第90話 ゴールデンスランバー
遂に因縁の対決の火蓋が切って落とされた!!
高らかに打ち鳴らされた試合開始の鐘!!!
元・世界地下格闘王者VS大富豪の息子!!!!
史上稀に見る異色のカードの行方や如何に!?
………などと、それらしく煽ってみたがはてさて。
会場の大歓声をよそに、リングの上のふたりは静かだった。
私の予想ではだるまが一気に攻め入るであろうと予想したが、奴は存外冷静だった。
重量級の喧嘩屋らしいジリジリとした間合いの詰め方で総国の先手を潰しつつ、自分の間合いを作っていく。
うーむ。中々の
あの筋肉の塊がじわじわと迫ってくるのだ。
普通なら避けるか道を譲るかなのだが、総国はそのどれでもなかった。
彼はゴングとともに両腕を持ち上げ拳を眼前に、軽やかな足運びでだるまとの距離を計る。
その構え……つまり『ファイトスタイル』を一言で形容するのなら【ボクシング】である。
総国の構えに対する会場の反応は賛否両論だった。
あのだるまと打ち合うのかと期待した観客から歓声が上がったものの、失笑する者も少なくない。
分からなくもない事だ。
何せあの体格差、体重差。
打ち合うのなら総国が圧倒的に不利だからだ。
これが柔道ならば柔よく剛を制す。小よく大を制すにもなり得るが、ボクシングのような純粋な殴り合いではそうもいかない。
いかなスピードで翻弄しようともテクニックで出し抜こうとも、サイズの差はいかんともしがたいのだ。
ボクシングそのものが階級によって細分化されている事実がその裏付けなのである。
それらを踏まえて。
私はもちろん、賛否でいえば『賛』である。
なるほどそう来たか。
総国も底意地の悪い奴だなぁとニヤついてしまう。
しかし、総国を特によく知るである犬飼さんは、意外にも『否』であるようだ。
「あのだるまクンと打ち合う気ですか? いくらなんでも無謀です……!」
彼は呻くように呟いた。
この反応を見うるに、犬飼さんはご存じない様だな。
「犬飼さん、総国の『金山』を見たことは?」
「……ありません。それに金山の事は『そういうものがある』という噂程度の事しか存じません」
「では、総国の喧嘩の程度がどれ程かは?」
「総国様は有事の際にご自分の身をご自身で守ることができるようにサバイバルや格闘技の訓練を大旦那様からお受けになられています。しかし、私の知りうる限り総国様の実力はだるまクンには到底及びません。十分に加減をされていた蛇乃目隊長にも遠く及ばなかったのがその証左です。それに総国様の格闘技術は一般的な
「ふむ。さすがは犬飼さん。実に客観的かつ正確で、正直な意見だ」
「恐れ入ります」
犬飼さんの意見について、私もほぼ同意見である。
ただし、それは金山を考慮に入れない前提で、だ。
まぁ、金山のことは超越郎から無暗な口外を禁じられているのだろう。
犬飼さんほど親密な関係の人物なら別に良いのではないかと思わんでもないが、総国はそういうところは馬鹿正直で、真面目なのだ。
個人的に、そんな馬鹿者は嫌いではない。師に忠実な者は、それなりの対価を得るのだ。
「成程。確かに総国の実力はだるまには及ぶまい。真正面から打ち合えばあっという間に殴り殺されるだろう。ただし、それは総国が総国の力だけでやりあったのであれば、という条件付きだ」
「……申し訳ございません。私にもわかるようにご説明願えませんでしょうか」
「ふふ、私の説明など無くとも、今に分かるよ」
私も大概意地悪だ。
犬飼さんをからかうつもりは更々無いが、こればかりは百聞は一見に如かずなのだ。
リングの上では総国が軽やかにステップを刻み、だるまがそれをじりじりと追う。
だるまの足運びはその足の大きさもあってゆったりとも見えるが、中々どうして見事なものだ。
重心を巧みに乗せ替えながら総国を射程に捉えようと距離を詰めている。
総国も総国で素早く動いてだるまとの間合いを取っている。
一見同じように好機を窺っているようだが、総国とだるまとの決定的な違いは追うか、追われるか、である。
だるまは前者、総国は後者。逃げ場の限られているリングの上では後者が明らかに不利。
その上、だるまは思った以上に慎重で算段深かった。
徐々に、だが確実に総国の退路を断ちながらの接近はほどなく功を奏し、総国を金網まで追い詰めた。
そして、だるまが
「ぶち殺してやるよ」
だるまはやはり筋肉馬鹿なのだ。
ここまで慎重にやってきたのにも関わらずチャンス到来とばかりに、この機を逃さぬとばかりに全力を込めて総国に殴りかかったのだ。
「ッシャアッッ!!」
ずむっ、と踏み込んだ直後。
だるまの猛烈なラッシュが始まった。
「おるああああっ!!」
重量級が繰り出す連続攻撃は威力も迫力も十分だった。
総国は両腕を盾にしてその猛攻を防ぐが反撃の
ただひたすらがしゃんがしゃんと鳴る総国の背後の金網が
