第59話 金沼総国 VS 蛇乃目兵

『総国様!?』

 犬飼の声だ。

 スピーカーから聞こえる音割れしたその声だけで、彼が今どんな顔をしているのかよく分かる。

『戦闘はなさらないのでは!?』


 俺は彼に『戦闘は避け、猿飛を救出する』と説明した。

 しかし、物事はそう簡単にはいかないものだ。

「……蛇乃目の事だ。たとえ逃げても地獄の底まで追ってくるだろう。それに、手負いの猿飛を連れていては逃げ切れない。であれば、俺がここでこいつを倒すしか無いだろう?」


 倒す、という言葉が可笑しかったのだろう。蛇乃目はククク、といやらしく笑った。

「素直に逃げた方がよかったのでは? まぁ、ここから逃げた所で私の部下がそこら中にいますがね。今頃、猿飛愛子彼女も私の部下に捕らえられているでしょう。結局、無駄なあがきです」

「それはどうかな? 鳥山婦長がで参戦してくれている。彼女が猿飛を護ってくれている筈だ」

「鳥山? あの女が来ているのか……ッ!」


 蛇乃目は婦長の名を聞くと忌々しげに舌を打った。

 流石は鳥山婦長だ。あの蛇乃目も彼女には最大級の警戒を余儀なくされている様だ。

「というわけだ蛇乃目。これでふたりきり、心置きなくヤれるな……」


 ついに対峙した俺と蛇乃目。

 犬飼がそれをどう見ているのか分からないが、俺は彼の主人あるじ……いや、として言った。


「いいんだ犬飼。遅かれ早かれ、俺はこの男と正面から向き合う必要があったんだ。避けては通れない道なんだ。だから、そこで見届けてくれ、犬飼……」


 俺の言葉には何の返答も無かった。

 それでいい。

 犬飼は沈黙をもって俺の気持ちに応えてくれたのだ。




 蛇乃目が隙あらば金沼家を掌握しようと企んでいることなんて、俺も有仁子も小学生の頃から分かっていたし、その兆候は幾度となくあった。


 有仁子は俺よりも早く蛇乃目の脅威に気付いていて、俺より歳が上なだけにその影響も大きかった。


 金沼家を守るという意識が強かった有仁子はそれ故か攻撃的な性格になったのではないか。

 いつだったか鳥山婦長が有仁子の性格をそう分析していたが、俺は単純に有仁子は根っからの性悪なだけだと婦長の論に異を唱えたのがもう5年以上前だ。


 いつかは蛇乃目こいつと直接対決をする日が来るであろうことは想定していた。もう少し後の事かとは思っていたが、予定が早まっただけで覚悟は出来ている。むしろ5年もよくもった方だろう。


 ……そして、今が『その時』。

 ただそれだけの事だ。



「蛇乃目、お前の魂胆なんて金沼家の全員が気づいている。だが、特に対策をしているわけでもない。何故か分かるか?」

 俺の問いかけが不可解だったのか、彼は怪訝そうに眉をひそめた。

「……何故でしょう?」

「対策をしないように、父が皆に命令してるからだよ」

「ほう、大旦那様が。どうしてかな?」

「お前ごときに寝首を掻かれるようじゃあ金沼一族の資格無しと断じているからだよ」


 蛇乃目はニヤニヤと気持ちの悪い笑みを浮かべながら俺の話を聞いていた。

「ふむふむ。しかし、そうだとしたら犬飼はなんだ? キミの護衛じゃないのか? 偉そうな事を言っているが、結局キミは護られているんじゃないのかね?」

「俺も有仁子も自分の身は自分で守れと教えられてきた。言っておくが犬飼も鳥山婦長も俺たちのボディーガードじゃない。彼らはあくまでもウチの使用人だ。俺や有仁子のためではなく、大事なスタッフなんだよ」

「ふむ、だから有仁子お嬢様は大層な武器で身の回りを固め、キミは大旦那様から戦闘訓練の手ほどきを受けていたというのか。ククク、面白い。この私にその戦闘訓練おままごとが通じるか、試してみるかい? だがこれは訓練じゃない。実戦だ。キミに耐えられるかな?」

「お前こそ試してみろ! 金沼超越郎仕込みの喧嘩意地ゴロメンツを!!」


 俺は目の前のテーブルを蛇乃目に向かって勢い良く蹴り飛ばした。

 だがそんなことは想定内だった蛇乃目は難無く受け止め、それがどうしたと不敵に笑む。

「おや? いきなりヤケクソかな?」

 当然ダメージを狙ったわけではない。間合いを取りたかっただけだ。

「行くぞ蛇乃目ッ!!」

 テーブルを乗り越えて蛇乃目に飛び掛かった。ここからは接近戦だ!


