第37話 先生! 保健室のベッドがギシギシいってます!

「……な、何を言い出すかと思えば。それはつまり『自分は二重人格』だとでも言いたいのか? まったく、小学生かお前は……」


 多重人格はフィクションに多く見られるが、実際に解離性同一性障害という名称のあるれっきとしたやまいだ。


 だが、俺には猿飛がそうだとはとても思えない。

 確かに喧嘩中は別人のようだがあれは単にラリっているだけで、こいつの場合は解離性同一性障害ではなく『喧嘩中毒』がピッタリと当てはまる病名だろう。


「しかも『愛子と恋子』? からかうのも大概にしてくれ 」

 小馬鹿にされている気がしてムカついたのでわざとらしいため息をついてやったが、猿飛は怒る様子もなくニコニコと笑っていた。


「……なんだ? 何がおかしい?」

「総国くんも、薄々気がついてんじゃないの?」

「は? 何を言っているんだお前は」

「まぁいいや。そんな事よりさぁ、こっちおいでよ、総国くん」

「え? って、おいちょっと待て!?」


 突然、猿飛は掛け布団がわりのタオルケットをはねのけて起き上がり、俺の両手を掴んでベッドへと引きずり込もうとし始めた。

「待て待て待てって!」


 ものすごい力だ。必死で踏ん張って抵抗を試みたが全く歯が立たない。

「抵抗しても無駄だよ! え〜いっ!」

 猿飛は軽々と俺をベッドに引きずり込むと、タオルケットを引っ張りあげて自分と俺の上に被せる様に放った。



「お、おい猿飛……」

「恋子だよ」

 いくら猿飛が小柄だとはいえ、保健室の狭いベッドにふたりではキツすぎて、近すぎる。


 眼前に猿飛の顔があるので目を逸らそうにも顔をそむけようにも難儀する。その近さたるや、猿飛の吐息すら感じる程だ。


 おまけにタオルケットが被さっているので、俺たちは密室にいるような状態だった。



 運動場からの声が微かに聞こえる。

 反対に、自分の心臓の音はうるさい位に聞こえる。


 授業中の保健室は静かすぎて、まるで別の世界にいる気分だった。



 狭いベッドの中、猿飛はその小さな体を更に寄せて、俺の胸に顔を潜り込ませようとしてきた。


「ねーねー、『恋子』って呼んでよぉ」

 甘い声で囁く猿飛。

 声や吐息が本当に甘く感じる事に驚いたし、いろいろとヤバかった。

「そうだ。顔、触りたいなら触ってイイよ。てゆーか、どこでも触ってイイよ〜」


 猿飛は俺の手を取り、自分の頬に俺の掌を擦り付けた。

 本当に滑らかで綺麗な肌の感触に俺の全神経がぞわぞわと波打つ。


 もちろん、良い意味でだ。


「い、いい加減にしろよ。あんまりしつこいと、流石に怒るぞ?」

 そうでも言っとかないとマジでヤバい。

 俺は語気を強めるが、そんなものは虚勢でしか無いとお見通しの猿飛はにっこりと微笑んだ。


「あれぇ? 触らないの? 触っときなよ〜、チャンスチャンス!」

 猿飛は両手を広げて熱烈歓迎をアピールしている。


 チャンスっていうかむしろピンチなんですけど。


「……仮にだ、百歩譲ってお前が『恋子』だったとして、それを証明する根拠はあるのか?」

 冷静ぶってそんな事を言ってみたところ、を遮られたのが不愉快だったのか、彼女は「ぶー」と口を尖らせつつ言った。

「ないよ」


 えらくはっきりと答えたもんだ。

「な、無いってお前、それで信用出来ると思うか?」

「だって恋子わたしは愛子の一部だもん。でも、愛子が愛子だって証明できるなら、それがそのまま恋子わたしの証明になるかもね」

「哲学的すぎて訳がわからん。はぐらかそうとしてないか?」

「それは総国くんの方でしょ?」 


 鋭いな。……その通りだ。


 流れを逸らす事に成功した俺は速やかにベッドから脱出し、難を逃れた。


 いや、逃がしてもらったというべきか。


 彼女も追ってこなかったし、むしろ俺が逃げようとしていたことも承知の上だったようだ。


 猿飛恋子は再びベッドに横になり、タオルケットを顔半分隠れる辺りまで被った。

「今はいいよ。信じられなくて当たり前だもん。でも、総国くんなら分かってくれるって信じてる」

「何を勝手な……」

「じゃあね。オヤスミっ」


 そう言い残し、猿飛は再び目を閉じてあっという間に寝息をたて始めた。


「……冗談なら笑えんぞ、猿飛……」


 聞こえるように呟いてみたが、反応は無い。


 彼女はそのまま下校時刻まで深く静かに眠ったままだった。


 

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