会場は一方的な展開に沸いてはいたが、どこか白けた空気もあった。
ああ、やっぱり。
土台無理な話だ。
身の程知らずが。
なんて、総国に対する落胆とも罵声ともつかない台詞が所々から聞こえてくる。
犬飼さんまで苦虫を嚙みつぶしたような顔をしているではないか。
ふと、有仁子さんはどうなのかと彼女を見やれば、彼女は缶ビールを片手に笑っていた。
総国がいいように殴られっぱなしなのが余程楽しいのだろうか。
……否。それは全く違う。
有仁子さんは分かっているのだ。
総国が何をしているのかを。
安心した。
やはり、見る者が見れば分かるものなのだ。
突然、会場がざわついた。
何事かと皆がリングに注目した。
だるまが殴るのをやめてしまったのだ。
私はいよいよだと胸が躍った。
種明かしはいつだって面白おかしいものだからだ。
「ぐぅおぉ……!」
呻くだるまの拳が赤い。
彼の拳は真っ赤に腫れ上がり、擦り切れて血が滲んでいたのだ。
そして、だるまはその痛みに顔を歪め、小刻みに震えていた。
そりゃあそうだ。ヤツはさっきからずっと、金網を殴り続けていたのだから。
だるまは傷だらけの両拳を忌々し気に睨みつけて呻いた。
「て、てめぇ……なんで、なんで
だるまが吠えた。
相当苛立っているに違いない。
意気揚々と繰り出しまくった渾身のパンチが、相手ではなく自分にダメージを与えていただけだったからだ。
総国はガードをがっちり上げたままの格好で、損耗は見受けられない。
あの猛攻を凌いだ、というより避けきったという風情だったのだ。
しかしなぜ、観客は誰も気が付かなかったのだ?
総国を殴っていたはずのだるまが金網を殴っていたことを。
もっと言えば、だるまの攻撃が総国の体に触れた瞬間、攻撃の方向が逸らされてその拳が背後の金網を抉っていたことを。
さらに言えば、総国は体捌きでだるまの攻撃を後方へと加速させ、だるまの拳がさらに痛むように仕向けていたことに、なぜ観客達は誰も気が付かなかったのだろう。
その時、良いタイミングで犬飼さんが呟いてくれた。
「な、なぜ、だるまクンがダメージを……?」
私は待ってましたといわんばかりに胸を張った。
「見えるはずのものを見失わせる。意識からそぎ落とす。常に後手に回らせて先手を取る。そして勝つ。それが武術であり、兵法というものだ」
我ながら恥ずかしいほどドヤ顔をしてしまったが、いいではないか。私は武の化身だぞ。
「……あれが『金山』なのですか?」
犬飼さんは窺うような目で尋ねるが、私は首を横に振った。
「そうだが、正確には違う。あの技は『
「ぼ、ぼくしんりゅう? すべりあわ……?」
犬飼さんは本当に良いリアクションをしてくれる。私もつい饒舌になってしまう。
「『滑り泡』は壁際に追い詰められた際にああして相手の攻撃をかわしつつ、その拳や武器を壁にぶつけて破壊するなんともイヤらしい技だ。総国も意地悪な奴だよなぁ〜」
「猿飛様、私は撲真流という流派を存じません。それに、具足術とは一体……」
「撲真流はボクシングの起源ともいわれている日本古来の戦場武術よ。具足とは鎧兜の事。撲真流は戦場において刀折れ矢尽きた時、身に着けた甲冑と鍛え抜いた五体のみで敵を打ち倒すという恐ろしい武術なのだよ。『出典:民明書房刊・世界のスポーツ起源大百科より』」
私の解説に犬飼さんはその切れ長な瞳を戸惑うように泳がせた。
「き、聞いたこともありませんね、その様な武術は……」
「まぁそうだろうな。随分前に……明治初期には既に失伝してしまっていたはずだからな」
「失伝? その失われた武術をなぜ総国様が?」
「それが『金山』だ。つまり、あれが『金山』なんだよ」
犬飼さんは一瞬眉をひそめたが、すぐに神妙な面持ちで私に問うた。
「……まさか、金山とは……」
さすがは犬飼さん。何かに気が付いたか。
それと同時にだるまが動いた。
「く、クソがぁぁ!」
だるまは唸り声をあげながら再び総国に殴りかかる……が、すぐさま総国が反撃に動いた。
総国は突然矢のように飛び出したかと思うとだるまの剛腕を払いのけながら懐深く激しく踏み込み、右の掌打を文字通りに撃ち出した!
その動きは先ほどまでとは打って変わって実に重厚で直線的。
だるまはその強烈な一撃を
『〜〜っ!?』
ドスン! という衝突音とだるまの短い鳴き声。
観客達が『あっ!』と声を上げた時にはだるまの巨体が軽々と吹っ飛び、尻餅を付いて無様に転がった後だった。
観客は静まり返っていた。
総国の意外すぎる強さに歓声を忘れる様な衝撃を受けているに違いない。
当の総国は
その立ち姿は、撲真流とは全くの別物。
『優雅』さえ漂うその東洋的な美しさに、私は思わず口笛を吹いてしまった。
「……ビューティフル……!」
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