第38話 もっとひとつ屋根の下……♡

 何が『恋子』だ、馬鹿馬鹿しい。


 二重人格?

 どうせ俺をからかうために演技をしているだけだろう。


 新しい日本のリーダーズのセンターを目指すこの俺様を小馬鹿にするその胆力は大したものだが相手が悪かったな猿飛。


 貴様の狼藉は孫の代まで祟られる愚行だと思い知って震えて眠るがいいッ!!

 そしてお前はこの俺の恐ろしさを3日以内、10人以上に伝えなければ……!

「金沼くん?」

「はうアアッ!! な、なんだい猿飛?」


 突然呼び掛けられて大いに焦った。

 特に自分のダークサイドな所に首まで浸かっていたから尚の事だ。


 猿飛も俺の異常な反応に驚いてちょっと引いたものの、恭しく頭を下げて言った。

「今日は本当にありがとうね。保健室まで運んでもらって、おまけにこんな時間まで付き添ってもらっちゃって」

「あ、ああ。問題ない。何にせよお前が無事で良かった」


 恋子の事を踏まえれば無事とは言い難いが、とりあえず彼女が怪我をしている様子もないし、その点で俺は安堵していた。


 しかし、こんな風に礼を言われると正直こそばゆいというか、申し訳ない。俺の方こそ猿飛には感謝してもしきれないのだから。



 ここで状況を説明しておこう。


 あの後、俺は悶々としながらも懸命に冷静さを取り戻そうと座禅を組んだりスクワットをしたりムエタイの上位ランカーを想定したシャドーファイトをしたりして過ごし、養護教諭が戻る頃には上っ面だけでも冷静を装う事に成功していた。


 程無く猿飛が目を覚まし、担任に事の次第を報告して学校を出る頃には18時を回っていた。

 結局午後の授業はほとんど出ずに終わってしまってラッキーだったが、俺はいろんな意味で疲弊しきっていた。



 6月を目前に控えた下校時の夕暮れは赤と群青が混ざり合った独特の色彩が綺麗で、鼻をくすぐる初夏の香りが季節の移ろい感じさせる。


 こんなシチュエーションで女生徒と下校するなんて週刊少年サンデーの爽やかな青春漫画の心持ちだったが、俺の置かれた現実は月刊アフタヌーンのドロッとした青年漫画そのものであった。


 二重人格の喧嘩中毒少女とコンビを組んで、次から次へと現れる強敵を倒していくなんて。しかもその目的が『現金1000万円』……。


 自分を取り巻くすべてが現実なのか夢なのか疑いたくなる様な状況だ。


 猿飛は目を覚ましてからというもの普段通りの猿飛で、『恋子』の様子なんて欠片もない。表情も声もいつもの猿飛だ。


 やっぱり恋子は猿飛の演技に違いないと思うのだが、あそこまでリアルな演技を素人が出来るものだろうか。

 そしてその必要性があるのだろうか。


 恋子と愛子のギャップはそれ自体が二重人格を証明しているようで、うすら寒さを感じずにはいられない。


 やはり、恋子は猿飛の別人格なのだろうか………。


 実際、思うところはある。

 これまで猿飛に対して何度も感じてきた違和感がだ。

 それを元に自分を納得させるに値する仮説も立てられるが、現実に直面するとやはり受け入れられない。


 猿飛家への帰路の途中、俺は色々と考えた末にひとつの結論に達していた。

「やはり、俺はテントに戻る」


 玄関先でそう宣言する俺に、猿飛は首をかしげた。

「……なんで? 私は別にこのままでいいと思うんだけど」

「いや、これ以上お前に迷惑をかける訳にもいかんのでな」


 本当は『また恋子に誘惑されたらどうしよう今度は断りきる自信ねーよ』とかしょーもないことを危惧していたのだがしかし、猿飛はうーんと唸り、庭先を一瞥して言った。

「でも、無理だと思うよ。テント張れないだろうし」


 まだ地面がぬかるんでいるのか? と聞くと、 猿飛は首を横に振った。

「そういう訳じゃなくて、テントが無いよ」

「……何だと!?」


 慌てて庭へ出て辺りを見回したが、確かにテントが無い! 縁側の隅に畳んでおいた俺のテントが忽然と姿を消していたのだ。


「ぬ、盗人か!」

 この俺から心以外盗むとは良い度胸だ。

 どこの馬鹿者かは知らんが絶対に探し出し、徹底的に追い詰めてやる……警察がな!!


 というわけで俺は即座に110番しようとスマートフォンを構えたが、猿飛が何かを見つけて通報直前の俺を止めた。

「ちょっと待って。手紙があるよ」

 彼女はテントが置いてあった場所に一通の便箋が置いてある事に気付き、それを俺に手渡した。

 宛先は俺で、差出人は犬飼だった。

「犬飼が……?」

 俺は便箋を開封し、手紙の内容を声に出して読んだ。


【総国様へ。今週末に従兄弟がキャンプに出掛けるので、少しの間テントをお貸し願います。】



「……知るか!!」

 思わず大きな声が出た。

 どんな理由でどんなタイミングなんだあのド阿呆が。

 俺は犬飼の手紙を乱暴に丸めて叩きつけて踏みつけて頭を抱えた。


 あんな宣言しておきながらソッコーで猿飛の厄介になるのは滅茶苦茶ダサいが、彼女は優しかった。

「今まで通り、ウチに居候すればいいじゃん」

「いや、しかし……」

「いいよ、私は。でも、まだしばらくは居間にお布団敷いて寝てもらう事になるけど」

「……なんか色々と申し訳無い」

「別にいいってば。そんな事よりご飯にしようよ。簡単なものでいいよね?」

「何から何までホントすいません……」

「ハイ泣かない泣かない」


 彼女の寛大さに目頭が熱くなるが、同時に様々な部位も熱くなるというか、不安と期待が入り交じった感覚になってきた。


 もし、もう一度『恋子』が出てきたらこのひとつ屋根の下、逃げ場はない……ッ!!


(いや、ダメだ。だからといって許されまい。だって僕らはまだ高校生!)


 俺は台所へと向かう猿飛の小さな背中に向かい、最後まで紳士であることを誓う。

 平常心を保ち続けるぞ、総国!


 こうして、長い夜が始まったのだった。

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