第2話 猿VS阿修羅

 俺の号令を受け、会場の黒服スタッフ達は一斉に試合開始の準備にかかる。


 猿の蹴りで失神した男を片付け、手早くリングを清掃し、チャンピオンのためにロープを広げて彼をリングへと迎え入れる黒服達。


 そしてリングに上ったトランクス姿のチャンピオンがその隆々とした筋肉を誇示するように両手を上げると、会場は爆発するような拍手喝采で大いに沸いた。


 観客達は彼の強さをよく分かっている。分かっているからこそ、こんなにも盛り上がるのだ。



 浜崎阿修羅……3年ほど前まで総合格闘技界のトップランカーだった彼は、ある日突然所属していた格闘技団体を脱退し、自らアンダーグラウンドの世界に飛び込んだ。

 には彼の求める『強さ』は無いと自ら断じ、真の強さを求めてこの地下闘技場へと舞い降りたのだ。


 俺は感服した。

 この令和の時代になんというストイックな心根だろうか。

 彼こそまさに大和魂の擬人化。

 このような男子は国を上げて保護するか、名のあるスタジオにて擬人化アニメの主役にすべきだろう。



 そんな浜崎のお眼鏡に叶ったこの地下闘技場こそは正真正銘の強者ツワモノが強者に出逢う場所。


 ……つまり、強敵きょうてきと書いて強敵と呼ぶという故事になぞらえ、この地下闘技場は『強敵乃会とものかい』と名付けられている。


 これまで数多の強者がこの『強敵乃会』に集い、数々の名勝負を繰り広げてきた。

 もちろん、表の格闘技界では到底お目にかかれ無いの数々だ。


 その由緒正しい戦いの聖地に降り立った、まさに阿修羅の如き男と、正体不明の……実に興味深い。

 俺は自分でも分かるほどニヤついていた。



 この会場はすり鉢状の観客席と、その中央に設置された四角いリングで構成されている。

 リングは一般的なプロレスリングと同様のリングで、プロレスとの違いはこれと言ってルールが存在しない点が最も大きな違いだろう。

 急所だろうがなんだろうが、どこをどのような技で攻めてもいい。もっと言えば武器の使用も認められている。


 ただ、命の取り合いだけは禁止だ。

 それは人として超えてはならない一線だからだ。


 それを弁えた上品なお客と、同じくそれを信条とした志の高い闘技者があってこその『強敵乃会』。


 よって基本的に拳と拳で語り合うのが不文律として定着したことは、主催者である俺としても大変喜ばしい事だった。



 そして今回の特別試合。

 このスペシャルマッチも拳と拳で語り合うアツい展開となる予感がビンビンだが、猿の様子が妙だった。


 王者・浜崎を目の前にした途端、なんというか……急にソワソワしだしたのだ。

「あれは……」

 俺はその様子に見覚えがあった。

「まさか、トイレか?」


 実は俺もトイレは近い方だ。だからあのもじもじ感はよく分かる。

 しかも猿の動きはより緊急性を感じさせるモノがあった。

(……よりにもよって、うんこか?)


 観客のボルテージは最高潮に達している。

 浜崎も準備万端。ゴングが鳴るのを今か今かと待ち構えている。

 こんな状況で『トイレで中断』は有り得ないだろう。

まずいな……トイレは会場の外の廊下にしか無い……」


 俺が深刻な顔をしているのを察した犬飼が静かに口を開いた。

「総国様。私も初めはそう思いましたが、もし本当に危険な状態であるならば、乱入者である彼奴さるは試合を放棄する事も可能でしょう。しかし、それをしない……つまり、猿は我々が思っているような状態ではない、という事ではないでしょうか。あの所作の理由は分かりませんが、猿のコンディションは試合に差し障るものではないと思われます」

「うむ、成程。確かに一理あるな」


 犬飼の冷静な分析に「お、お、俺もそう思ってたけどね?」と負け惜しみを言うより同調したほうが傍目から賢く見えるだろうと判断した俺はそれならば、とマイクを手に取って軽く咳払いをした。

「……良し、ゴングを鳴らせ!」


 会場の熱が頂点に達したのを見計らい、ゴングは遂に打ち鳴らされた!!


『カァン!!』


 ゴングの音が会場に響き渡る!

 時間無制限一本勝負の開始はじまりだ!!



 ワッ!!!



