みを感じるただの人間』だという事が分かったんだ。お前は特別でもなんでもない、関節が軟かいだけの『普通の人間』だ! それがお前の敗北ける理由なんだよ!」


 俺は蛇乃目に向かって全力で突っ掛けた!

 両拳を前面に構えて突っ込む俺に、蛇乃目は呆れた顔を向けている。

「……打ち合うのか。学ばぬ子だね」

「だああああ!!」


 そして間合い――! 

 蛇乃目は俺の攻撃を誘うようにやや身を引いて……くれた!

 余裕綽々の蛇乃目は、俺の突撃を無抵抗で迎え入れてくれたのだ。

 ご丁寧な歓迎痛み入る!


「蛇乃目! お前、甘いのは好きか!!」

 俺が叫ぶと蛇乃目は『?』マーク一つ分といった顔をしたが、その隙で十分だ!


 俺は先ほど床で暴れた際、こっそり懐に忍ばせておいたボトルタイプの蜂蜜のキャップを外してその中身を蛇乃目の顔面めがけてぶち撒けてやったのだ!


「な!? うぶっ!」

 これには流石の蛇乃目も虚をつかれたか、背後に大きくよろめいた。

「まだまだぁ!」

 蜂蜜まみれの蛇乃目を押し倒し、馬乗りになってさらに蜂蜜を搾り出す!


 猿飛は徳用とか大容量というお得感のある言葉が大好きなのでこの蜂蜜も徳用ボトルだ。

 俺はとにかくボトルを絞り、出来るだけ多くの蜂蜜を蛇乃目に食らわせたかった。


 だが、流石に敵も無抵抗というわけではない。

 蛇乃目は身を捩って俺の馬乗りから抜け出し、寝転んだ態勢のまま俺を蹴り飛ばして唸った。

「ぶるわああ!? 何の真似だこの糞餓鬼ィィィ!?」

「おや蛇乃目隊長、いつもの偉そうな喋り方は? 熱くなんなよ、みんな観てるぞ?」

「殺す! 殺してやるぞクソガキ!!」

「やってみろよ!」

 俺は床に散らばっていた色んなモノをかき集めて蛇乃目に投げつけた。

「オラオラオラ! いくぞ蛇乃目ぇ!」

 

 ……残念ながら、もうここからは作戦なんて呼べるものはほとんどなかった。

 むしろ運に左右されるギャンブル的な戦闘になると全身で感じていた。


 蛇乃目の上半身は蜂蜜でべとべとだ。その粘着性のおかげで俺の投げつけたモノは振り払ってもうまく振り払えきれない……特に顔面。俺はとにかく蛇乃目の視界を遮り、少しでもその動きを鈍らせたかったのだ。


「だらあああ!」

 俺は全力で蛇乃目の鳩尾みぞおちを蹴り込んだが、何の抵抗も受けずにクリーンヒットした。


 ドムッッッ!!


 鈍い音と確かな手応え!!

(……入った!!)

 蜂蜜が蛇乃目の俊敏さを殺したか、モーションの大きい全力キックが防御もなしに突き刺さった!!


 一瞬でいい。

 ほんの一瞬でいい。

 俺の単なる力任せの蹴りが大した効果を示さないのは分かっている。

 俺が欲しいのは一瞬の、ただの一瞬の隙なのだ。


「ッしゃあ!!!」

 否が応にも気合が入った。


『決まってくれ!』

 俺はそう心の中で叫びながら、蹴りを食らって前屈した蛇乃目の首を抱き抱える様にして締め上げた!


『フロントネックロック』!

 前方からの裸締めだ!!


「きまれえええええッ!!」

 思わず声が出た。

 いや、ここで出なくてどこで出るんだ?


 俺はさらに締め込むべくそのまま後方へ尻餅をついてとどめに行った。


「~~~~!!」 

 りきが入る!

 俺は唸り声を上げながら、蛇乃目の首を締め上げ続けた。


 こいつが関節技が効かないだけで、痛みを感じる普通の人間なら構造的にも人間の枠を出ないはずだ。であれば、『気道を攻める絞め技』が効かないはずがない。


 もし薬で弱ってなければ猿飛だって絞め技を使っていたに違いない。或いは、蛇乃目は最初から締め技だけは警戒していたのかもしれない。

 であれば、そこがこいつの弱点だ!!


 決まれ!!

 その一心で締め続けてどの程度経ったか。


 始めは抵抗していた蛇乃目も、ピクリともしなくなっていた。


 勝ったか!?


 そう思った瞬間だった。


「……ククク、残念でした」

 蛇乃目は憐れむ様に言うと、その態勢のまま俺の横っ面に拳を叩き込んで来た。


「ぶはっ!?」

 どこから飛んできたのか分からない突然の殴打に俺は思わず拘束を緩めてしまった。

「惜しかったね、総国くん」

 すると蛇乃目はもう一発と言わんばかりに俺の顔面を殴打。


 そしてサッと飛び退くと、殴られたダメージですぐに起き上がれないでいる俺を見下ろし、首を摩ってニヤついて言った。

「なかなかいい蹴りだったよ。フロントネックも悪くなかった」


 あの状態からどうすれば殴れるんだ? と不思議に思うほど柔軟な関節だ。

「……っ」

 もう、舌打ちすら掠れて上手くできない。


 最高のチャンスを逃してしまった俺を見下ろす蛇乃目は心底嬉しそうに笑っていた。


「ククク、私を見くびるなよ総国くん。この私が絞め技に耐える訓練をしていない訳が無いだろう。そもそも、私がキミのようなド素人の裸締めで失神するわけがない。全くお粗末な攻撃だ。つくづく、キミは子供ガキだね」


