第93話 新たな金鉱脈

『金は命より重い……!』


 かの格言は極端だが、地獄の沙汰も金次第とはよく言ったものである。

 武の世界も金次第とは言い切らないが正直、そういうこともある。


 いや、憚らずに申し上げれば、それは結構リアルにあるんだよ。


「犬飼さんにはピンとこないかもしれないが、武術の世界では特に珍しいことではないんだよ」

「……奥義をお金で買う、という事がですか?」

「んー、まぁ、な」


 はっきり言われると浅ましいと思われそうで嫌なんだが、本当なんだから仕方ない。

「全部が全部そうではないが、奥義や技をことは普通にある。それらの伝授の際に金を積むのは、ある種の慣例さ」

 

 犬飼さんは決して古流を扱う人間ではない。彼の流儀はムエタイだそうだが、私の見立てでは専門のトレーナーが近代的な理論に裏付けされた「格闘技」を指南したのだろう。

 だから師匠から技や奥義を金で買うということにピンと来ないのだ。


 古流は基本的に気合と努力と根性で不条理と矛盾を凌駕して強さを手に入れる。

 従って自ずと強くなって結果的に師に認められて皆伝を得るイメージがあって、そこに金銭的な絡みはなさそうに思えるが実は大いにあるのだ。


 こちとらそれで食っている身である。

 ボランティアではない。

 ボクシングでも空手でも柔道でも、道場やジムに通えば月謝を払うだろう?

 つまりはである。


「金沼家の当主は代々、その財力で様々な武術の流派をいわば「買収」しているんだ。私も当然そのすべてを把握しているわけではないが、知っているだけでも両手ではとても足らない数の流派を買っている。そんな金沼家の噂を聞きつけて、食い詰めた武道家が自分の技を買ってくれと申し出たという話もかなりあるそうだ。尤も、金沼家は無理矢理買収をする様な事はなく、食うにも困っているような流派を救済する為に金銭的な援助、という名目でそういうことをしていたのだそうだ」

「……金沼家はなぜそのような行為を?」

「もちろん自らの身を守るための術を身に付けるためだ。彼らは様々な流派の優れた技を買い取り、実際に身に付け、自衛の手段としたんだ。その際、歴代の当主達はただ単に技を買い漁るのではなく売り手である武道家や武士に直接教えを乞うた。その上できちんと技を身に付け、咀嚼し、金沼家の家伝として体系を組み立てた。それを脈々と繰り返しながら代々受け継ぎ、より価値のあるものとしたのだ。故にそのを『金山』と呼ぶ。値千金の教えと技は幾星霜……どこまでも高く聳え立つ武の叡智を、金沼家の当主達は自分たちをより高みに導いてきた『金』と同様に置き、大きな価値のあるものとして大切に扱ってきたのだ。もちろん、総国あいつもな」


 自分で感じる。

 総国かれを見詰める視線が熱い。

 熱を帯び、潤んでいる。

 その視線の先にいる『彼』は、既に堂々の武人であった。



 最高潮に達した、会場を包み込む大歓声。

 ついにだるまが陥落したのだ。


 その巨体がぐらりと揺れ、膝から折れるように崩落し、そのまま力無くうつ伏せに倒れ、リングへと沈んだ。


 散々打ち込まれ、遂に力尽きた筋肉の要塞は損耗著しく、最早あの威容は影も形もない。


「うぐ……ち、ちくしょう……クソが……殺してやる……!」

 忌々しげに呻くだるま。

 だが這いつくばっていては何の説得力も無い上に滑稽そのものだ。

 辛うじて意識はある様だが、戦闘不能は見てとれる。

 この期に及んで戦意を失っていないのは天晴れだが、身体が動かないのでは仕方がない。


 だるまは途中何度も抵抗を試みて反撃に出たものの、その全てをかわされ、しかもその全てにカウンターを取られて更に打たれ続けた。


 100近い打撃を受けてようやく果てただるまのタフネスは脅威だが、それだけ打っても呼吸の乱れ一つ無い総国のスタミナのほうが余程驚異的だ。


 その総国は芋虫の様に蠢くだるまを一瞥し、無言で背を向けた。

 だるまはもうまともに動けない。


 誰がどう見ても、決着だった。



 圧倒的な勝利。

 圧倒的不利を覆しての大勝。

 観衆の目にはそう映ろうが、私には計算され尽くされた当然の結果としか思えない。


 総国も性悪だ。

 だが、そこがいい。

 私によく似ている。


「……さぁ、行こうか。愛子」

 大番狂わせの拍手喝采に沸く中で私は独り言ち、総国の待つリングへと向かった。



 嗚呼、胸が熱い。

 久しく忘れていたな。

 間違い無い。

 これは、恋だ。



「……総国」

 私が囁くように呼び掛けると、総国は金網越しに私を呼んだ。

「猿飛」


 乱子、と呼ばれなかったことに嫉妬してしまう。

 だが、これでいいのだ。


「総国よ、少し休むか?」

「いや、いい。このままでいい。いい感じに暖まった」


 私は分かっていて訊いたのだ。

 総国に消耗らしい消耗はない。

 寧ろ、調子が上がっている。

 だるまは準備運動にちょうど良い相手だったようだ。

「良し、そういうことなら……」


 私がリングに上がろうとしたその時、有仁子さんが駆けて来た。

「待て待て! 休憩を入れろ!」


 意外な要求に私と総国は顔を見合わせた。

 彼女ならこのまま死ぬまでやれとか言いそうなのだが、彼女なりに私たちのことを考えてくれているのか。


「有仁子さん。お気遣い痛み入るが、私たちは構わないんだ。だからこのまま……」

「そう言うことじゃねえ! ここで休憩いれりゃあまだまだ儲けられンだよ! 缶ビールが一本3000円で捌けるかもしれねぇ……だから休憩入れてくれ!  頼む!!」



 ……なんという商魂の逞しさであろうか。


 総国は俯いて沈黙を守っていた。というか、最早言葉もなかろう。


 かくして、我々は最終決戦の前に10分間の休憩を挟むことと相成ったのだった。



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