第23話 有仁子ランド
そんなこんなで、俺たちは決戦の日を迎える事になったのだが、結論から言うと俺は補習を免れた。赤点回避に成功したのである。
ただ、その代償は大きかった。
猿飛の個人教授は想像以上に厳しく、その無遠慮な物言いに俺は何度もべそをかきそうになった。
猿飛は引っ込み思案な人見知りだが、一旦親しくなると結構グイグイ来るタイプのようだ。
そういうタイプの人間、というか人間そのものに慣れていない俺にとってそれはかなりのプレッシャーだったが、全ては強敵之会存続のためと自らを鼓舞し、なんとか赤点ギリギリの70点という高得点をもぎ取ったのである。
ちなみに赤点は69点以下。俺は文字通りの危機一髪だったのだ。
「70点かぁ。ホントにギリだったね」
「俺にしては頑張った。過去最高得点だ」
「……ま、赤点じゃなきゃそれでいいけどさ」
答案を手に胸を張る俺に対し、猿飛は微妙な反応だった。彼女曰く、あの勉強内容ならもっと上を目指せたはずだと言うのだ。
オメーのアタマがワリーんだよと言われている気がしてマジで凹んだが、結果オーライならそれでいいじゃないか。
今回は高得点を取るのが目的ではない。赤点回避が最優先事項なのだから、この結果は目標を達成した十分な成果と言えるだろう。
俺はそう主張して自分に言い訳をしたのだが、猿飛は既にどうでもいいと言わんばかりにふーん、そう。と素っ気無かった。
俺はまさに砂を噛むような心持ちだったが、今まで出会った事のないような強者とやり合えるという一大イベントを目前にした猿飛にとって、もはや俺の英語のテストの点数など興味の対象外なのだから仕方ない。俺は悔しさをそっと胸に仕舞った。
「しかし、なんの対策もできなかったのは痛いな」
追試翌日、つまり決戦の朝。俺が寝袋を干しながら呟くと、猿飛は縁側で朝食の菓子パンを齧りながら、
「別にいいよ。そのほうが楽しいし」
と言って笑った。
よくそんな風に笑えるなお前……と突っ込むと、
「だってもうすぐ分かることじゃん。私たちがあれこれやっても何か変わるわけでもないし。そんなの時間の無駄だよ」
と言って、また笑った。
その屈託のない笑顔に、俺の肩の力が抜けた。
「時間の無駄か。まぁ、いまさら何を言ってもそれこそ無意味だな」
赤点回避の最も大きな代償は時間のロスだった。
結局、俺も猿飛も木曜まで勉強漬けでまともな作戦会議なんて出来なかったのだ。
昨日の晩に至ってはテスト勉強疲れで晩飯後すぐに爆睡という無様を(俺が)晒し、今に至るという
俺的には、というか常識的に考えてとても笑っていられない状況なのだが流石は猿飛、堂々とした変態っぷりである。
「ああ、早く試合したいなぁ」
彼女は青い空を見上げてぽつりと呟いた。
念の為に言っておくが、これは部活の試合を控えた女子高生のセリフではない。
今の彼女は誰が見ても、半日後に地下闘技場にてガチのタイマン勝負に挑む人間には見えまい。俺にすらそう見えない。
何故なら、猿飛は少なくともこの4日間、俺の知る限りでは今夜に備えて何かをするという事が一切無かったのだ。
彼女は普通に学校に行って、家では家事をこなし、夜は俺と一緒に勉強をして、日付が変わる頃には就寝していた。
テストを控えていたから、とかではない。恐らく、彼女にとってそれが『普段通り』なのだ。
真剣勝負に対するプレッシャーなど、彼女には無かった。猿飛はごく普段通りに決戦の日を迎えたのだ。むしろ、楽しみにしていたのだろう。
この数日間彼女の傍にいて感じたのは、週末が近づくにつれて高まる高揚感だった。
多分、いつもこうなのだろう。
俄かには信じ難いが、傍で見ていてそうなのだから信じざるを得ない。実に恐ろしい奴だ。
そんな彼女に対し、今更俺が何をしても余計なお世話だ。
無為に猿飛のペースを乱したくなかったし、そもそも作戦を立てるといっても何を基準にしたらいいというのだ。相手が何者かも分からないというのに。
……ましてや有仁子の事だ。連れてくるのが割と真剣に人間ではない可能性すらある。この状況は既に作戦云々でどうにかなるものではないのだ。
そんな事を考えながらテントの整備をしていると、玄関先に人の気配がした。犬飼がやって来たのだ。
「失礼いたします。総国様、猿飛様。お迎えにあがりました」
庭先で恭しく頭を垂れる犬飼。時計を見やると、時刻は午後四時。少し早くないだろうか。