 鼻から何か熱いものがだらだらと零れ落ちていた。

 手で拭うと、やはりというかなんというか、当たり前のように赤かった。

「……鼻血なんていつぶりかな」


 なんとなくそんな言葉が出たが、蛇乃目は俺を無視して無言で歩を進める。


 ザクザクと蛇乃目の硬そうなブーツの足音を聞きながら、俺はぼんやりと昔を思い出していた。


「ああ、父さんと稽古したとき以来ぃッ!?」

 俺のセリフが途中で途切れた。

 蛇乃目が俺をサッカーボールのように蹴ったのだ。


 なんとかガードが間に合ったが、もの凄い蹴りだ。

 俺はキッチンと廊下を隔てる引き戸を突き破り、廊下へと転がった。


 ああ、まずいな。

 これは、駄目だ。


 そんな事を考えながら追撃の蹴りで廊下をさらに転がり、引きずり起こされてぶん殴られた。


 なんて乱暴なやつだ。しかも、そのヒョロい身体からは想像も出来ない腕力だ。


 俺はぶっ飛ばされた勢いでふすまをぶち破って居間に突っ込み、畳に顔面を思い切り擦り付けた。


 くそ、やっぱり駄目か。

 俺は心の中で毒づいた。


 散らばったガラスを蛇乃目の靴がじゃりじゃりと鳴らしながら、悠々と近付いて来る。

「……総国坊っちゃん」

 そして蛇乃目の靴が俺の目の前で止まった。


「先程、司令室で有仁子お嬢様が言っていた『あれ』とは何かね? 『私のようなクズには必要ない』とまで言い切る『あれ』とは? 興味深いね……教えてくれたまえよ」


 こいつは本当に地獄耳だ。

 きっとあのインカムで司令室での会話を盗聴していたのだろう。


「……」

 俺はその戯言を黙殺しようとしたが、蛇乃目の思わぬ一言でそれも無駄に終わった。

「……それは、『金山きんざん』かね?」

「っ!?」


 蛇乃目のに反応してしまったのだ。

 俺の露骨な反応に確信を得た蛇乃目は、これまで見た中で一番邪悪な笑みを浮かべて声を震わせた。

「そうか、やはり実在するのだな? 『金山』は。……金沼家所有の凄まじい量の金塊が、この日本の何処かに隠されているという噂は本当だったんだね」

「……」

「『金山』の時価総額は徳川埋蔵金や山下財宝を遥かに凌ぐというじゃないか。そんな財宝を、金沼家は本当に所有しているというのだな! ククク……これはいい。最高だ!」


 嬉々とする蛇乃目がこの上なく不愉快でたまらない。俺はムカつき過ぎて逆に笑ってしまった。

「ははッ……徳川埋蔵金? 山下財宝? 金山は、そんなものじゃないぞ……!」

「おお! さらに価値があるというのか!? 素晴らしいッ!! ファンタスティック!! マーヴェラスッ!!!」


 蛇乃目はひとしきり歓喜すると、膝をつく俺と目線を合わせる様に屈んだ。

 そして金に目がくらんだ者特有のギラついた瞳で笑った。

、取り引きをしよう。とりあえずキミの命は保証する。その代わり、人質になってもらう。そしてキミのお父上と私は交渉をする。もちろん、キミの身柄を交換条件に『金山』を頂く……そしてそのカネを金沼家転覆の為の資金源にするのさ!! キュヒヒヒィィィィ!!!」


 またしても怪鳥の様な声で笑う蛇乃目。

 その浅ましい姿に最早ゴールドメンバーズ隊長としての威厳は皆無だった。

「さぁ坊っちゃん。決心したまえ。その若さで死にたくは無いだろう?」

「……そうだな」


 仕方がない。

 もう金山を使うしか手がない。


 未だに猿飛を保護したという情報はない。

 もし保護されていれば、犬飼が報せてくれるだろう。


 或いは、鳥山婦長に何かあったのか。

 猿飛の身に何かあったのか。


 ……金山を使おう。


 猿飛を守り切るためには、それしかないのだ。


「……分かった、蛇乃目。金山は……」

 俺が腹を決めた、その時だった。


「ぶわはっ!!」

 奇声をあげて蛇乃目が吹っ飛んできた。


 何者かに攻撃されたのか、まともに受け身も取れずに彼は俺目掛けて倒れ込んできたのだ。


「クッ!? グゥぅぅッ!?」

 呻く蛇乃目。何が起きたのか全く分からないが、状況から察するに彼が何者かによって後頭部に打撃を食らい、こちらに吹っ飛んで来たのは間違いない。


 でも、誰に……?


 蛇乃目は即座に立ち上がり、俺に一瞥もくれずにに向かって言った。

「薬が切れたか! だが丁度いい! お前も捕らえて捕虜にするッ!!」


 誰に何を言っているのか……。


 いや、まさか。


 一抹の不安と、そんなバカなという否定。

 だから、その姿をこの目で見るまで信じられなかった。


 だが、見てしまったからには信じるしか無い。


「……猿飛」

 俺の視線の先、居間の入口に猿飛が立っていたのだ。

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る