第91話 総国の金山


 打ち出された掌打は、まるで猛獣の爪のように攻撃的な表情をしていた。


 その立ち姿はそれまでのスタイルとは明らかに違う、東洋的な趣きに満ちている。

 ……私はかつて中国大陸でそれを見た。


 懐かしさと同時にその技の強烈さも思い起こされ、遠い昔に打たれた胸がピリリと痛んだ。


 そんな総国の美技をの当たりにした犬飼さんが、ぽつりと呟くように零した。

「あれは中国武術……でしょうか?」

「その通り。八極拳の猛虎硬爬山もうここうはざんだ。総国め、中々の功夫コンフーじゃないか。あれをまともに喰うとは……流石のだるまも堪えるだろうなぁ」


 中国武術は付け焼き刃で出来るモノじゃない。特に『気』を事が出来なければいけないのだが、なかなかどうして……総国はしっかりとその鍛錬も積んでいる様だ。私の心はさらに踊った。


 一方、総国の真価に未だ気が付かない、気が付くはずもないだるまは総国を「得体の知れないもの」を見るような目で見ていた。


 変幻自在に流儀わざを操り、しかも予想だにしなかった総国の強さに困惑しているのだろう。

「な、てめ……くそっ!! なにしやがった……!?」

 だるまめ、あの技をまともに喰って口が利けるとは、天晴なタフネスである。


 よろよろと立ち上がるだるまを一瞥し、総国は再び撲真流の足捌きで軽やかに舞った。

「……さっさと終わらせよう。猿飛が退屈してまた何処かに行かないうちにな」

 そして右手を前方に差し出して指先をくいくいと曲げた。

 あの総国が、だるまを挑発したのだ。


 そこで一気に観客が湧いた。


 だるまを下に見て挑発する者など私以外にそうは居まい。総国も中々のエンターテイナーだ。

 盛り上げ方と相手の怒らせ方をわきまえている。


 だるまは当然憤慨し、その瞳に殺意が再び宿った。

 あの一撃をまともに喰って尚、立ち上がるとは見上げたタフネスだがしかし、既にだるまに勝機は無い。


 私の見立てでは、100回やっても総国が100回勝つ。

 それはきっと、総国自身も感じているだろう。


『それならば』と私は席を立ち、金網越しに総国にひとつリクエストをすることにした。


「おい総国。撲真流はいつ頃された?」

「……中学に上がる前だ」

「ふむ、鍛錬を重ねるには十分な時間だな。では、『アレ』も出来るな?  この勝負を決めるなら『アレ』しかないと思うのだが?」

「『アレ』か……同感だ」


 うははっ!

 思わず笑ってしまう。


 嬉しいなあ。

 総国は分かっている。

 恋子が惚れてしまうのも分からんでもないな。

「良し、総国。楽しみにしているぞ!」


 座席に戻ると犬飼さんが困惑した様子で私に尋ねた。

「な、何を話されたのです?  試合中ですよ?」

「ははは、すまんすまん。総国にちょっとした『お願い事』をな」

「お願い事? こんな時に、何をお願いされたのですか?」


 その問いに、私は無意識に頬を緩ませていた。

「私惚れさせてくれ、とお願いしてきたのさ」


 正直に告白しよう。

 私はときめいていたのだ。

 こんな気持ちはか。


 だるまと総国ではその肉体フィジカル筋力パワー体格サイズも差がありすぎる。


 誰がどう見ても総国が不利であり、それは小手先のテクニックで覆すことができる程度の差ではなく、単純な『戦闘力』の差なのである。


 その明らかな絶望的戦力差をものともせず、その少年は敵に背を向けること無く拳を前に構えている。


 観衆はその様に夢を見たのだろう。

 私も同じく、夢を見ていたのだ。


 熱狂が熱狂を呼び、酩酊するような、むせかえるような熱気で景色が揺らぐ。


 いや、揺らいでいるのは観客達の放つ熱気のせいではない。


 私には見える。総国の全身から発せられる獣のような闘気が、気迫が、陽炎のようにえるのだ。


 嗚呼、本当にいつぶりか。

 私の胸がの少女のように熱くなっている。

 視界も熱く、瞳が潤んでいるのが分かる。


 そうか、

 そうだったのか。


 私はいつの間にか、総国に……。

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