第73話 乱子と婦長の物語

「総国。お前は『猿飛佐助』を知っているか?」


 乱子は突然、そんな突拍子もない事を訊いてきた。


「あ、ああ。確か『真田十勇士』のひとりだよな」

「いかにも。彼も甲賀のしのびよ」

「……まさか、お前がその猿飛佐助だとか言うんじゃないだろうな?」

「はっはっは! まさかまさか。大体、猿飛佐助は架空の人物だ。だがな、佐助のモデルは居た。そして、猿飛という甲賀の一門も存在した。とはいえ、そのモデルとは全くの無関係だがな」

「……ちょっと何言ってるのかよく分かんない」


 俺が小首を傾げると、『無理もないなぁ』といった風に軽くため息をつく乱子。

 だが決して小馬鹿にしているというわけではない事は、その表情から窺えた。


「早い話、私はその甲賀流猿飛一門のしのびだったんだよ。捨て子だった私は一門の者に拾われ、甲賀忍者として育てられた。猿飛一門は武闘派でな。骨の髄まで武術が染み込んでいる。だがそんな戦闘集団も滅びる時は呆気ないものよ。戦国の世が終わると同時に我らも衰退し、やがて忍は間諜スパイの役割が殆どになり、ガチガチの武闘派だった我ら『忍者猿飛』は歴史のうねりに飲み込まれて自然消滅し、『ただの猿飛』になったのさ。私はその猿飛一門の残留思念の様なもので、戦国の世でその技を磨きまくり過ぎたが故に明確な意識を持ち、その武闘派忍者魂スピリッツ戦闘技術テクニックを次代に継承する稀有な存在になったのだと、私は私をそう理解している」


 思い出話を紐解くように、乱子は淡々と語った。


 忍者というモノが実在のものであることは確かだが、その実情は謎が多い。

 フィクションの世界では魔法のような派手なアクションを多用するものの、史実の忍者はスパイのような存在だったという。


 俺自身もそういう認識だったので乱子の様に真正面から殴り合う忍者というのはピンと来ないものの、忍者という存在もその源流は『武士』だとする説もあるので、彼女のような変わり種が居たとしても不思議はないのかもしれないとは思う。


「……それで乱子おまえは猿飛一族に憑依し続け、現代に蘇ったと言う事か」

「まぁそんなところだな。そんな感じで猿飛の技を絶やさぬよう、私は子々孫々に戦闘技術を継承しつつ発展させてきたというわけよ」


 さらりと軽く語る乱子だったが、鳥山婦長はその軽さが許せないようで、わなわなと震えながら乱子に鋭い視線を投げていた。


「何をふわっと説明しているのよ! しかも稀有な存在だなんて!! あなたのせいで……あなたが私に与えた強さのせいで、は武者修行の旅にでてしまったのよ!」


 そうだ、乱子の生い立ちで有耶無耶になりそうだったが、そっちの方が今の俺達にとって大事な話だ。

 婦長の言う『あの人」とは、つまり婦長のご主人……猿飛のお父さんだ。



「そうだ、先ほど言っていた『武者修行』とは、どういう意味なんだ??」


 いきなり飛び出した脈絡のない言葉。

 聞き間違いかと思ったが、だいたい他の何と聞き間違えれば武者修行になるというのか。


 それを語るべく、今度は婦長が語りだした。


「……私を倒すために、あの人は武者修行に出たのです」

「倒すって、誰を?」

「ですから、私です」

「誰が?」

「ですから、主人です」

「旦那さんが? あなたを??」

「はい」



 冗談にしか聞こえない話だが、涙ぐむ婦長の前で『それはないわぁ〜』と一笑に伏す訳にもいかず、かといって『それは大変でしたね、奥さん』なんて適当すぎる事を言うのも嫌だ。


 だが、よりにもよって『武者修行』だなんて。


 この現代社会にそこまでのハングリー精神を持つ人間が存在するのか甚だ疑問ではあるが、もはや俺の回りは何でもありのバーリトゥード状態だ。

 非常識が常識となってしまった今、恐れるものなど何もない! ドンと来なさい!!



 とにもかくにも、まず何をどうすれば話を進展できるのか。

 そんな模索をしていると、乱子が実に申し訳なさそうな顔で囁いてきた。


「あのな総国。その『武者修業』に関しては私にも責任が無くもないんだよ」


 そういえば乱子はさっきも同じようなことを言っていた。どういう意味なんだろうか。


乱子おまえ、何やらかしたんだよ」

「やらかしたというか……体が勝手に動くんだよ。組伏せられるとな」

「組伏せられた? 誰に?」

「凛子の旦那に」

「……お前が?」

「正確には凛子が。でも中には私も居るわけで……なぁ、つまり、アレだよ。アレ」


 ……あ、嫌な予感。


「私は武術一本でやって来たからにはとんと疎くて。上に乗られたら危険だと感じるのは当然だろ? 愛情表現だと分かってはいるんだが」

「上にって、お前まさかそれって」

「うむ。お察しの通り『夜の営み』よ。邪魔しないようにしようとしていても上に乗られたり背後を取られたりしたら体が勝手に反撃してしまって。おまけに素っ裸だろ? だから」