「犬飼、公園は目と鼻の先だぞ。迎えなんていらなかったのに。それにまだ早くないか? 猿飛だってすぐには出られないだろうし」
と言った傍から猿飛が縁側へやってきた。
「あ、犬飼さん。お迎えですか? 私も今から行こうかと思ってたんです」
「お前もはえーよ!」
思わずベタなツッコミが出てしまうほど、猿飛は完全に出掛ける準備を済ませていた。肩には着替えの入っていると思しきでかいカバンを下げている。そのカバンから、ちらっと猿のお面が顔を覗かせていた。
「ささ、総国様もお早くご準備を」
犬飼が俺を促す。まだ三時間もあるのに何でそんなに急かすんだよ歩いて一分の所なのに。俺がそう抗議すると、犬飼は少しだけ声のトーンを落として言った。
「お早めにお知り起き頂きたい事がございますので」
「なんだよ、持って回った言い方して」
「ご覧いただければお分かりになります」
……嫌な予感しかしなかった。
「ほら、早く行こうよ金沼くん」
猿飛が俺の背中をぐいぐい押してくる。こういう場合はあまり早く会場入りしても中途半端な待ち時間が士気を削る事が間々あるのだ。だから個人的には気が進まない。
「まぁ落ち着け猿飛。急ぐ距離でもないだろう。行こうと思えば一分で」
「ねえねえ、早くいこうよ〜! 早く早く〜!」
子供の様な駄々をこねる猿飛を見ていると、そんな心配が馬鹿らしく思えてきた。
こいつならどんだけ待たされても即トップギアで突っ込んで行けるだろう。
「分かった分かった! じゃあ、行くか」
犬飼の意味深な一言も気になるしな。
俺がそう決断すると、猿飛は飛び上がって喜んだ。
こんな時、普段の犬飼なら苦笑したり皮肉のひとつでも言ったりしてくるのだが、今日に限って何も言わずに神妙な面持ちで俺を見つめていた。
「なんだよ、なんかあんのか?」
「いえ、ただ……」
犬飼は、いかにも俺を気遣う様な顔で言ったのだった。
「何をご覧になっても、どうかお気を確かにお持ちください。総国様」
犬飼の杞憂は会場に着いて直ぐに理解した。
そこにあったのは変わり果てた強敵乃会の姿だったのだ。
「……随分様変わりしたな」
まず、地下へ向かう最新式のエレベーターが鉄製の籠に変わっていた。
ゴンドラと言うより人間を運搬する装置と言った風情である。
「なんか、お化け屋敷みたいだね」
猿飛がぽつりと呟いた。
確かに東京デなんとかランドのお化け屋敷はこんな感じだったが、あっちはもっと上品だ。目の前の鉄屑には品性の欠片もない。
俺は何も言わずにその鉄カゴに乗り、猿飛と犬飼がそれに続いた。
鉄が軋む音を聞きながらふらふらと降下して行く感覚は最悪そのものだったので、俺は思わず溜息を吐いてしまった。
成程、犬飼が心配するはずだ。
「お気を確かに、総国様。変わり果てた姿ではございますが、まだ死に絶えてはおりません」
余程みっともない顔をしてしまったのか、犬飼が俺を励ましてくれたが、心配無用である。
「大丈夫だ。こうなる事を予想していなかったわけじゃない」
例え借り物であったとしても、一旦自分の手元にあれば何でも自らの所有物の様に扱うのは有仁子の悪い癖だ。
我欲にまみれたあの女はすべてを自分色に染め上げねば気が済まない。
俺もそれで何度も泣かされたものだ。特にゲームのセーブデータを勝手に上書きされた事など数知れず、特に丹精込めて最強に仕上げたアーマードコアのセーブデータを消されたときはもう……思い出しムカつきをしていると、いつの間にか目的地に到着していた。
「ねぇ、あれなに? もしかして、入口?」
鉄カゴを降りると、猿飛が正面を指差した。それを見て俺は息を飲んだ。
「なんてことだ」
思わず、そんな芝居じみた言葉が口をついて出た。
おどろおどろしくて馬鹿でかい、地獄の門の様な入口が俺たちを出迎えたのだ。
たった一週間でガラスの自動ドアをガチムチなデスゲートに変えてしまう有仁子の劣悪なセンスと、納期厳守で血反吐を吐いたであろう施工業者の受難を思うと目眩がした。
「ようこそおいでくださいました、総国様」
門の前では鳥山婦長が俺達を待っていた。
「さぞ驚かれたでしょう」
婦長は背後に聳えるドリフのコントみたいな門を見やって苦笑していた。
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