 観客が一斉に沸いた。

 試合開始に対する歓声か?

 ……否!

 チャンピオンが先手を取ったのだ!!


 様子見など一切無しで、浜崎は一気に間合いを詰める!


 とはいえ、彼には油断も隙も皆無。

 最強最速で仕留める意気で飛び込んだ王者の姿は、まさに百獣の王の風格だ。


 奇襲のように猿との距離を一気に詰め……身を屈めた!


 タックルだ!


 そして吹っ飛んだ!!


 浜崎が!!!





 え、


 え?





 俺も犬飼も言葉を失った。

 あの王者浜崎が、まるで見えない壁にでもぶち当たった様に弾き飛ばされて仰向けに卒倒し、動かなくなってしまったのだ。

 ……彼は鼻血を垂れ流し、失神していた。



 会場も何が起こったのかと静まり返り、ややあって会場のモニターに映し出されたリプレイ映像をその場の全員が阿呆のように口を半開きにして呆然と見詰めた。



 モニターに映し出された浜崎は猿の虚を突く必殺のタックルをお見舞いし、そのまま寝技グラウンドで猿を料理しようと考えたのだろう。


 しかし、実際はその絶妙のタイミングに合わせて来た猿の『頭突き』に鼻っ柱を打ち抜かれ、チャップリン顔負けのパントマイム的卒倒を披露し、哀れ失神ノックアウトの憂き目にあったのだ。



 何と言うことだ。

 絶対王者・浜崎阿修羅の無敗伝説が、綺麗すぎて言い訳の余地も無いカウンター一発で終わってしまった。



「……勝負ありだな……」

「……そのようで」

 呆然としつつ、俺と犬飼が確かめ合うように呟くと、リングの上で異変が起きた。


 はらり。


 猿のお面が外れかけたのだ。



「!!」

 猿が大慌てで顔を押さえた。

 先程の頭突きは額を使った所謂いわゆる『パチキ』だったためにその衝撃でお面はひしゃげ、顔に固定していたゴムが切れてしまったのだ。

「〜〜〜!!」

 猿は両手でお面を押さえ、辺りをキョロキョロと見回し始めた。


 俺はその様子にハッと我に返り、声を上げた。

「……猿が逃げるぞ!!」

 俺は司令室を飛び出し、会場へとダッシュした。

 気が付けば、俺は何としてでも猿を捕らえねばと声を張り上げてすらいた。

「その猿を逃がすな! 絶対に逃がすなぁぁぁ!!」


 しかし、俺の絶叫も虚しく一目散に逃げ出す猿を誰も止めることが出来なかった。

 猿の行く手を阻もうとする黒服達は雑魚丸出しの弱さで猿に蹴散らされ、終いには逃げ出す者まで現れる体たらくである。


「ええい! とにかく逃がすな!! 追え! 追うんだ!!」

 俺が猿の背中を目視できたのは地上へと繋がるエレベーターに向かう長い廊下だった。

 猿は既にエレベーターに乗り、閉じるボタンを連打している真っ最中だ。


 やばい! ここで捕まえられなければ100パー取り逃す!!


「待てええ! とまれぇぇ! 行くなぁぁ!」

 俺は全力で猿を追う!

 しかし猿の『閉じる連打』に応えるように、エレベーターの扉が閉まっていく!!


「だあああっ!!」



 ガッシャ……!




 ……あと一歩。

 あと一歩が足らずにエレベーターのドアは閉まりきり、猿は悠々と地上へと上っていった。


 全力を使い果たした俺はその場に座り込み、あと数十センチで猿のジャージに届いていたであろう何も掴めなかった右手を見た。


 そして間近で見たあの芋ジャージを思い返していた。

「あのジャージ……あの、胸元の刺繍は……」

 猿のジャージの胸元に施された小さな刺繍を、俺は見逃さなかった。

「……そんな事があるのか……?」



 少し遅れて犬飼も駆け付けたが時すでに遅し。

「……さすが猿。逃げ足も中々のものですね」

 彼は悔しがるというより感心するように言った。俺の心中を察してくれたのだろう。


「余程焦ってたんだろうな。トイレはそこにあったのに」

 俺が冗談ぽく笑って廊下にあるトイレを指差すと、犬飼もくすりと笑った。

「では、会場内にもトイレを増設しましょう」


 そう言って、俺達は悔しさを誤魔化すように笑い合ったのだった。

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