「わ、わかった! もういい!! もういいから!!」


 これ以上はPTAが黙っていない。

 俺が慌てて制止すると、婦長が顔を真っ赤にしながら乱子に掴みかかった。

 怒っているというより恥ずかしがっている感じだった。


「乱子! あなたはまたそうやって変なところだけ切り取ってしかも総国様になんて事を!」

「なんだよ本当の事だろ? この件については私も悪かったと思ってるんだし」

「それだけが原因じゃないしあなた、全然悪いと思ってないでしょう!」

「思ってるって。半分くらいは私のせいだと思っている。でもなぁ、お前の旦那はガツガツしてたから……」

「もうやめてぇぇぇ!」


 苦笑いで頭をポリポリと掻く乱子。

 婦長は耳まで真っ赤になりながら両手で顔を覆ってしまった。


 こんなに明け透けに赤裸々な話をされた上、滅茶苦茶恥ずかしがる婦長との相乗効果で俺は正直なんかスゲー興奮した。


「た、大変だったな……婦長も乱子も」

「まあな。無事愛子が生まれて良かったよ」

「しかし、だからといってそれがなんで旦那さんの武者修行につながるんだ?」

「凛子の旦那はプロレスラーだったんだよ。無名に等しかったがセンスはあった。チャンスさえあれば日の目を見る日も近かっただろう」

「プロレスラー? そんな話は聞いたことがないぞ」

「お前が気を遣って聞かなかったからだろ。有名選手でも無かったし愛子も進んで話したがらないしな。因みに恋子が扱う関節技の数々は父親の影響が強い。空中殺法も彼のプロレスのスタイルが『メキシカンプロレス』だったからだ。……愛子はどちらかと言えばお父さん子というやつだったからな。強い父は愛子にとってヒーローそのものだったんだよ」


 確かに猿飛から父親の話は聞いたことがないし、俺も余計な詮索をしなかった。

 まさかプロレスラーだったとは思いもしなかったが、鬼岩城戦で見せたあの見事な『ティヘラ』はその証左ともいえよう。



 乱子は唇を湿らせるように麦茶を一口啜り、続けた。

「凛子の母が他界したのは凛子が高校生の頃だ。凛子はを母親から聞かされていたから、私はごくごく自然と凛子へと憑依し、凛子と二人三脚の生活をする事となったんだ」

「なにが自然によ! 私は本当に乗り移られるなんて信じてなかったし受け入れてもいなかったわ!」

「はいはいわかったわかった。それでな」

 婦長の抗議を乱子は年期の入った完全スルーで無視し、更に続ける。


「私が凛子に憑依してすぐはいろいろあったが、凛子の亭主は柔軟な奴でな。職業が職業だからかも知れないが、私が憑依した凛子をすぐに受け入れてくれたよ。よく稽古をつけてやったし、その甲斐あって彼の成績もぐんぐん上がった。愛子も強い父母に憧れていたし、家族関係も夫婦関係も良好だった。ただ夜の営みだけがな……」

「ちょっと乱子!!」


 そこで婦長が割って入ってきた。

 いいぞ婦長。乱子が暴走する前になんとかしてくれ。じゃないと話が進まない。


「ここからは私がお話し致します!」

 乱子を押し退けて婦長が前へ出た。

「……そう、私と主人はそれでも幸せでした。しかし、主人は馬鹿がつくほど真面目で自分に厳しい人で……稽古とはいえ、主人と拳を交えるうちにいつしか主人の目標は私に勝つことになっていったのです」

「ということは、ご主人は婦長に一度も勝てなかったんだな」

「はい。あの人にもプロのプライドがあったのでしょう。私に勝つため、そして、道場破りやストリートファイトを習慣のように行ってしまう私を不憫に思い、私を……いえ、乱子を倒すために武者修行に身を投じたのです」

「ほ、ほう……それはそれは、なんともはや……」

 俺は思わず二の句を失ってしまった。


 全くもって波乱万丈。フツーじゃねーよこの人達。


 俺は既に返す言葉も掛ける言葉も持ち合わせていないし見当たらない。

 自分も中々破天荒な身の上だと思っていたが上には上がいるもので、世の中の広さを実感していた。


「……そしてあの人が武者修行に出て一年後、大きな転機が訪れました。あなたのお父上、超越郎様との出会いです」

「!!」


 ついに出た父の名。

 自然と身が引き締まる。


「あの日、あの時、この場所で……私と愛子の運命の歯車が狂い始めたのです」

 それを聞いた乱子は、不愉快そうに鼻を鳴らした。

「狂い始めた? 動き始めたの間違いだろう?」

 そして立ち上がり、俺に向かって言った。


「……少し休憩だ。茶でも淹れよう」



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