「おらあ!!」

 気合一閃、俺の飛び蹴りは蛇乃目の硬いガードに受け止められた。

(うん! 全く効果が無いな!!)

 蹴った本人がそう感じるほどに手応えのないクリーンヒットだった。

「クククッ!」

 蛇乃目が破顔する。ノーダメージを誇示するような顔だ。

 その顔がまたムカつくが、俺の目的はだ!


 飛び蹴り直後の割にはきれいに着地出来た。

「ククッ! 次は何をするのかな?」

 蛇乃目が即座に攻撃してこないのは俺を見下しているからだ。わかりきった展開だ。


「ッシャアッ!」

 再び気合一閃、接近戦だ!!


 !!!


 俺のジャブ、フック、ボディーブローという黄金のコンビネーションは蛇乃目に対して全くと言って良い程効果を示さず、それどころか全て前捌きで叩き落とされてしまった。


「嗚呼、悲しいほど弱いなぁ……所詮キミは護身術程度の事しかできないんですよ! 坊っちゃん!!」

 蛇乃目の長い脚がものすごい速さで飛んできた……が、俺は咄嗟に右腕を上げてガード! 

(ぐぅっ!? ひょろ長いくせになんてパワーだ!?)

 だが、なんとか防御には成功した。


「ほう? 防御ディフェンスはまぁまぁだね。では、これはどうかな?」


「「「ヒュンッッッ!」」」


 風切り音を引き連れ、矢継ぎ早に蹴りが飛んで来た!! しかし俺はその間合いの外だ。こんなモノは避けるまでも……!

(避け……られない!?)


 ドゴッッッ!!


 鈍い音が俺の全身に響く!

(なんだ今の蹴りは!? 伸びたぞ!?)

 しかし俺は両腕で身を固めることでそれを防御。ダメージを抑えながら間合いを取った。

(いや、実際に伸びたわけじゃない……だとしたら、間合いを見誤った? でも何故……)


 混乱は選択を誤らせる。

 俺はガードを固め、反撃のチャンスを待った。

「ククク、大旦那様は防御だけはしっかり教えてくれた様だね。 だが、防御だけでは勝てないよ?」

 蛇乃目は余裕を余した猛攻で俺を攻める。

 明らかな加減を感じるが、どの攻撃も侮れない角度で入ってくる。

 俺はとにかく急所を守ることに徹して好機を待つ!

 ……もっと近くへ!

 もっと懐へ……!!

 狙いは……!!!


「坊っちゃん、キミはまさか……」

 そう、そのまさかだ。

「もらった!」

 

 蛇乃目が見せた一瞬の隙はその長い腕が長すぎることだ。パンチの戻りがどうしても遅い。


 いいタイミングでいいパンチが来た!


 俺はガードを解いてその伸び切った右腕にしがみつき、『飛びつき腕ひしぎ逆十字固め』を敢行した!!


「おおおっ!」

 蛇乃目は感嘆の声を上げながら俺と一緒にキッチンの床へと転がり、テーブルが吹っ飛び、食器棚から散らばった食器たちが辺りに散乱した。


「やるじゃないか坊ちゃん! いまのは美しかったぞ!」

 蛇乃目はどこまでも余裕だ。だが、左手で右手を握って右肘を伸ばすまいと抵抗している。

「だったらご褒美にこの右腕くれよ! 蛇乃目ぇぇ!」

「いいとも!」

 蛇乃目はあっけなく左手を離した。

「ッッッ!?」


 俺はいくつもの意味で驚いた。


 蛇乃目があっさり抵抗を止めた事。

 蛇乃目の肘が嘘のように反り返った事。

 案の定、こいつにダメージがない事。

 そして……。


 俺は素早く起き上がって蛇乃目と距離を取った。

「……そうか、恋子の関節技が効かなかったのか」


 蛇乃目はククク、とほくそ笑みながらゆっくりと起き上がり、俺に向かって拍手した。

「いや、なかなかというか流石というか、キミは思っていたより優秀な戦士ウォーリアーのようだ。総国くん。私の身体のに気付いてこれ以上の攻撃サブミッションは無意味と判断し、危険な密着状態を回避して次の行動を模索するのは良い判断だ。猿飛愛子シロウトとは大違いだよ」


 何段も上から見下ろすように俺を褒める蛇乃目。こいつのこういうところが人に嫌われる要因だと、いつか教えてやらなければな。


「……お前は何も分かっていないな、蛇乃目。お前の秘密は、猿飛あいつが教えてくれたんだよ」

「ほうほう? どういうことかな?」

 俺は蛇乃目の質問に答えず、目の前の薄気味悪い蛇顔を指差し、宣言した。


「蛇乃目 兵、敗れたり!!」



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